馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

39年前の北アルプス遭難。再掲

2014-08-31 23:29:11 | 日記

6月22日(金)夕方 5時 学生時代友人が藤沢からやってきた。

2010年7月末に柳橋事務所で、その年6月25日に食道癌で亡くなった同期を

偲んで飲んで以来だった。

又 五反田ユーポートでの偲ぶ会に出席できなかったことを悔やんでいた。

昨年来、スカイツリーを見ながら青春無頼の昭和42年入学、46年卒業

その後41年の歳月の人生を語り合いたいと思っていた。

昭和43年2月 当時1年生 4年生を送る。

彼は体育会サッカー部に所属、夫人も大学同期だ。

定年後も日々忙しく動いている。

元気で羨ましい限りだ。

居酒屋で飲み歓談するより事務所でゆったりと

酒酌み交わすのが楽しく気楽だ。

胃袋に酒が注ぎ込まれるに連れ、青春は走馬灯のごとく廻る。

しかし彼から古井戸の底に溜まった水のように

淀んでいた記憶が、今宵の宴で湧き上がった。

彼の口から語られる思い出に当惑した。

 

昭和48年8月4日北アルプス前穂高北尾根で滑落死した

体育会山岳部同期がいた。

大手重機メーカーに勤めて2年目の夏だった。

 

その同期の思い出を語りだした。

今宵飲む彼はサッカー部に所属ではあったが体育会執行部に出向していた

転落死した山岳部同期も同じく体育会執行部に出向した。

体育会執行部にテニス部から小柄なチャーミングな女性が入ってきた。

私は大学2年生で山登りに熱中していた。

年間160日間も山での合宿だったので

授業も出ず、他クラブの学生は顔が分かる程度しかなかった。

昭和46年卒業 皆社会で出て無頼の青春にお別れした。

2年後の8月4日 同期が転落行方不明と言う突然の電話だった。

山岳部時代も彼は肩を脱臼する致命的な状態があり

現役部員としての活動は少なかった。

その同期は高校山岳部も在籍していたので 高校OB隊員として登山したのだ。

 

私の思いは意外だった「なんであいつが北アルプスに行ったんだ」

大学山岳部員だった頃は 冬山、ロッククライミングは避けていた。

昭和48年8月6日、私は前穂高北尾根を辿り、4峰と5峰のコル(鞍部)から

奥又白谷を30メートルザイル4本繋げて下りた。

残雪と岩に挟まった同期を見つけ、寝袋に入れて

大学山岳部現役部員がザイルでコル(鞍部)に引き上げた。

私はザイル無しで登り出した。

上から怒鳴り声がした。

遺骸を鞍部に置き、ザイルが再び私に向けて下ろされた。

自分では大丈夫だとの思いもあるが、二重遭難になりかねなかった。

私はザイルを巻き付けた。数人の部員がザイルをたぐり寄せている。

私はゆっくり残雪を踏みしめ、ガレ場でのスリップに注意した。

「絆」と言う字がある。

糸が半分と書く。

上では山岳部員が私の安全確保のためザイルを握り締めている。

私も反対のザイルを体に巻きつけている。

互いに紐を半分づつ持って見えないが、私の動きに合わせ

ザイルを引く、止める、緩める等を繰り返す。

そうやって命を繋ぐのだ。

  

 

遺骸を二つ折りにしてリュックで背負い、涸沢のテントで満天の星空の下、二人過ごした。

翌朝、上高地に軽自動車がやって来て遺骸を松本まで運んだ。

私は徒歩で島々まで下り、松本駅に着いた。

遺体は検死後、焼かれ父親が骨壷として持っていた。

一緒に夕方の急行アルプスで新宿駅に着いた。

その新宿駅には関係者が出迎えていた。

私は2日間睡眠を殆どしていなかった。

今 微かな記憶には、今宵飲んでいるサッカー部の同期と夫人がいた。

 

遭難死から39年が過ぎた。

24歳で旅立った。

若葉の頃

 

 

生きていれば63歳だ。

なぜ、あいつが北アルプスに登ったのかは私も疑問だった。

昭和44年頃 丹沢の何処か?

