7月31日 (火曜日) 晴れ 夕 もう・はやいなあ~!7月も終わる。
少し庭木の枝でも切っておこうかと思って
カリンの木をカットはじめて
キンモクスイまできたが、丁度蝉の抜け殻が有って写真に撮っていたら
・・・暑くてもうやめにした。
もう少し涼しくなってからにしよう。
ジリジリと暑いのにこの昼さがりの時間の14時~15時、
扇風機のファンの音以外静かである。
気だるさと、眠気を誘う1/fゆらぎ・・・・・・・・
****************************************
これってアブラゼミの脱け殻か?
それにしては、今年、蝉の鳴き声をまだ本格、・・・・・・・は聞かないなあ~
まあ鳴かない方がいいんだが・・・・・・・
*********************************************
写真を見るとこれを思い出す。
空蟬の一太刀浴びし背中かな
と言う素晴らしい句がある。
こういうのってすごいなあ~!と思う。日本人は!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
又、芭蕉の句に
やがて死ぬ けしきはみえず 蝉の声
この解釈が普通には・・・
人生は無常であるのに、それを悟らぬ人々が種々様々の享楽に耽っていることは、
あたかも、夏の日に蝉がいつまでも生きつづけてゆくかのように
声をかぎりにやかましく啼き立てているようなものだ・・・・。
芭蕉はここに具体的な判りやすい例をもって、道徳的な精神的な訓戒を与えている。
つまり、蝉というのは、土から出て啼きだすと、
ひと夏も生きることができないほど短い命で「やがて死ぬ」。
蝉は、自分がそうした儚(はかな)いものであるとも知らずに、
ただうるさく啼いている。やかましく騒ぎまわるやっかい者のようです。
さらにいえば、人間の命も、蝉よりは長いとはいえ、やがて失われてしまいます。
だから、私達人間も、常に生き続ける者では無いということ(無常)
を知って・・・・・・、
一時の快楽に身をまかせてはいけない。
そうした教訓めいた句になっている、というわけです。
**************************
と有りました。
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ところが、
実は大拙の解釈はこれとは全く違います。(禅を世界に広めた鈴木大拙氏)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次に大拙の解説を見てみましょう。
蝉というものは、まあ、ジュージューと啼きたてて、
ずいぶん神経をいらだてるもんだが、面白いといえば面白い。
ジュージューと何も惜しまず、あとに残さない力を半分出すなんてことはない。
小さな蝉の全部がジューになって出るですな。
それを芭蕉が聞いた。聞くと芭蕉は理屈をいう。
蝉はやがて死ぬのだが、今日死のうが、そういうことには蝉は頓着しない。
持っておる全部を吐き出して、ジューとやるところに、いわれぬ妙がある。
それを芭蕉が見たに相違ないのです。
蝉は、「やがて死ぬ」などという先のことに気をとらわれないで、
ただ今ここで自分が持っている全てを出し切っている。
今に精一杯生きて、小さいながらも自分の存在を宣言する蝉、
芭蕉はそこに着目した。これが大拙の解釈です。
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同じ俳句のはずが、「解釈」によってだいぶ印象が変わってきます。
この解釈は、
一章一節「大拙の若い頃」で紹介した
「小さいは小さいながらに、大は大ながらに、
その持っているすべてを表現すればよいのだ、
これがシンセリティ〔sincerity誠実〕だ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という言葉とつながっています。
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メモ記)
禅の大家、鈴木大拙博士が友人の
西田幾多郎氏に「かかる世になにを楽しみとして生きるか」と問われたときに
「呼吸するも快楽なり」という禅の世界であります。
私の看取った一番の高齢者は鈴木大拙師である。
先生は九十歳を過ぎてからも浄土真宗の親鸞聖人の
「教行信証」という教典の英訳にとりかかられ、
まさに、現役の最中で急性腸閉塞を患い、九十六歳で亡くなられた。
先生は九十歳を越えられた時、
秘書の岡村美穂子さんに
「九十歳にならんと分からんことがあるのだぞ、長生きをするものだぞ」
といわれた。
九十六歳での聖路加病院での最期は、実に平静な心が満ちあふれていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆鈴木 大拙(すずき だいせつ)、
本名:貞太郎(ていたろう)
1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、
禅についての著作を英語で著し、
日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。
著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。
梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。
1949年に文化勲章、日本学士院会員。
名の「大拙」は居士号である。
同郷の
西田幾多郎、
藤岡作太郎とは
石川県立専門学校以来の友人であり、
鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。
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蝉 一つで随分、深い話まで入り込んだ・・・・・・・・・・
煩悩の多い自分が記述しても、それなりのもの
これが修行で極めた人が言うと価値がある。
少し庭木の枝でも切っておこうかと思って
カリンの木をカットはじめて
キンモクスイまできたが、丁度蝉の抜け殻が有って写真に撮っていたら
・・・暑くてもうやめにした。
もう少し涼しくなってからにしよう。
ジリジリと暑いのにこの昼さがりの時間の14時~15時、
扇風機のファンの音以外静かである。
気だるさと、眠気を誘う1/fゆらぎ・・・・・・・・
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これってアブラゼミの脱け殻か?
