Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

蝉  (空蝉)

2012-07-31 16:19:46 | 日記
7月31日 (火曜日)  晴れ  夕  もう・はやいなあ~!7月も終わる。

少し庭木の枝でも切っておこうかと思って
カリンの木をカットはじめて
キンモクスイまできたが、丁度蝉の抜け殻が有って写真に撮っていたら
・・・暑くてもうやめにした。
もう少し涼しくなってからにしよう。

ジリジリと暑いのにこの昼さがりの時間の14時~15時、
扇風機のファンの音以外静かである。
気だるさと、眠気を誘う1/fゆらぎ・・・・・・・・
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これってアブラゼミの脱け殻か?
それにしては、今年、蝉の鳴き声をまだ本格、・・・・・・・は聞かないなあ~
まあ鳴かない方がいいんだが・・・・・・・
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写真を見るとこれを思い出す。

空蟬の一太刀浴びし背中かな

              と言う素晴らしい句がある。

こういうのってすごいなあ~!と思う。日本人は!
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又、芭蕉の句に
やがて死ぬ けしきはみえず 蝉の声

この解釈が普通には・・・

人生は無常であるのに、それを悟らぬ人々が種々様々の享楽に耽っていることは、
あたかも、夏の日に蝉がいつまでも生きつづけてゆくかのように
声をかぎりにやかましく啼き立てているようなものだ・・・・。

芭蕉はここに具体的な判りやすい例をもって、道徳的な精神的な訓戒を与えている。

つまり、蝉というのは、土から出て啼きだすと、
ひと夏も生きることができないほど短い命で「やがて死ぬ」。

蝉は、自分がそうした儚(はかな)いものであるとも知らずに、
ただうるさく啼いている。やかましく騒ぎまわるやっかい者のようです。

さらにいえば、人間の命も、蝉よりは長いとはいえ、やがて失われてしまいます。
だから、私達人間も、常に生き続ける者では無いということ(無常)
を知って・・・・・・、
一時の快楽に身をまかせてはいけない
そうした教訓めいた句になっている、というわけです。
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と有りました。

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ところが、
実は大拙の解釈はこれとは全く違います。(禅を世界に広めた鈴木大拙氏)
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次に大拙の解説を見てみましょう。
蝉というものは、まあ、ジュージューと啼きたてて、
ずいぶん神経をいらだてるもんだが、面白いといえば面白い。

ジュージューと何も惜しまず、あとに残さない力を半分出すなんてことはない。

小さな蝉の全部がジューになって出るですな。
それを芭蕉が聞いた。聞くと芭蕉は理屈をいう。

蝉はやがて死ぬのだが、今日死のうが、そういうことには蝉は頓着しない。

持っておる全部を吐き出して、ジューとやるところに、いわれぬ妙がある。
それを芭蕉が見たに相違ないのです。


蝉は、「やがて死ぬ」などという先のことに気をとらわれないで、
ただ今ここで自分が持っている全てを出し切っている。


今に精一杯生きて、小さいながらも自分の存在を宣言する蝉、
芭蕉はそこに着目した
これが大拙の解釈です。

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同じ俳句のはずが、「解釈」によってだいぶ印象が変わってきます。
この解釈は、
一章一節「大拙の若い頃」で紹介した

「小さいは小さいながらに、大は大ながらに、
その持っているすべてを表現すればよいのだ、
これがシンセリティ〔sincerity誠実〕だ」

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という言葉とつながっています。

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メモ記)
禅の大家、鈴木大拙博士が友人の
 西田幾多郎氏に「かかる世になにを楽しみとして生きるか」と問われたときに
「呼吸するも快楽なり」という禅の世界であります。

 私の看取った一番の高齢者は鈴木大拙師である。
 先生は九十歳を過ぎてからも浄土真宗の親鸞聖人の
 「教行信証」という教典の英訳にとりかかられ、
 まさに、現役の最中で急性腸閉塞を患い、九十六歳で亡くなられた。
 先生は九十歳を越えられた時、
 秘書の岡村美穂子さんに
「九十歳にならんと分からんことがあるのだぞ、長生きをするものだぞ」
 といわれた。
 九十六歳での聖路加病院での最期は、実に平静な心が満ちあふれていた。
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☆鈴木 大拙(すずき だいせつ)、
本名:貞太郎(ていたろう)
1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、
禅についての著作を英語で著し、
日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。

著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。
梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。
1949年に文化勲章、日本学士院会員。 

名の「大拙」は居士号である。
同郷の
西田幾多郎、
藤岡作太郎とは
石川県立専門学校以来の友人であり、
鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。

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蝉 一つで随分、深い話まで入り込んだ・・・・・・・・・・
煩悩の多い自分が記述しても、それなりのもの

これが修行で極めた人が言うと価値がある。


野菜収穫(7.31)

