Kennyのブログあれこれ

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日記(11.13) 酉の市の時期だ!

2013-11-13 21:46:33 | 日記
11月13日 (水曜日)  晴れ

今年も、もう11月半ばである・・
なんにも、これと言ってとりえのない一年だったんだろうか?
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酉の市もそろそろである。小さいころ”お酉さま”に連れて行ってもらうのがうれしかった!
今にして思えば、商売繁盛を願うお店の御主人と奥さんが熊手を買い込んで
それも何万円もしそうな大きな熊手だ。

売り手の、手拍子でシャシャシャンと締めて”おめでとうございます”とやっているのが
面白くて高城神社の境内をグルグルしたものだった。
私が買ってもらえるのは1000円程度の本当に小さいものだった。
もっとも商売人ではないので、買わなくても良かったのだが・・・
親も大変だったんだろう。

熊谷のお酉さまは12月8日と決まっている。
12月8日「お酉さま」と呼ばれています。

毎年12月8日に高城神社で行われ、境内に縁起物の熊手や大神宮のお宮などを売る店が所狭しと並び、多くの人でにぎわいます。

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浅草の酉の市によれば


11/3.15.273の三の酉までとある。

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■酉の市

11月の酉の日に行われる鷲(大鳥)神社のお祭りで、
境内で売られる縁起物で 有名です。

江戸時代、この神社のあるあたりは豊かな水田に恵まれ
秋に収穫を 祝う祭では酉の日に農具を売る市が立ちました。

18世紀の末ごろ、江戸の商人 たちが縁日の酉を“取る”という言葉にかけ、
熊手を金銀を取り込む道具に見立 てて商売繁盛の縁起物としました。

これ以外にもお多福面、入船などの縁起物が 露店で商われますが、

『八人の頭になれる』との縁起から八ツ頭という芋が売り 出され、
お酉さまでは必ず熊手と芋を買うものとされています。

現在は浅草の鷲 神社(新酉)が有名で、
他にも北千住の鷲神社(中酉)、
三島明神の酉の市にも 多くの参詣者が集まります。

『星空を闇とは見せつ酉の市』(水原秋桜子)


 宇都宮④ 八幡山公園 ・ 餃子

2013-11-13 18:51:16 | 日記
 宇都宮④ 八幡山公園

夕食まで時間があるので、八幡山公園に行ってみようと言う事で
夕暮れ迫る中、ここは丘か?山?か・・に登る。

頂上に大きな鉄塔が建っている。

車はここまで!

大きな鉄塔、色々なアンテナやマイクロウエーブの機器がついている。


北側には大きな階段を降りる様な感じの吊り橋がある。

朝の散歩コースやらラジオ体操の場所になっている感じだ!

タワーに登れば宇都宮市街地を一望できるそうだ!今日はもう終わり。5時までだそうだ。
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一寸調べる。
八幡山公園(はちまんやまこうえん)

公園概要
 宇都宮市の中心部に位置するこの公園には、市内を一望できる宇都宮タワー、
大型複合遊具や交通公園(ゴーカート)のあるアドベンチャーU、
タンチョウやアライグマのいる動物舎など、子供から大人まで楽しめる施設があります。
また、自然の丘陵を活かした園内はお花の名所としても知られ、
約800本の桜と5,000本のツツジが植えられており、お花見のシーズンにもなると、
毎年たくさんの来場者で賑わいます。
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とあった。
街に戻ってみると、大分交通渋滞を起こしているが首都3県の混雑ようとは違って
ゆったり、流れている時間を感じる。

さあ!宇都宮に来て”餃子”を食べずに帰らせるわけにはいかないと言う事で
Tご夫妻、行きつけの、お店に案内してもらう。

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焼き餃子に水餃子を軽く食べて、
駅に戻って浦和に帰る僧侶のI氏を送って、Tご夫妻もバスで帰るらしいので
駅でお別れ・・・・一気に佐野IC迄来て館林経由で8時半着。
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宇都宮にいても一寸落ち着かなかった件が有った。

*昼に電話が入ったのだが
 隣の家のI宅の奥さま(54)が亡くなった連絡だった。
 すぐには帰れないので、遅くなったがお線香を上げさせて貰った。
 若すぎるなあ~!
 明日隣組の方々と相談をしよう。

 

宇都宮③ 石の町「大谷」大谷資料館と大谷観音・宇都宮城址公園

2013-11-13 18:42:51 | 日記
宇都宮③ 石の町「大谷」大谷資料館と大谷観音

大谷石を採石した場所を資料館として一般公開している場所。

資料館へ
周囲の大谷石が青空に映えて綺麗だ。
チケットを買っていただき入場。


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こんな凄い場所が日本にもあったんだというのが
実感、驚きの地下空間である。

資料によれば 地下30メートルの場所は、ヒンヤリと冷たく、
夏場では気温30度でも地下は12度ぐらい。上着が必要。
今回は外も冷えてきて、ますます中が寒い!
食糧の貯蔵やワインの保管・お米の貯蔵などにてきしているなあ~!

実際この地下空間では中島飛行機の会社が飛行機を作っていたとか!


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石の舞台があってコンサートも開かれるようだ。


WEB上の地下空間写真借・・・


3.11の東日本大震災の後は少し休んでいた様子だ。
2年ぶりに今年4月に再開したらしい。


真面目に歩くと結構階段も多くてしんどい感じだ。
先生方は一生懸命に勉強中だ、・・こちらは疲れた。

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続いて、近くにある大谷観音に

わーーーー!  大きいと初めての人は声を上げる。

私は何回か来ているので、慣れている。?

