8月31日 (日曜日) 曇り
朝方の気温がめっきり涼しくなった。
薄着では寒い感じである。
”虫の声”が日増しに強くなってくる。
~~~~~~~~~~~~~~
以前から疑問だった虫の音(声)のこと
薄うす聞きかじっていたが実際は良くわからなかった・・・
知恵袋の答えに素晴らしいものが載っていた。
”外国人には虫の音が、
騒音にしか聞こえないというのは本当でしょうか? ”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
答え
そうらしいですね。
江戸時代 庶民が虫かごに入れて 鈴虫などを飼ってるのを見て
外国人が驚いて 本国へ書き送ったという事を読んだ事があります。
それは現代でも良く言われていて 外国人は・・・・・
芭蕉の「静かさや 岩に染み入る 蝉の声」が
どうしても理解出来ない。らしいです。
又 今回のご質問でこのようなものを見つけました。
~~~~~~
日本人とポリネシア人だけに見られるという
聴覚と脳の特徴について
「虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、
西洋人は右脳で聞く」
ある学者の会でキューバ人の男性が力強いスペイン語で熱弁をふるう。
ある教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられていた。
周囲の人に
何という虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞こえないという。
教授には「蝉しぐれ」のように聞こえるのに!
どうも日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだ。
================================
■左脳と右脳
こうした聴覚の違いを切り口に、
角田教授は日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に追求してきた。
その結果が驚くべき発見につながった。
人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野がある。
右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理する。
左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。ここまでは日本人も西洋人も一緒である。
~~~~~~~~~~~~~~~~
ところが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかった。
西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処 理するのに対し、
日本人は言語脳で受けとめる、ということが、
角田教授の実験であきらかになった。
日本人は虫の音を「虫の声」として
聞いているということになる。
このような特徴は、
世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、
中国人や韓国人も西洋型を示すという。
さらに興味深いことは、
日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型となり、
外国人でも日本語を母語として育つと日本人型になってしまう、というのである。
脳の物理的構造というハードウェアの問題ではなく、
幼児期にまず母語としてどの言語を教わったのか、
というソフトウェアの問題らしい。
初耳の事でした。
とありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆だから日本人は、虫の音(音楽)・虫の声(言語)ともいうのかな・・・
虫の声を聞きに行く会も多いが
外国人には耐えがたい雑音を聞く会になってしまうのかな?・・
今度、機会あれば外国人に聞いてみたい。
=====================================
メモ)
この角田教授のことを少しチェックして調べてみた。
~~~~~~~~~~~~~~
■左脳か、右脳かの実験■
この違いを調べるべく、色々な音で、実験してみると、
音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、
日本人も西洋人も共通でした。
違いが出たのは、母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の
鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器音など
は、日本人は言語と同様の左脳で聴き、
西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かりました。
■虫の音に聴き入る文化■
言い換えれば、日本では、虫の音に聴き入る文化がある
とも言えます。
「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に
聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例です。
あれ松虫が鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン
あれ 鈴虫も鳴き出した
リン リン リン リン リーン リン
秋の夜長を鳴きとおす
ああ おもしろい 虫の声
この伝統は古代にまで遡ります。
夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
(万葉集)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松虫や鈴虫など、さまざまな虫の声に
「生きとし生けるもの」として、等しく「声」や「思い」を持つという
日本人の自然観がうかがわれ、虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く
日本人の特性は、この文化に見事に照応しています。
■犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」■
角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動
物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本
人は言語脳で聞いているといわれます。
これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が
宿り、人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自
然観に合致しています。
日本の子供は、親から、犬は「ワンワン」、猫は「ニャー
ニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、小川は
「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は
「ビュウビュウ」と、まるで自然物はすべて「声」をもつか
のように教えられます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆この擬声語(音)は日本人が最も多く使うと言われる・・と
ものの本で詠んだ覚えがあるのと同時に英会話の先生が言っていた。
擬声語は英語で"onomatopoeia”日本語発音ではオノマトピア”という。
米国人はブタは”オインク・オインク”となくいうのには驚いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このような擬声語、擬音語が高度に発達しているという
点も、日本語の特徴です。
幼児がこれらを最初から学んでいるので、虫や動物の鳴き声も自然音もすべて言語の一部
として、言語脳で処理するというのも当然かもしれません。
つまり、自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生
理的特徴と、
擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴と、
さらに自然物にはすべて神が宿っているという
日本的自然観との3点セットが、見事に我々の中に揃っているのです。
■人種ではなく、母語の違い■
角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受け
とめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血
筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたか
どうか、という点で決まるということです。
すなわち、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、
育った母語の違いである可能性が高く、
「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきでしょう。
角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは
世界でもポリネシア語でしか見つかっていないそうです。
■違うがゆえに独創的なものが生まれる■
日本語による脳の違いとは、我々にとってどのような意
味を持つのでしょうか?