2012-07-31 13:08:04 | 日記
7月31日 (火曜日)  晴れ午後になって更に気温がUP

畑で、朝の時間に行き会うのは珍しくSさん。
子供会からのお付き合いで長いこと、夫婦と共にお付きをさせていただいている。

彼も家庭菜園に夢中である。
元々、実家が農業であったので、見よう見まねでか?良く知っているので
野菜作りが上手だ。

家族があまり食べないものでも沢山の野菜を作っている。
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トマトがいっぱい出来たのでいただいた。


昔良く目にし、食べたことのある、瓜とメロンもいただく


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当家のゴーヤも成り始めた。

何本も収穫だ。配ってくる。
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西瓜も、叩いて、良い音の大玉スイカを又2個収穫する。

これは甘そうな予感。


雨がふらなくても、野菜も頑張って結構収穫できる。
茄子胡瓜・ズッキーニ・オクラ・隠元・ピーマン。シシトウは2軒分は十分あり。

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パパさんが本日休みで、嬉しくて朝から”大はしゃぎ”
カッコつけてポーズとり



最近の子は写真に撮られ慣れしてるのか・・・
私などは、直立不動に近い写真で緊張したものだが・もっとも写真を撮る機会も少なかったが・・・。

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瓜と言えば

このいただいた瓜は”はぐら瓜”だと思う。

3年前に作ったことがある。沢山獲れた覚えが有るが、
キュウリの歯触り味にかなわなかったなあ~!

WEBで調べてみると、ある方によると
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『地方野菜大全』によれば

れっきとしたシロウリだが、成田市付近では「ハグラウリ」とも呼んでいる。
本種はマクワウリとの自然交配したものと思われ、

歯のぐらつく人でも食べられるので、この名がついた。

以前には白皮もあったというが、現在は青皮だけになり、薄い縦縞が入る

ほとんどが「鉄砲漬け」に加工され、成田山新勝寺の参
詣客向けの店でお茶漬けやお土産になっているのだそうです。

そこで
成田市やその周辺のハグラウリ栽培は大正初期に加工業者に納入した。
……かつては確かに白皮の在来種があって、印旛郡富里町周辺でつくられていたが、
この系統は高温着果性であった。それでもこだわって作る人はいたが、
低温期でも着果性のよい青皮系の品種が出回るようになると、いつの間にか消滅してしまった。
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「鉄砲漬け」はプロの加工業者にまかせるとして、
浅漬けの作り方がありました。

本種の浅漬けは、芯を抜いたウリに、塩としそを巻いた唐辛子を詰め、
重石をのせて一晩漬けたものである。
一般家庭の夏の漬けものとしても重宝がられている。


わたくしは、もっと簡単に、半分に割ってタネをとり、
しそと唐辛子と塩をまぜて、重石をのせて一晩漬けてみました。

食べるとほんとうにやわらかい。
お塩が足りなかったので、ポン酢を少したらして…。
さわやかで・・・おいしかった・!
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と、記述が有りましたので、真似てみよう。

瓜売りが瓜売りに来て瓜売り残し 売り売り帰る瓜売りの声

こんな早口言葉もあったなあ~!



子供花火(7.30)

2012-07-31 11:22:11 | 日記
7月31日  (火曜日)  晴れ  今日も昨日同様に熊谷は36度予想

夕べは、思い出したように孫君が”花火をする”と言いだして
夕食前に簡単なお付き合いする。


最後に線香花火 だ!






バカチョン・デジカメでの”花火撮影”は難しい。なあ~!
蚊に刺されてしまった・・・痒い。
孫君は火薬の煙を一度に吸い込んだのか、むせて・・先に家の中に入ってしまった。
あとかたずけも結構面倒だ!

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今朝3時は”体操男子の演技”をTV観賞。

少しは体操をやっていた経験があるので、実際に何処が凄いことなのか良くわかる。
どの選手も素晴らしいし、凄いが、元々、素質が無いと、ここに来るのは無理だ。

素質に加えて更に努力をした人が、オリンピックに出場している。
更に良いコーチに恵まれることかな!

それにしても”あん馬”など、手だけによる支えでバランスをとって
施回をするのは不思議だ。

私は高校クラブ活動で毎日、あん馬を練習してようやく・・・・・・
2年生になってから、順方向の施回が出来る様になった、奥手だ。

先ずは肩などの筋力を強化して、体全体を釣りあげられる様になってから
回転の練習だ。まずは基礎体力作りが重要。

良く見れば、気がつくと思うが、回転は逆の施回もしているんですよ!
通常時計回りである。 簡単にやっていますが・・これは、難しいです。
使い分けをしています。

オリンピック出場する人は、英才教育で、ジュニア時代から飛びぬけて凄いんですよ。
信じられないです。
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なんてことを思って見てました。
しかし落下すると自分が試合中に落ちた事を思って、ヒヤ汗が


  

雷電神社(参拝)

2012-07-31 09:48:07 | 日記
7月30日  (月曜日) 晴れ

この暑さに、体が慣れろ!と言っても無理がある。この頃だ。

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”言うまいと思えど今日の暑さかな”
それにつけても雨の欲しさよ、ここ毎年この関東内陸部は、厳しい夏だ。

下の句を”それにつけても金の欲しさよ!”に変えてみたら・・愚痴になる。か!