左享年24歳 右享年51歳

 

彼は語る。あいつは「○○に惚れていた」

しかし思いは叶わなかった。

体育会執行部で3人は共に活動したのだ。

その惚れた女性が今の妻だ。

「俺達の結婚式に列席して写真を一杯撮り、祝福してくれた。

新宿駅で会って披露宴の写真を渡された」。

「これから北アルプスに行く」と告げられて別れた。

次に会ったのが新宿駅で骨壷に入った彼だった。

 

そうだったのか、あいつは悲恋の思いを断ち切ろうと

北アルプスに出かけたのだ。

神経質で、それこそ石橋を叩いて渡るほど慎重だったあいつが

油断もあったのだろうがザイル確保せずに

命まで断ち切ってしまったのだ。

転落した場所は井上靖の小説「氷壁

の舞台となったナイロンザイル切断転落事故現場だった。

 

2年前、食道癌で亡くなった友人の墓を見守ってくれる

大学同期の女性も体育会執行部にいて、当時の事を話してくれた。

転落死した同期が体育会執行部にいた彼女が大好きだったが

振り向いてくれなかったと教えてくれたのだ。

 

今、手元にある当時の遭難報告書を読み返した。

日時、員数、登山ルートが記録され

滑落時の状況が記録されている。

しかし遺体収容の記録は殆ど書かれず

私は人夫扱いでその他協力者1名になっている。

涸沢のテント場で警察救助隊から

一人残って遺体と一晩過ごして欲しいとの要望。

誰もが押し黙ってしまった。

同期の友達がいるでしょう?

警察官は言った。

高校生時代同期は俯いていた。

私が名乗りでた。

その夜、救助隊の方から、非難された。

「あんた達は、周囲に多大な危険と迷惑をかけたのに

お礼も謝罪もせずに下山した」。

「社会常識が欠けているのじやないか」!

「誰も差し入れをくれと言ってる訳じゃない」。

私は非礼を詫びた。

翌朝、遺骸は車で運ばれたが

私は乗車拒否されて上高地まで歩いた。

島々から長野電鉄に乗り、松本駅に着いた。

皆 駅に集まっていた。

誰とも話したくなかった。

何もか考えたくなかった。

やりきれない虚脱感が新宿駅まで続いた。

高校山岳部の技量ではザイル確保無しで登る力はなかった。

大学山岳部に救助依頼する以外何ら手立てはなかった。

しかし対外的にはズサンと未熟を露呈させるため

極力抑えたかったのだろう。

その後、一周忌の連絡、墓の場所さえ教えてくれなかった。

 

私も又、心に歯石のようにこびりついたワダカマリがあった。

大学同期の夫婦にもずっと吐き出せない心の重荷を背負っていたのだった。

遭難報告書には記録されない行間の空白には埋めることの出来ない

悲しみが潜んでいたのだ。

 

彼の語りを聞き続けた、私も他の関係者も知らない事だ。

井上靖の小説「氷壁」も事実を元にしたが本当に似たことが起きたのだ。

 

仕事と叶わぬ恋に揺れる苦悩を山で癒そうとして

糸を束ねた絆も持たず、結ぶこともせずに

逝ってしまった。

だが、悲恋の痛手に耐えて新しい恋の始まりもあったのだ。

葬儀の席で泣き続ける若き女性がいた。

遺稿集に彼女は綴っている。

昭和45年3月

北アルプス蝶が岳

左 本人         韓国遠征

  

私と彼との交際はたった七ヶ月という短い期間でした。

悲しい結果に終わりましたが、私は彼とのめぐり逢うことができて心から

良かったと思っています。

彼は、生前私をとても大事にしてくれました。

とてもしあわせでした。

正直言って、ケンカをしたこともありませんでした。

すべて良い想い出ばかりです。

彼はいまも私の心に生きています。

私は夏の夕暮れ時の雲が大好きです。

じっとながめていると、雲が山のように見えることがあるからです。

雲をながめていると、いまでも彼が元気に山に登る姿が目に浮かびます。

そして、これからも毎年夏がおとずれるたびに、

彼のことを想い浮かべるでしょう。

何時までも良い想い出として。

 

これを書いた女性のその後は知らないが

心にしまい込んで結婚したでだろう。

 