脇に作られた階段を登ると顔の横に出る。

下を覗くと結構高い。


良い顔をしているが男の顔だなあと~I氏が言う。でも観音様は女だ!




周囲も撮ってみる。




裏手が大谷寺である。この石の間を抜けて行くと・・・


大谷寺(おおやじ)は、栃木県宇都宮市にある天台宗の寺院。
山号は天開山。院号は千手院。
本尊は千手観音で、坂東三十三箇所第19番札所。
国の特別史跡及び重要文化財に指定されている
「大谷磨崖仏」の所有者となっている。
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大分冷えて来た。
このあたりで観光も終えようとしたが、案内役はまだまだ一杯
見せたいのか?これから宇都宮城址公園に案内される。
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城址公園は本丸部分の実際の1/3程度の復元で終わっている。





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宇都宮城の事
宇都宮城(うつのみやじょう)は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。
関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。

詳細は宇都宮城をクリック。

江戸時代は
徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で宇都宮に入り、
宇都宮城と城下の改修を行った。
縄張りを拡張して新たな郭を設け、
本丸など城郭周囲を掘削し湧水を張って幾重の水濠とし、
掘削で生じた土を高く盛り上げて土塁とした。・・等々

★しかし、たった3年間の城主だった正純に
 この大仕事が本当にできたかは?・・・疑問である。

 正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、
 元和8年(1622年)に正純は改易された。
(宇都宮城釣天井事件)。
 これも映画になった影響がおおきいのかなあ~!実際はわからないのである。

 歴史好きはたまらないだろうが
 戊辰戦争で新政府軍についたいたため、旧幕府軍に城は殆んど焼かれて、

 又、S20年7月12日の米国のB29飛行機
 133機による焼夷弾空爆で宇都宮は焼き尽くされた事もあって
 大事な資料は燃えてしまったらしい。
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日記(11.12)宇都宮② 小代行川庵でお蕎麦

2013-11-13 10:32:19 | 日記
宇都宮② お蕎麦屋へ

芸術作品を観賞した後、
T氏宅に立ち寄ってお茶とコーヒーの休憩タイム。
奥に息子さん(歯科井医院経営と市議会議員)の大きなビルが建っている。

手前のこじんまりした?家にあげて貰う。

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多くの議員さんとの写真がいっぱい額に入って飾ってある。

直筆の渡辺美智雄氏の書があった。上手なんだ!

船田中氏の書も・・流石地元だ!栃木県出身の政治家のものが多い。
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お腹も空いた。
日光例幣使街道を通って、”小代行川庵”
というお蕎麦屋さんに案内される。


平日の13時を廻ったところ、店も一段落したところでゆったりと紅葉の景色を
眺めながらの食事。









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このあたりでは有名なお蕎麦屋らしい。

確かに美味しいお蕎麦であった!手打ちのやや太めで腰の強いオソバである。
蕎麦だんごもいただき満腹にひとときである。

前の庭などが綺麗だ。


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 日光例幣使街道 (にっこうれいへいしかいどう)は、
徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である

中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して
日光坊中へと至る。
なお、楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通である。

現在、栃木県日光市から鹿沼市、栃木市、佐野市、下都賀郡岩舟町、佐野市、足利市、
群馬県太田市、伊勢崎市、高崎市に至る路線が「日光例幣使街道」または「例幣使街道」と
呼ばれている。

特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する。
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小代行川庵(こしろなめかわあん)
 この場所は今市市名誉市民加藤邸跡地を利用していると説明を受けた。
 この加藤氏とは?・・・

  加藤 武男(かとう たけお、
  1877年(明治10年)6月5日 - 1963年(昭和38年)10月17日)は、
  日本の銀行家。吉田内閣経済最高顧問。とあった。

日記(11.12) 宇都宮① 栃木県総合文化センターの芸術祭

2013-11-13 10:23:57 | 日記
11月13日 (水曜日)  晴れ 

昨日12日は
9月のクロアチア旅行で知り合ったT先生とI先生の働きかけで
宇都宮で再会して食事をしましょうとの約束を実行した。

12日の朝は今期一番の冷え込みとか。
でも天気は最高に良さそう。家の前の景色。


8時半に家をでて佐野ICから東北道にのって、鹿沼ICで降りて
宇都宮駅の西口に到着10時着。一寸早すぎた感じかな。
宇都宮の今朝の気温は-0.7度だったらしい。


駅交番前で11時の待ち合わせ。
T氏の奥様も来られた。気さくな方である。
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早速、私の車に乗ってもらって、
さて・・・何処に、見学するコースは用意してあるらしく
T(塚田先生)のナビゲーションでスタート。
全員で5名である。


先ずは栃木県総合文化センター前にあるビルで芸術作品の展示が行われているので
それに案内された。

栃木県内の方の芸術作品が並んでいる。




天気も良く、まさに芸術の秋である。


T氏のお孫さん(武美大)が書いた自画像だそうだ!”芸術祭賞”を受賞したらしい。

凄い!肌の色合いを出すのが非常に難しいんだそうだ。

係の方に写真撮影はいいですか?どうぞ!と言う事で
他沢山の作品が、少し載せる。(クリックすると大きくなります)









どうやったら、こんな絵が書けるのなあ~!感心し放題である。
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他に書・写真も沢山展示されていた。気にいった作品を撮す。






~~~~~~~②へつづく