Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

日記(4.30) 潮干狩りのこと 

2014-04-30 16:17:20 | 日記
4月30日 (水曜日)  雨


今日はぐずついて天気がサエないが、
畑にとっては良きお湿りである。
大きな天からの如雨露で撒かれたお水である。
それにしても、遅い移動の低気圧だ。
もう、台風もできたんだ!

家庭菜園をやる様になってからは、
以前よりも天気予報に目が行くようになっている。
会社通勤時代は車を使っていたので雨でも、何んとかなっていたが
農業は天気との戦いとは聞いていた・・・、
実際、それを生業にしている場合は死活問題である事がよくわかる。
投資に見合う利益が出ないと大変な事になるわけだ!
いわゆるROIが適切でないといけないのだなあ~!
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午前中は病気見舞いと・・
旅行会資料の整理と、
自治会の防犯灯補助申請で市役所に・・・。
で時間が潰れた。
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もう明日からは5月。
家族でお孫さん達と連れだっての・
潮干狩りの時期でもある。

☆幼いころ連れて行って貰った千葉の稲毛海岸、今はもう海浜公園で貝はとれない。
 夢中で捕っていて、潮が戻ってきて心細くなったのを思い出す。

 自分達の子供も連れていたが寒かった覚えがある。
 すっかり冷えてしまって、震えてバスのい戻った記憶が・・・。

 今年も誘われたが、行かないことにした。
 少々老いたのもあるが・・ちょっと出過ぎているので! 

 水も温み、日差しも夏を思わせる5月のなると
 やっぱり潮干狩の絶好シーズン。

5月はアサリの旬
この時期のアサリは産卵に備えプランクトンを食べて
栄養を蓄えているのでとてもおいしいのです。

潮干狩りはどうして春に行われるのかなあ~。
春の大潮は干満の差が大きく浜が遠くまで干上がり潮干狩りに適しているからです。

秋も干満の差は大きいのですが、干潮時が真夜中に重なってしまうために
潮干狩りには不向きなのですねえ〰。

潮干狩りは家族のレジャー。子供の遊びと考える人も多いようですが
大人でも十分楽しめます。
貝を探すのはまるでトレージャーハント。

たくさん採れるとうれしいし、採れないと悔しい。
親子、友達、グループで採った貝の数を競い合うなどいつの間にか
夢中になっている光景を目にします。
年齢差、体力の有無を問わず楽しめる潮干狩り。

アサリの上手な採り方はこまめに移動しながら浅く広く掘っていくことです
 アサリは同じ場所に固まっていることが多いので、
 一度出てくればその周辺を掘ってみましょう。
 一つ見つけると複数採ることが出来るはず。?

近場では富津か木更津かな!
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日記(4.29) 花木の色々

2014-04-29 10:10:19 | 日記
4月29日 (火曜日) 曇り  昭和の日

散歩にでたら
Y宅のモッコウバラが綺麗に咲いているので
丁度、庭に出て来たYさんに写真を撮らせてもらう



こに木は虫がつきずらい様だ。今年は全てカットして咲かない様にした。
でも根元から新芽が伸び始めた。
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木香薔薇 (もっこうばら)
・4月から5月頃に咲く 八重咲き。
・江戸時代から栽培されているらしい。
・枝には、薔薇特有のとげがない。

・かすかないい香り。花の名前「木香」はここからくる。
 白い花は黄色い花より香りが良い。
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ハナミズキを追いかける様に街路樹の
名前はわからないが


この木の花が咲き始めた。


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ハナミズキは長く目を楽しませてくれるのが良い。





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本年も、棕櫚の木の花芽の黄色が、育ってきている。
普通はかなり高いところで咲くので、見落とすが・・・

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豪邸の生垣には”アカメモッコク”と芝桜が、綺麗だ。




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遊歩道沿いにはこれも赤い葉っぱになって花芽を付けている木が

”ベニカナメモチ”と言うらしい。
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歩いていると、凄い”藤”の花がいっぱいに咲いている。