同期のご夫妻が転落死した男を忘れることなく

祈り続けてきたのだ。

ありがとうございます。

 

私も彼の山行に隠された純な心を知り

穂高の峰を遺骸を背負った虚しさは消え

稜線を覆う霧は寝袋に包まれた彼を乾燥から守り

流れる雲は遺体収容の隊列の汗を吹き飛ばした。

昭和43年3月 北アルプス前穂高北尾根

下から2番目 私

同期は昭和48年8月4日 左ピークから滑落

 

今は旅立ってしまった二人。

もう一人はは51歳の時脳腫瘍で死去。

生まれ故郷の

立山連峰を仰ぎ見る富山平野の

田の畦道に立つ墓から雪煙巻き上がる

峰峰を見ているのだ。

昭和45年3月北アルプス蝶が岳

 私は真ん中にいて何を見ているのか?

奥の同期は地図を眺め思案!51歳で死去 

立山連邦を仰ぎ見る富山平野の墓に眠る。

手前はのんびり食べているが、2年後正面の穂高で滑落死。

両端の友へ 合掌!

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37年前の夏 昭和48年8月 再掲

2014-08-31 23:28:15 | 日記

8月6日原爆の日
世界の歴史に永遠に刻み込まれる最大に愚かな行為
この時期になると甦る小さな記憶
今から37年前、西暦1973年昭和48年8月4日
夏休みを取って夕方外出しようとしていた
電話が鳴った、応対すると大学山岳部先輩から
「お前の同期が北アルプスで転落した」
8月5日早朝松本行き列車に3人で乗車。
他に大学山岳部同期一人と私が当時1年部員で4年生だった先輩
この先輩は転落した同期の高校山岳部先輩でもあった。
夕方上高地に着く、ドシャ降りの豪雨
山小屋には既にご両親と弟が到着していた。
母親は山装備をした私達をすがりつくように見ていた。
父親と弟も茫然と夏とはいえ高地で降りしきる冷雨を
傘も差さずに遭難現場に向かう私達を送った。
8月6日早朝滑落したと思われる北アルプス北尾根を登攀
名前は北尾根だがハイカールートでは無く
所謂字のごとくよじ登るロッククライミングだ。
雪山登山としては大学山岳部が目標とする先鋭的登山だ。
私達3名は滑落起点に到着、後から来る支援OB現役部員を待つ。
14時、他9名が到着。
3人が各自30メートルザイルを3本持ち
支援部隊にザイルを繋ぎ降りていった。
垂直の岩場を落石が生じさせないように静かに岩壁を
注意深く見ながら雲一つ無い紺碧の空から黒岩と白の残雪
の谷底へ250メートル下った。
緩やかな残雪混じりの傾斜地に下りた。
この高度には通常ハエがいないのだが飛んでいる。
ハエがたかっている岩と雪の間に同期は挟まっていた。
持参した寝袋に遺体を入れる、首の皮一枚が繋がっているだけだ。
ザイルでしっかり縛り上げる。
トランシーバーで引き上げ開始を伝える。
ゆっくりと尾根に向かって引きあがっていく。
私は最後に続く。
支援隊が見える所まで来た、上から怒鳴っている。
私に向かってザイルを繋げと叫んでいた。
私はザイル確保無しで登っていたのだ。
暫く待つとザイルが降りてきた。
しっかり結び頂まで着いた。
私まで滑落する二重遭難を引き起こすところだった。
暮れ行く岩峰の下に遺体を置き下山。
8月7日早朝 遺体を収容すべき11人にて登攀
岩尾根をザイルで皆繋がりながら登り下りを
無言で引っ張る。
夕方 涸沢と呼ばれるアルプス生成期の頃の氷河跡に辿り着く。
ここからは平坦な下り坂になる。
巨大リュックサックに同期を入れるため
体を二つ折にする。渾身の力で
ボキリと音がする。
私は担いだ、両肩に同期の足が出ている。
幕営地まで来た。疲れているのだろうが
心身共に高揚することとか沈むことを感じていなかった。
その夜私以外は松本に宿泊
谷底で北アルプスの岩峰が月明かりを受け漆黒の砦のごとく
何物も寄せ付けない迫力で迫っていた。
小さなテントで食べ物もなくじっとしていた
傍らにはリュックに包まれた遺体