理論物理学者の湯川秀樹博士は、角田教授との対談でこ
う語ります。
つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるとい
っていた。西欧人が論理的であるのに対して、より情
緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、ある
いは文化といってもいいけれども、そういうところに
対応する違いがあったということが、角田さんのご研
究ではっきりしたわけです。
そうするとそこで私が考えますことは、その違うとい
うことを生かすという方向です。違うということは上
とか下とかいうことではなくて、その違いということ
を生かす。(中略)違うがゆえに独創的なものが生ま
れるのである。西洋に比べてあかん、劣っているとい
う考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り
方をしたら劣等感を深める一方です。
「違うがゆえに独創的なものが生まれる」とは、独創的
な中間子理論でノーベル賞を受賞した湯川博士の言葉だけ
に重みがあります。
日本語の脳の違いは人類の多様性増大に貢献しているわ
けで、「虫の音に耳を傾ける文化」などは人類全体の文化
をより豊かにする独創的なものと言えるでしょう。
こうした「生きとし生けるもの」の「声」に耳を傾ける
という自然に対する敬虔な姿勢は、今後「宇宙船地球号」
の中ですべての生命と共生していくために貴重な示唆を与
えうるでしょう。
我々が受け継いだこの「日本語の脳」の違いを意識的に
極めて、その独創性をよりよく発揮していくことは、我々
日本人の全世界に対する責務とも言えるでしょう。
(参考文献:Japan On the Globe(240) 国際派日本人養成講座)
と説明があった。
======================
朝方の気温がめっきり涼しくなった。
薄着では寒い感じである。
”虫の声”が日増しに強くなってくる。
~~~~~~~~~~~~~~
以前から疑問だった虫の音(声)のこと
薄うす聞きかじっていたが実際は良くわからなかった・・・
知恵袋の答えに素晴らしいものが載っていた。
”外国人には虫の音が、
騒音にしか聞こえないというのは本当でしょうか? ”
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
答え
そうらしいですね。
江戸時代 庶民が虫かごに入れて 鈴虫などを飼ってるのを見て
外国人が驚いて 本国へ書き送ったという事を読んだ事があります。
それは現代でも良く言われていて 外国人は・・・・・
芭蕉の「静かさや 岩に染み入る 蝉の声」が
どうしても理解出来ない。らしいです。
又 今回のご質問でこのようなものを見つけました。
~~~~~~
日本人とポリネシア人だけに見られるという
聴覚と脳の特徴について
「虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、
西洋人は右脳で聞く」
ある学者の会でキューバ人の男性が力強いスペイン語で熱弁をふるう。
ある教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられていた。
周囲の人に
何という虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞こえないという。
教授には「蝉しぐれ」のように聞こえるのに!