そろそろ亀戸天神や藤の牛島も混雑してるかな?なあ~。
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紫蘭も歩道沿いに群生。


開花時期は、 4/15 ~ 6/ 5頃。群生している状態は見事。
少し湿ったところに生える。・紫色の蘭であることからこの名になった。 
・球茎は「白及根(はくきゅうこん)といい 止血、あかぎれ、ひびに薬効がある。
・白花の品種もある。
☆この花は物心ついた時からズーット庭に誰かが植えている。
 家をひっこしても何処かに芽をだすので、多分父親が植え続けてきたんであろう。
 とても丈夫な花である。
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お寺さんの牡丹の花が満開であった。






牡丹 散つてうちかさなりぬ ニ三片

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畑の野菜に水をくれて
今朝は”スナックエンドウ”が少し収穫出来た。


又いただきものもあった。

苺に砂つきワカメ等、2度あることは3度あると言うから・期待!

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今日は西から崩れて来ると言う。
ようやくまとまった雨が降るかな

日記(4.28) 御前崎へ

2014-04-28 22:21:53 | 日記
4月28日 (月曜日)  晴れた!

本日、旅行会の下見で、御前崎まで非常に遠いが6名の幹事で
日帰り620KMをK氏が一人で運転。凄いタフ。

ホテルを含めて5ケ所の場所を下見することになる。
6時に出発、天候も曇りから夕方は雨の様相に反して、非常に良い天気
混雑するかと思えば高速道もガラ空き状態。流石に明日以降は連休モード
道路もこうはいかないであろう。

関越→圏央道→中央道→東富士五湖道→東名高速で
静岡の相良牧ノ原I/Cで降りてバイパス道を一路

御前崎Gホテルに着10時半であった!早い・・。
途中富士山が綺麗であった。



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ホテル支配人のS氏と部屋・風呂・宴会場などを確認させてもらい
当日の段取りの打ち合わせを行って11時半くらいであった。
前が海で全室オーシャンビュウである。



クエと言う魚が水槽に!

良い松の木が玄関前に植え込んである。
歩いて10分のところには御前崎灯台が・。






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支配人のお勧めの食堂を聞いて、帰り道脇に”みはる”というお店で昼食。
凄くボリュームが有って刺身が美味しくて安かった。

食事をおえて店に長蛇の列が・・驚いた。
人気店なんだ!
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静岡新聞で調べると・・
御前崎港、地頭方港で水揚げされた地魚が食べられる店です
御前崎港、地頭方港の地魚を中心にメニューを構成しています。
市場が休みの日や天候が不順でない限り、メニューが少しずつ変わります。
とあったので結構地元では人気なんだ!なあ。

混雑する前でラッキーだった。
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その後、焼津の水産マリンステーションに立ち寄る。
買い物情報を聞く。

その後2日間の昼食処の御殿場のカメヤと河口湖荘の両方を訪問して
食事場所の確認を行って、


キリンの工場は月曜日が休みなので
外観を確認して、守衛さんからチラシをいただき

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一気に帰る。
天候・道路状況に恵まれてラッキーな日
未だ、富士が綺麗にみえている。

丁度19時熊谷に現着、
大凡13時間で2日間の行程を猛スピードで下見。
ちょっとナビゲータ役も疲れた。

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日記(4.28) 畑の野菜

2014-04-28 05:16:09 | 日記
4月18日 (月曜日)    曇り

昨日は朝の水くれが終わって畑の状況写真を撮っておいた。

植えた、ピーマン・・トマト・ネット掛け内は接木の苗。
レタスも巻いてきた。
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庭ではジャーマンアイリスがあちらこちらで咲き始めたが

紫色のみになってしまった。
白色や黄色がなくなってしまった・・なあ!。
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シャクナゲも一杯に咲いてきた。

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本日はこれから、旅行会の下見に出かけるので
昨日、簡易名刺を頼んでつくってもらう。

