稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

小学校の思い出(音楽の時間)

2017年03月18日 | つれづれ
書く前に断っておきます。
過去の「負の記憶」としてますが、けっしてマイナスには取っていません。
所詮は人と人とのことであり勘違いや誤解があって然るべきです。
良かれと思ってしたことが間違いであったことなどいくらでもあります。
誤解が生まれるのは自分自身の行動にも問題があったのです。
経験をプラスに出来るかどうかで人生の幅は決まります。
小川先生も倉富先生も好きではありませんでしたがまったく恨みはありません。

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音楽の先生は眼鏡をかけた神経質な先生だ。
アルバムにもあるが、あえてこの人は紹介しない。

小学校の6年生だったと思う。
音楽は好きだったが楽譜が読めない。
読めない者に作曲をしろという授業だ。
一生懸命に作って自分なりに演奏して気に入っていた。
先生は何度か私の楽譜を覗き込んだが特に何も言わない。
何も言われないのでそのまま提出した。
あとで先生は全員の作曲をピアノで弾いた。
私の曲はトンでもない聞くに堪えない曲になっていた。
根本的に楽譜への書き込みに間違いがあったのだ。



クラス全員で合唱の授業。
何度やっても先生は首をかしげる。
合唱中に先生が回ってきて一人ずつ耳に手を当てて聴いて回った。
私の前で私の歌を聞いた瞬間、「君やな」と言われてつまみ出された。
私だけ歌わなくて良いと言われ授業は続けられた。
私は楽譜は読めないが歌には自信があったので誤解だとは思っていた。



合奏ではシンバルの担当となった。
楽譜は読めなくてもシンバルは出来る。
打つべきところと強弱だけだ。
名誉挽回の機会だからと一生懸命練習した。
発表の直前になって、いきなり「粕井君は好きに打っていい」と言われた。

君は完璧だから「任せたよ」という意味か?
シンバルなんてどうでも良い楽器だから適当で良いという意味か?
よくわからなかったが出鱈目に打ったら叱られるのは目に見えている。
これはワナかも知れないと、しっかり練習したとおりに演奏した。

これはこちらが悪いのだが、
1度、木琴の下に潜り込んでぶら下がって遊んでいた。
音楽室から体育館への移動中の廊下で大勢が移動中だった。

先生に見つかってしまい「これは殴られるかも知れん」と思ったが、
案外と普通に叱られて解放された。これは意外な思い出だ。
学年の異なるたくさんの生徒の前だから叱れなかったのかも知れない。

音楽の授業をどこかの偉い人が授業参観に来られた。
私を含めて3人か4人が大人しくしなかったので授業が終わってから別室で叱られた。
(確か給食の後に配られた虫下しの箱をエレクトーンの鍵盤で飛ばして遊んだ)
(虫下しはチョコレート味で、確か「チョコロン」という名の虫下しチョコだと思う)

それだけに終わらず親の呼び出しを食らい親子で謝罪させられた。

6年生にもなると世の中の裏表は大体わかってきているので、
何を言われても横から見て観察するような余裕が出来ていた。
呼び出し食らって泣いていた者もいたが私には観察する余裕があった。
けっこうヤンチャもしたし、成績も凡庸で良い生徒でも無かったので、
先生たちに可愛がってもらえなくても「まあそんなもんやろな」と思っていた。

この音楽の先生にはマジで嫌われていたようだ。
合唱も合奏も呼び出しも、イジメだとは思うが特に何とも思わなかった。
こちらも経験を積み強くなって余裕で受け止めていたように思う。
可愛い生徒では無いのは確かだ。

小学校の思い出はたくさんあるが、先生の思い出はこれでオシマイ。
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