どうも日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだ。
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■左脳と右脳
こうした聴覚の違いを切り口に、
角田教授は日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に追求してきた。
その結果が驚くべき発見につながった。
人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野がある。
右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理する。
左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。ここまでは日本人も西洋人も一緒である。
~~~~~~~~~~~~~~~~
ところが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかった。
西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処 理するのに対し、
日本人は言語脳で受けとめる、ということが、
角田教授の実験であきらかになった。
日本人は虫の音を「虫の声」として
聞いているということになる。
このような特徴は、
世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、
中国人や韓国人も西洋型を示すという。
さらに興味深いことは、
日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型となり、
外国人でも日本語を母語として育つと日本人型になってしまう、というのである。
脳の物理的構造というハードウェアの問題ではなく、
幼児期にまず母語としてどの言語を教わったのか、
というソフトウェアの問題らしい。
初耳の事でした。
とありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆だから日本人は、虫の音(音楽)・虫の声(言語)ともいうのかな・・・
虫の声を聞きに行く会も多いが
外国人には耐えがたい雑音を聞く会になってしまうのかな?・・
今度、機会あれば外国人に聞いてみたい。
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メモ)
この角田教授のことを少しチェックして調べてみた。
~~~~~~~~~~~~~~
■左脳か、右脳かの実験■
この違いを調べるべく、色々な音で、実験してみると、
音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、
日本人も西洋人も共通でした。
違いが出たのは、母音、泣き・笑い・嘆き、虫や動物の
鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎ、邦楽器音など
は、日本人は言語と同様の左脳で聴き、
西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かりました。
■虫の音に聴き入る文化■
言い換えれば、日本では、虫の音に聴き入る文化がある
とも言えます。
「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に
聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例です。
あれ松虫が鳴いている
チンチロ チンチロ チンチロリン
あれ 鈴虫も鳴き出した
リン リン リン リン リーン リン
秋の夜長を鳴きとおす
ああ おもしろい 虫の声
この伝統は古代にまで遡ります。
夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも
(万葉集)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松虫や鈴虫など、さまざまな虫の声に
「生きとし生けるもの」として、等しく「声」や「思い」を持つという
日本人の自然観がうかがわれ、虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く
日本人の特性は、この文化に見事に照応しています。
■犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」■
角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動
物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本
人は言語脳で聞いているといわれます。
これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が
宿り、人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自
然観に合致しています。
日本の子供は、親から、犬は「ワンワン」、猫は「ニャー
ニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、小川は
「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は
「ビュウビュウ」と、まるで自然物はすべて「声」をもつか
のように教えられます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆この擬声語(音)は日本人が最も多く使うと言われる・・と
ものの本で詠んだ覚えがあるのと同時に英会話の先生が言っていた。
擬声語は英語で"onomatopoeia”日本語発音ではオノマトピア”という。
米国人はブタは”オインク・オインク”となくいうのには驚いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このような擬声語、擬音語が高度に発達しているという
点も、日本語の特徴です。
幼児がこれらを最初から学んでいるので、虫や動物の鳴き声も自然音もすべて言語の一部
として、言語脳で処理するというのも当然かもしれません。
つまり、自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生
理的特徴と、
擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴と、
さらに自然物にはすべて神が宿っているという
日本的自然観との3点セットが、見事に我々の中に揃っているのです。
■人種ではなく、母語の違い■
角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受け
とめるという日本型の特徴が、日本人や日系人という「血
筋」の問題ではなく、日本語を母語として最初に覚えたか
どうか、という点で決まるということです。
すなわち、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、
育った母語の違いである可能性が高く、
「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきでしょう。
角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは
世界でもポリネシア語でしか見つかっていないそうです。
■違うがゆえに独創的なものが生まれる■
日本語による脳の違いとは、我々にとってどのような意
味を持つのでしょうか?
理論物理学者の湯川秀樹博士は、角田教授との対談でこ
う語ります。
つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるとい
っていた。西欧人が論理的であるのに対して、より情
緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、ある
いは文化といってもいいけれども、そういうところに
対応する違いがあったということが、角田さんのご研
究ではっきりしたわけです。
そうするとそこで私が考えますことは、その違うとい
うことを生かすという方向です。違うということは上
とか下とかいうことではなくて、その違いということ
を生かす。(中略)違うがゆえに独創的なものが生ま
れるのである。西洋に比べてあかん、劣っているとい
う考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り
方をしたら劣等感を深める一方です。
「違うがゆえに独創的なものが生まれる」とは、独創的
な中間子理論でノーベル賞を受賞した湯川博士の言葉だけ
に重みがあります。
日本語の脳の違いは人類の多様性増大に貢献しているわ
けで、「虫の音に耳を傾ける文化」などは人類全体の文化
をより豊かにする独創的なものと言えるでしょう。
こうした「生きとし生けるもの」の「声」に耳を傾ける
という自然に対する敬虔な姿勢は、今後「宇宙船地球号」
の中ですべての生命と共生していくために貴重な示唆を与
えうるでしょう。
我々が受け継いだこの「日本語の脳」の違いを意識的に
極めて、その独創性をよりよく発揮していくことは、我々
日本人の全世界に対する責務とも言えるでしょう。
(参考文献:Japan On the Globe(240) 国際派日本人養成講座)
と説明があった。
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