簡単なソフトが有るんだ。!
今度入れようと思う。・・・

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日記(4.27) 記事(信頼できる国)

2014-04-27 16:53:55 | 日記
4月27日  (日曜日)  晴れ

今朝の読売のコラムには
80年代、マレーシアの元首相マハティール氏が
ルック・イースト政策を採用いたのは欧州への反発もあったかもしれないが
外務省がこのほど東南アジア諸国連合(ASEAN)7カ国で行った世論調査では
最も信頼できる国”として
日本を挙げた人は33%で1位。米国は16%で2位。
威圧的態度がたたったのか中国は5%であった。と・・・・・。
なんか褒められてか・・こそばゆい。

☆隣国を思うと、そう悪い気はしないとおもう。と・・
 5%でも数値は高すぎる様に思うがなあ~!
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マハティール・ビン・モハマド
(Mahathir bin Mohamad、1925年7月10日/12月20日 - )は、
 マレーシアの政治家、医師。
 マレーシア第4代首相。
 マレーシアの首相の中では最長の22年間を務め上げた。

 開業医から政治家に転じ、欧米諸国ではなく、
 日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、
 長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、
 マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。

  もう20年以上も前になるかなあ〰!
 丁度この人の動向が注目された、良い言葉を覚えている。

 ”もし、日本なかりせば、東南アジア諸国は、いまだに、
  欧米の、経済植民地になっていたであろう”

  日本に追いつくのに14年、
  しかし日本は更に14年先をいってるであろう・・と。
そして、今のマレーシアの発展は素晴らしいものがあるのは実感である。

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記事は代って天声人語では 絹の事が書かれていた。

史実というより伝説の部類だろう。
紀元前3千年に近い古代中国で、
帝王のお妃が誤って蚕の繭を湯の中に落としてしまった。
すると不思議、とてつもなく長くて細い糸が出てきたという。

『虫と文明』(築地書館)という本に教わった、
絹の起源をめぐる一説である
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ギルバート・ワルドバウアー[著]

*ミツバチの生み出す蜜蝋はろうそくに、
*タマバチの作り出す虫こぶはインクの原料に、
* カイガラムシは美しい赤い染料となり、
*蚕の繭から絹が生まれる。

人びとが暮らしの中で寄り添ってきた虫たちのいとなみを
ていねいに解き明かした一冊。
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6世紀ごろには、ペルシャの僧が中国から、中を空洞にした杖に
蚕の卵を隠して持ち出したそうだ。
このわずかな卵が欧州の養蚕の礎になり、
フランスなどを中心に繁栄していったというのも
、右の本からの受け売りである.

明治の初めにフランス人の指導を仰ぎ、
器械製糸の技術を取り入れたのが、
群馬県の富岡製糸場だった。

近隣の絹産業遺産群とともにユネスコの世界遺産に登録の運びとなり、
早朝にとどいた朗報に地元はわいた.

去年の富士山とは違い、「え?」と思った人もおいでだろう。
だが明治政府の進めた「殖産興業」を語るときにこの官営施設は外せない。
1個の繭からとれる糸は1500メートルにもおよぶ

その小さな白い虫が、日本の近代化を支えた時代があった

☆私が小さい頃は何処でも蚕を見られた。
 結婚してツマの実家は1トン/年の養蚕家だったので
 休みには”おこあげの時期に手伝った”ものだ。
 大事に育てて、お蚕様と呼ぶんだったなあ~。

「伝習工女」と呼ぶ女子を全国から集め、
 技術を習得させて帰郷後に指導者にするのも大きな目的だったという。
 生糸はその後、外貨獲得の最大の輸出品に育っていく.

 富岡市教委の刊行物によれば、この製糸場は勤務時間も
 休日も合理的な環境だったという。

 他の地域では、近代化を底辺で支えた
 女工の厳しい労働
もあった。
 朗報を喜びつつ、その哀史にも思いをいたしたい。

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