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日記(8.12) 日航機墜落事故から29年

2014-08-12 17:39:18 | 日記
8月12日  (火曜日)     夕


29年前、日航機墜落事故のニュースを知ったのは
阿字ヶ浦の民宿にて、子供達と浮輪に空気を入れていた時であった。
初めは何のことかわからず・・・だんだん真相がTVから送られてくる。
上空からの映像だった。
しばし海水浴は中止だった。
この時の衝撃と映像は忘れられない。
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私は事故から20年目の秋の夕暮れ時に一人で、この地を訪れて手を合わせた。
慰霊の園、誰もいなかった。

写真借用。
手を合わせ形のモニュメントがあって真剣に祈った覚えがある。
気のせいだったか、風が木々をなでながら通り過ぎる時
声の様に感じたのはほんとうである。

あとで聞いたが
当時は秩父の実家の上空をヘリコプターが何機もひっきりなしに飛んで行ったそうである。
小説や映画やにも取り上げられた。
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特に、山崎豊子の”沈まぬ太陽”は凄かった。


日本のナショナル・フラッグ・キャリアである国民航空の社員で
同社の労働組合委員長を務めた恩地元と彼を取り巻く人々の描写を通して、
人の生命にかかわる航空会社の社会倫理を表現した作品である。


日本航空とその元社員である小倉寛太郎、単独機の事故として史上最悪の死者を出した
日本航空123便墜落事故などがモデルとされている。

実在の複数の人物が登場人物のモデルとなったとの推測があるが、
作者は公式には認めていない。
 

この作品の『週刊新潮』への連載・映画化に日本航空は不快感を示し、
雑誌連載中は日本航空機内での『週刊新潮』の扱いを取りやめている。
本作は、3編からなる。

著者がアフリカで本当に出会った日航の社員のなんと目の澄んでいたことが
忘れられず、それがきっかけで取材が始まったとあった。
!起こるべくして起こった大惨事、日航ジャンボ機墜落事故をテーマにした話”


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記事には

520人が犠牲になった日航機墜落事故から12日で29年です。
墜落現場となった群馬県上野村では、朝から遺族らが慰霊登山に訪れています。

墜落現場へと続く登山道には、朝早くから小雨の降るなか、
多くの遺族や関係者が慰霊登山に訪れています。

遺族らは11日、墜落現場のふもとで、事故が起きた午後6時56分に合わせて
灯籠を流し、犠牲者の冥福を祈りました。
事故で9歳だった息子を亡くした女性は「空の安全を守るのは
国や航空会社だけではなく、遺族を含めた一人ひとりが担っている」と語りました。
夕方からは慰霊式典が行われ、事故が起きた時刻に黙祷が捧げられます。

雨の日になってしまったなあ~!
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1 コメント

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日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事 (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2018-11-10 15:13:10
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事の際、群馬長野埼玉県境近くにて、日本の警察予備隊習志野のF4ファントム小林パイロットが、米国機体JAL123便に向け、ミサイル攻撃を行ったが、UFOモードで飛行中の123便は、ワープで回避し、ミサイルの煙のみが南天山近くに残った状況である
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