六月になりましたね。もう梅雨です。
六月の雨や曇りの日々にも陽は差すのだ、という気持ちでこんなブログタイトルにしたのですが(毎年この時期になるとそう説明してきましたけど)、ここ数日は改めてその事実を噛み締めておりました。
でも、光に向かうことを考えてもいいかな、と今では思っています。「六月の光」ではなく「八月の光」。これではフォークナーのタイトルそのままになってしまいますが、でもそれを目指してもいいかな、と思ったりします。
六月の日射しを待ち侘びる姿よりも、八月の熱射を満腔に浴びる姿。そういう姿を志向してもいいのだ、と思います。
もちろん、雨降りの午後に家の中でじっと苦しみに耐える自分を忘れるわけではないし(というか現在もそれからそう変わらないわけだし)、ブログのタイトルを実際に変更するわけでもありません。ただ、光に向かって進む意思を明確にしておきたいと思っただけです。
光を待つのではなく、光へ進む。ぼくらはきっと六月を乗り越える。
六月の雨や曇りの日々にも陽は差すのだ、という気持ちでこんなブログタイトルにしたのですが(毎年この時期になるとそう説明してきましたけど)、ここ数日は改めてその事実を噛み締めておりました。
でも、光に向かうことを考えてもいいかな、と今では思っています。「六月の光」ではなく「八月の光」。これではフォークナーのタイトルそのままになってしまいますが、でもそれを目指してもいいかな、と思ったりします。
六月の日射しを待ち侘びる姿よりも、八月の熱射を満腔に浴びる姿。そういう姿を志向してもいいのだ、と思います。
もちろん、雨降りの午後に家の中でじっと苦しみに耐える自分を忘れるわけではないし(というか現在もそれからそう変わらないわけだし)、ブログのタイトルを実際に変更するわけでもありません。ただ、光に向かって進む意思を明確にしておきたいと思っただけです。
光を待つのではなく、光へ進む。ぼくらはきっと六月を乗り越える。