今の心境”それにつけても孫のうるささ”
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雨が降らず、流石に野菜も実りが悪い。特に胡瓜と隠元。

逆に、茄子と胡麻は日照が良いと言うより強いらしい。元気に育っている。
三尺ささげも今が盛りと一日で5CM程伸びている。凄い生命力だ。

朝、早めに畑で土をスコップで起こしていたら、
孫が自転車を転がしながら”ばあちゃん”と散歩に現われた。
もうゆっくりはやっていられない!

早めにかたずけて・・・・自転車を車に積み込んで帰りへ・・・何処かに寄りたいと言うので
27.28日が祭りには行けなかったのですっかりかたずいているが雷電神社に参拝を兼ねて
少し立ち寄る。











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案内板由緒-
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 上之村神社は、古くは久伊豆神社と称し、室町時代、城主成田氏の崇敬が厚く、応永年間(1394~1418)に成田家時が社殿を再建したと伝えられています。

 江戸時代に入り、慶長九年(1604)に徳川家康から三十石の朱印地を与えられ、
明治二年(1869)には本殿の構造は一間社流造で、屋根は銅板葺(もと茅葺)です。

軒回りの蟇股・手挟などに十二支の彫刻が彫られていて、木割は雄大です。


 雷電神社は上之村神社の摂社で、本殿の構造は蟇股の彫刻など一部を除き、上之村神社とほとんど同じです。木割は上之村神社に比べて繊細で、規模もやや小さなつくりです。

 社務所に保存されている旧本殿の扉には、

「観音(梵字)奉修造雷電宮御宝前戸扉大壇那藤原朝臣長泰 
武州崎西郡忍保宮山之内□年戊午五月吉日願主□」という銘文が記されています。

戊午の年は永禄元年(1558)と推定され、この年に忍城主成田長泰が、
雷電神社の内陣の扉を修理し寄進したことが考えられます


 指定名称は歴史的な背景から考えて雷電神社となっていますが、現在は、大雷神社と称されています
 両本殿の建築年代については、上之村神社本殿は、江戸時代初期と推定され、雷電神社本殿は彫刻類の絵の様式から、それよりやや古いと推定されています。

 両本殿とも建築当初の姿をよく残し、桃山末期から江戸初期の建築様式を伝える貴重な建造物です。


-社前の堤-

応永年中(1394-1428)成田郷の領主成田家時が
従者と館の東にある森の小祠の前を芦毛の馬に乗って通った時、
何に驚いたか馬がハネ上り家時は落馬してしまった。

何んの神様の祟りかと、附近の老人に聞いてみると、
この社は久伊豆神社と雷電権現で、この神様は芦毛の馬に乗ることから、
神前を芦毛の馬に乗って通る者は必ず神罰を蒙る伝えがあり、そのためだったという。


 家時はこの神威に驚き乗馬の芦毛を神馬として奉納以来当社を崇敬し直接神前を通るのは勿体ないとこの堤を築かせたという。

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コンビニに入ったところで
救急車が、お客さんが調子悪くなったようだ!
どうしたんだ!熱中症か?

孫が好きなものを買って帰宅・・朝ごはんだ!
暑くなってきた・・眠くもなった。

早く、夏休みが終わらないと、こちらがまいってしまう。
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ムクドリ

2012-07-29 20:28:18 | 日記
7月29日  (日曜日) 晴れ   夕

家の前を通る電線にこの時期の夕方6時過ぎごろになるとムク鳥が沢山止まる。

最後は森か林や竹藪の中に入って寝るんだろうが
何処もここも糞被害で枝切りが進んで、
行く場所が少なくなってきたのであろうか?

しかしいっぱいいる。
それに、うるさく、ギャアギャア・・・鳴くのでうるさい。
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大きく手をはたいて音を立てると一斉に飛び立っていく。
孫君も一生懸命手をはたいたが・・・逃げない。


案外に大きい鳥です。(スズメ科)
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ムクドリ

体長24cmほど。

主食は昆虫で害虫などを食べてくれるので昔は益鳥として大切にされてきた。
最近は都心の木々の通りでは毎年6月から12月の間毎夕方になるとやってくる。

雑食性で、
ミミズ、両生類、昆虫、コムギ、エンドウ、モモ、リンゴ、カキなどを好む。

秋に採餌したネズミモチ、イヌツゲ、エンジュ、ヘクソカズラなどの実が
採集されている。
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雛の餌にはケラの幼虫、チョウ・ガ類の幼虫といった動物質が多い。
土の中に嘴を差し込みながら採餌を行う。

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