同期は高校山岳部OB会仲間としての登山であった。
後に分かったことだが、高校山岳部の技量、体制、組織力
資金力では北アルプス北尾根登攀は力不足だった。
ザイルも持たず、しっかりしたリーダーも置かず
仲間内の暗黙ルールで登攀
現実的には高校山岳部OB組織では救助、収容作業はできず
茫然と見守る意外なかった。
元々同期は先鋭的登山を好まず、岩登り、冬山には
参加していなかった。
それが今回の登攀ではトップを受け持ち果敢に挑んだと言う。
この北尾根こそ 井上靖の小説 氷壁の舞台となり
度々 映画化 テレビ化されたナイロンザイル切断転落死事件の場所でもあった。
私の古いアルバム1968年2月 北アルプス北尾根のカラー写真がある。
紺碧の空と雪 しかし雪峰を雪崩と滑落に神経を集中しながら登った。
撮影者は現在、有名大学の学部長になり、一人はヒマラヤ遠征隊長になった。
そして後二人は中途退学と社会に出て行方不明。
山岳雑誌にも掲載された写真だ。

最近 山での高齢登山者の遭難は度々ニュースとなる。
個人的な気持ちを言えば
無謀と危険、冒険の境目が理解出来ないのだろう。
先年、ある方に11月のアルプス登山を誘われたが
登山する方の年齢、山歴を聞いて参加を断った。
冷雨と寒風、氷、雪混じりの危険を理解せず
私に「意気地ない」と冷笑した。
登山の基本的知識と山での生活技術を教わることなく
商業ベース化されてしまった娯楽に潜む危険
募る方も参加する方も無知と無謀が一瞬の隙を突いて
山では襲い掛かることを体験していない。
体験した時は既に手遅れ
 
その夏終わり頃、深夜、寝ていた。
古い木造家屋で雨戸も戸板だった。
突然、大風で雨戸がガタガタ揺れた。
まどろみの夢なのか分からないが
6畳の部屋が黄金色に輝いた。
私は目を開けたような気がした。
黄金色の輝きで眩しく薄めで見た。
眼前に親指程のものが見える。
小人が正座してニコニコして私に向かって
お辞儀している。
「おお!来たか」と叫んだ。
やはり同期は来たのだ。
私は直ぐに寝入った。

それから2年後 同期の在籍していた高校山岳部から
彼の遺稿集 山仲間の思い出 が届けられた。
淡淡と遭難報告経緯と記録、当人が書いた文章、山仲間の追悼文があった。
私の名前はなく 只、大学山岳部OB協力と記されていた。
この同期の墓も知らない。

8人いた山岳部同期は私一人になり
輝かしき70年以上続きヒマラヤ遠征3回を誇る体育会山岳部も
時代の趨勢に合わず在籍部員が一人もいなくなり
自動的に廃部となってしまった。
6月25日食道癌で亡くなったあいつはその事を知っていて
「厭世気分」になるなよと励ましてくれた。
その友人は未だ墓に入らず私の住まい近くで
骨壷にいる。

私は下から2番目にいる。バテているわけではないが最後の男が身長182センチ
私は162センチ前と後ろで歩幅合わず上下動が辛かった。

正面が氷壁 後方の峰直下から転落
同期転落原因は前日の豪雨で岩が緩み取り付いた岩が抜け落ちて
その岩を抱いたまま滑落した、一度傾斜地で止まったが、恐らく気を失った
彼は踏み止まれずに250メートル滑落。
彼は社会人2年目 大手メーカーに勤務 当時25歳
今、生きていれば62歳
遺稿集に交際していた女性の追悼文があった。
その最後の文に
これからも毎年夏がおとずれるたびに、彼のことを思い浮かべるでしょう
何時までも良い想い出として。

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新作 蝶ネックレス スターリングシルバーバタフライネックレス。

2014-08-31 16:15:27 | 日記

8月22日(金)

午後、2時 ガラスペンをリボン包装して明日午前着で送って欲しいとの

電話依頼があった。

ご依頼のお客様は男性である。

弊社に在庫してあるので、直ぐに包装して宅急便で送り出す。

金曜日は、緊急発送が多い。

プレゼント品に悩み、ギリギリ時間に注文するのでしょう。

   

