続きである。
翌日、出勤前に家の近くの神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑に寄ってみた。
ここは自宅から1キロほどの距離だが、その存在はずっと知らなかった。
(富雄川沿いの出垣内バス停近くにバイクを停める)
(神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑と、天忍穂耳神社の案内)
(神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑)
(東征の時に長髄彦を討つおり金鵄を得て、のち鵄邑とした・・とある)
(この碑は皇紀2600年・昭和15年に建たてもの)
(奥まで登ると天忍穂耳神社があった)
(神社は小高い山の上にある)
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)は日本神話に登場する神。
アマテラスの子で、地神五代の二代目。
(そこそこ高低差があり、深い山の中にいるような気にもさせる)
調べてみると長髄彦(ながすねひこ)は、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)。
ここに「登美ヶ丘」の「登美」の文字を発見する。地元の有力者であったそうな。
主君は邇芸速日命(にぎはやひのみこと)で、神武天皇に抵抗したため、
主君の邇芸速日命によって殺されたのだそうな。
神武天皇の東征の話は、地名にあちこち残っていて興味が沸いてきた。
事務所の近くの「盾津」という地名も、盾を並べて防戦した場所だという。
gogleの地図で周辺を調べると、興味深いものがいくつもある。
ヒマを見つけて訪問してみようと思う。
(生駒市上町の鵄(トビ)山バス停)
(饒速日命(にぎはやのみこと墳墓)
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)の妻は長髄彦(ながすねひこ)の妹で御炊屋姫(みかしやひめ)である。
御炊屋姫(みかしやひめ)は別名、登美夜毘売(とみやびめ)とも言う。
(ここも毎日通う道のすぐ脇にあるがまだ寄っていない)
(王龍寺は父母の墓がある寺である)(ここにも鵄(トビ)神社があった)
金鵄(きんし)は、『日本書紀』に登場し、神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄。
鵄はトビであり、トビ、トミ、トリミは同じものを差している。
ひょんな事から、日本書紀や古事記に興味が出て来た。
日本の神話を読んで、あらためて地名を見ていくと面白いかも知れない。
(師匠の店に寄ってみたがあいにく閉まっていた・・・残念!)
翌日、出勤前に家の近くの神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑に寄ってみた。
ここは自宅から1キロほどの距離だが、その存在はずっと知らなかった。
(富雄川沿いの出垣内バス停近くにバイクを停める)
(神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑と、天忍穂耳神社の案内)
(神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑)
(東征の時に長髄彦を討つおり金鵄を得て、のち鵄邑とした・・とある)
(この碑は皇紀2600年・昭和15年に建たてもの)
(奥まで登ると天忍穂耳神社があった)
(神社は小高い山の上にある)
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)は日本神話に登場する神。
アマテラスの子で、地神五代の二代目。
(そこそこ高低差があり、深い山の中にいるような気にもさせる)
調べてみると長髄彦(ながすねひこ)は、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)。
ここに「登美ヶ丘」の「登美」の文字を発見する。地元の有力者であったそうな。
主君は邇芸速日命(にぎはやひのみこと)で、神武天皇に抵抗したため、
主君の邇芸速日命によって殺されたのだそうな。
神武天皇の東征の話は、地名にあちこち残っていて興味が沸いてきた。
事務所の近くの「盾津」という地名も、盾を並べて防戦した場所だという。
gogleの地図で周辺を調べると、興味深いものがいくつもある。
ヒマを見つけて訪問してみようと思う。
(生駒市上町の鵄(トビ)山バス停)
(饒速日命(にぎはやのみこと墳墓)
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)の妻は長髄彦(ながすねひこ)の妹で御炊屋姫(みかしやひめ)である。
御炊屋姫(みかしやひめ)は別名、登美夜毘売(とみやびめ)とも言う。
(ここも毎日通う道のすぐ脇にあるがまだ寄っていない)
(王龍寺は父母の墓がある寺である)(ここにも鵄(トビ)神社があった)
金鵄(きんし)は、『日本書紀』に登場し、神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄。
鵄はトビであり、トビ、トミ、トリミは同じものを差している。
ひょんな事から、日本書紀や古事記に興味が出て来た。
日本の神話を読んで、あらためて地名を見ていくと面白いかも知れない。
(師匠の店に寄ってみたがあいにく閉まっていた・・・残念!)
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