少し逆戻りします。
私が下町6畳一間に一家5人暮らししていた頃
大柄な学生服の男が泊まった。
多摩川べりに一緒に釣りに出かけた。
父の親類だろうとは思った。
僕が大学生になった時
その叔父さんが「代々木で寿司屋をやってるから来い」電話。
盆に色とりどりの寿司が並ぶ、
食べたことない。
帰りに豪華な折詰を頂いた。
お袋に渡すと、顔を歪めて
「もう行くな」と言う。
ある日 テレビ番組で芸能人のご贔屓寿司屋が紹介。
その画面に登場したのはその叔父さんだった。
それから度々有名寿司屋で雑誌に紹介された。
後に知ったのは、父の故郷から上京して
寿司屋で働き、夜は大学に通ったのだ。
又、二人の若い女性が泊まりだした。
毎日夕方になると化粧して出かけた。
とても綺麗な女性だなと思った。
その男と女二人は兄妹であった。
後に分かったのは、今で言うクラブホステス。
父の葬儀にはには3人がやって来た。
3人共、大粒の涙。
父は貧しかったが経済的援助をしていた。
その時知ったのは、二人の女が新宿でクラブ経営者になっていた。
父と母は一切僕達兄弟には言わなかった。
恥じとしていたのだ。
父の葬儀に外車で乗りつけた男がいた。
鋭い目つき、外車には運転手がいたが車から出なかった。
どうもヤクザと思われる。
父に関係者と思われる親族は男は皆大柄。
今でもどのような血の繋がりがあるのか知らない。
7歳で母が死んで継母には既に子供がいた。
それとは対照的の母は貧しい農家の7人兄妹の次女。
純朴な親族
長男は肥料会社を経営
次男が農業を継いだ。
3番目で母の下で生まれた男の子は
5番目に生まれので五郎と名付けた。
優秀な子だったので地元国立大学を出て教師になり
後に教育長となる。
その息子もトップ大学を現役合格
大手電機メーカーの関連会社の社長となる。
母は父の親族との関係を嫌った。
必ず父母の故郷に帰ると僕だけが
父に実家の貧乏豆腐屋に泊まらせた。
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/c601b626ad22364879b68d39a71434a8
今では親族関係との交流は弟に任せで知らない。
続く。
那須連峰