2月の豪雪の時、ご注文頂いた海外土産品の蒔絵ボールペンが

交通遮断で納品日に届かなかったことがあった。

 

緊急依頼には懸命に対応するが、想定外アクシデントがある。

お客様も依頼された私達も天候には十分気配りしましょう。

 

デザイナー女性が、新作の

 

 

 

蝶ネックレス スターリングシルバー バタフライネックレスを製作した。

秋近し、女性の胸元に蝶が舞い降りる。

 

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減ルスメーターは肥ルスメーター?

2014-08-30 21:24:02 | 日記

8月30日(土)朝8時 外は小雨。

前夜 食べ過ぎ飲み過ぎだった。

雨が止んだのでの、9時、ジャージ姿で外へ

マンション中庭で夏祭りの準備が始まった。

 

通常はウオーキングなのだが、ジョギングすることにした。

足底筋膜炎の少々痛むが、トロトロ歩む。

雨上がりの遊歩道は路面が濡れていて

 

太陽の照り返しを防ぐので走り易い。

大きなお腹を揺すりながら、ゼイゼイ、ふーふー息弾ませ

幕張へ向かう。

 

朝 役所から私宛の郵便を開いた。

担当、包括支援課

内容は生活機能がよい状態に保たれているようです。

チェックリストを書いた記憶ないのだが?

 

役所からウオーキングを勧められるなんて

田舎行政も変わったな?

 

茜浜海岸沿いを走り、いつもウオーキングすると

海猫に餌を与えるオジサンが必ずいる。

そこで折り返し

腹筋台で腹筋20回、腕立て25回をこなす。

11時20分 自宅エントランス着。

中庭では祭りが始まっていた。

舞台ではフラダンスの女性群。

  

何で中年女性はフラダンスするのだろうか?

ふんわり衣装なので体がストーレート現れず

動きもスローだから?

  

シャワー浴びて減ルスメーターに乗った。

体重が3キロ減るすしていた。

 

昼飯にヘギソバとビール、ホッピー飲み

午睡した。

18時 入浴後、プラスメーターに乗った。

体重が3キロプラスになった。

 

前夜 水増し、した。

今日午前 水抜きしたが

午後、水は逆流した。

 結局 ジョギングは何だったのだろう?

 

沖縄にいる娘からメール。

砂山ビーチは綺麗だ!

昼ご飯は海の幸 てんこ盛り。

沖縄の魚旨いのかな?

 

 

本日の歩数計

19.338歩

16.127m

919カロリー

異常でした。

 

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暑すぎて、歩き過ぎて、食べ過ぎて、飲みすぎて 結果は?

2014-08-30 17:17:09 | 日記

8月29日(金)8月の仕事の〆日。

暑過ぎて、歩き過ぎて、食べ過ぎて、飲み過ぎて

バンバン太り過ぎる。

28日のランチは ハナマサで安い牛肉買ってステーキ。

  

  

夕方は船橋居酒屋で煮込み、ハツ、シロ、焼酎ハイボールがぶ飲み。

 

本日のランチは鮪ユッケ丼。

夕方 4時に浅草橋駅際 磯丸でディータイム価格

鮪カマ焼き。生ビール、フルーツ割り、焼酎、地酒がぶ飲み

 

厚揚げ、エイひれまで頼んじゃった。

20時 国道を歩き錦糸町へ。

台湾料理 劉の店に入る。

 

好物のシジミがあった。

これはナカナカ食べられない。

空心菜 これもシャキとして良いぞ。

排骨麺、牛肉麺 本場の台湾麺だ。

 

台湾ビールもがぶ飲み。

 

店主は本当の台湾人。

台湾料理の看板掲げる店は多いが

大陸中国人が作っているので

味付けが中国風なのだ。

 

錦糸町は気取らない安く旨い店が駅近辺に密集。

 

帰り道 腹がパンパンなので、海老川に放流した。

でも、水脹れは減らない。

娘が旅行中なので入浴時間の心配がない。

自宅で風呂後、体重計に乗ると

ぐ~んと数値が上がる。

 

明日は走らなければ!

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