それにしては、今年、蝉の鳴き声をまだ本格、・・・・・・・は聞かないなあ~
まあ鳴かない方がいいんだが・・・・・・・
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写真を見るとこれを思い出す。
空蟬の一太刀浴びし背中かな
と言う素晴らしい句がある。
こういうのってすごいなあ~!と思う。日本人は!
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又、芭蕉の句に
やがて死ぬ けしきはみえず 蝉の声
この解釈が普通には・・・
人生は無常であるのに、それを悟らぬ人々が種々様々の享楽に耽っていることは、
あたかも、夏の日に蝉がいつまでも生きつづけてゆくかのように
声をかぎりにやかましく啼き立てているようなものだ・・・・。
芭蕉はここに具体的な判りやすい例をもって、道徳的な精神的な訓戒を与えている。
つまり、蝉というのは、土から出て啼きだすと、
ひと夏も生きることができないほど短い命で「やがて死ぬ」。
蝉は、自分がそうした儚(はかな)いものであるとも知らずに、
ただうるさく啼いている。やかましく騒ぎまわるやっかい者のようです。
さらにいえば、人間の命も、蝉よりは長いとはいえ、やがて失われてしまいます。
だから、私達人間も、常に生き続ける者では無いということ(無常)
を知って・・・・・・、
一時の快楽に身をまかせてはいけない。
そうした教訓めいた句になっている、というわけです。
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と有りました。
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ところが、
実は大拙の解釈はこれとは全く違います。(禅を世界に広めた鈴木大拙氏)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次に大拙の解説を見てみましょう。
蝉というものは、まあ、ジュージューと啼きたてて、
ずいぶん神経をいらだてるもんだが、面白いといえば面白い。
ジュージューと何も惜しまず、あとに残さない力を半分出すなんてことはない。
小さな蝉の全部がジューになって出るですな。
それを芭蕉が聞いた。聞くと芭蕉は理屈をいう。
蝉はやがて死ぬのだが、今日死のうが、そういうことには蝉は頓着しない。
持っておる全部を吐き出して、ジューとやるところに、いわれぬ妙がある。
それを芭蕉が見たに相違ないのです。
蝉は、「やがて死ぬ」などという先のことに気をとらわれないで、
ただ今ここで自分が持っている全てを出し切っている。
今に精一杯生きて、小さいながらも自分の存在を宣言する蝉、
芭蕉はそこに着目した。これが大拙の解釈です。
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同じ俳句のはずが、「解釈」によってだいぶ印象が変わってきます。
この解釈は、
一章一節「大拙の若い頃」で紹介した
「小さいは小さいながらに、大は大ながらに、
その持っているすべてを表現すればよいのだ、
これがシンセリティ〔sincerity誠実〕だ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という言葉とつながっています。
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メモ記)
禅の大家、鈴木大拙博士が友人の
西田幾多郎氏に「かかる世になにを楽しみとして生きるか」と問われたときに
「呼吸するも快楽なり」という禅の世界であります。
私の看取った一番の高齢者は鈴木大拙師である。
先生は九十歳を過ぎてからも浄土真宗の親鸞聖人の
「教行信証」という教典の英訳にとりかかられ、
まさに、現役の最中で急性腸閉塞を患い、九十六歳で亡くなられた。
先生は九十歳を越えられた時、
秘書の岡村美穂子さんに
「九十歳にならんと分からんことがあるのだぞ、長生きをするものだぞ」
といわれた。
九十六歳での聖路加病院での最期は、実に平静な心が満ちあふれていた。
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☆鈴木 大拙(すずき だいせつ)、
本名:貞太郎(ていたろう)
1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、
禅についての著作を英語で著し、
日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。
著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。
梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。
1949年に文化勲章、日本学士院会員。
名の「大拙」は居士号である。
同郷の
西田幾多郎、
藤岡作太郎とは
石川県立専門学校以来の友人であり、
鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。
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蝉 一つで随分、深い話まで入り込んだ・・・・・・・・・・
煩悩の多い自分が記述しても、それなりのもの
これが修行で極めた人が言うと価値がある。