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日記(6.29) 新聞記事(吉永祐介氏)

2013-06-29 11:53:12 | 日記
6月29日 (土曜日) 晴れ時々曇り

散歩ついでに寄った畑で
第3番目に植えた西瓜の場所の実がもう鳥に
突っつかれている。
早速、ネット張りを始めたが・・・あっという間に1時間が経過6時になった。
背丈を越えたキュウリやトマトの茎を縛ったり、トマトの又芽を欠いたりして
野菜の収穫をする。

沢山獲れたので、身内やお世話になっている方に、おすそ分け。
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今朝の新聞には

50歳以上の人は記憶に焼き付いていると思うが

1976(昭和51)年、戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件
当時は東京地検特捜部の副部長で後に検事総長までのぼりつめた。

「最強の捜査機関」と呼ばれ、
巨悪が恐れた特捜の「顔」として名前を知られた人。
 吉永祐介さんが81歳で亡くなった。


慎重な人柄は、仕事師、職人、実務家、努力家……と
見る人によって表現が違った。

責任感から、捜査の情報が漏れるのを嫌った。
ゆえに記者ぎらいで、「泣かされたものだよ」と先輩の記者は振り返る。

「特捜部の捜査は、山の稜線(りょうせん)を歩いているようなもの。
失敗は許されない」と、かつて語っていた。
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☆検察は近年、捜査の足を踏み外すなどして信頼を失ってきた。
 古巣の行く末を案じながらの旅立ちではなかったか。?

 検察それも特捜は、手柄や出世に敏い役人ではなく、
 正義に一途な仕事師であってほしいと思う。

 大きな存在が消えた今こそ肝に銘じるときだろう。
 むろん、自らに都合のよい正義ではなく・・・・。
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88年12月からの東京地検検事正時代には、
未公開株を受け取った複数の政治家や官僚を立件した
リクルート事件(88、89年)も手がけた。

大阪高検検事長だった92年、
東京佐川急便事件の捜査で発覚した金丸信・元自民党副総裁への
5億円闇献金問題で、事情聴取をせずに事件処理をしたことで

検察全体に批判が集中。信頼回復を委ねられ、東京高検検事長を経て、
93年12月に検事総長に抜擢された。
法務官僚が検事総長に就任する慣例を破る、
異例の人事と言われた。

 総長時代には、ゼネコン汚職政界ルート、二信組事件などを指揮。
 95年3月の地下鉄サリン事件でも全国の警察と連携し、捜査を指揮した。
 96年1月の退官後は、弁護士として活動していた。(岡山出身)
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なおこんな逸話も・・・

1992年12月12日 宮澤喜一内閣が改造し、
法務大臣に後藤田正晴が入閣した。

その後藤田の就任
第一声が「吉永君はどこにいるのか」であった。
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平成生まれの若い人には知られざる事件であろうが
歴史の授業で習得されるのか?な?

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
吉永より後藤田の凄さ書いてね (秘密)
2018-03-17 15:06:15
私怨を超えて吉永さんをたてた後藤田の凄さ伝わりません
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