稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

饒速日命(にぎはやひのみこと)の三本の矢を訪ねて(奈良県大和郡山市)

2020年10月05日 | 旅行や街角メモリー
ニギハヤヒノミコトは、日本書紀では饒速日命、古事記では邇藝速日命と記される。
神武天皇の東征にて、大和の登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が奉じた神である。
 ※登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)=長髄彦(ながすねひこ)。
 ※神武天皇より先に大和に来ていた天照大神の孫にあたる。

その饒速日命(にぎはやひのみこと)が、交野の磐船神社に降臨し、
宮を築くところを決めるため3本の矢を放ち、矢が落ちたところが矢田の3つの矢塚である。



上は3つの矢塚の位置。
場所は奈良県大和郡山市矢田町。


【一之矢塚】



これがわからなくて、バイクを置いてから炎天下を約1時間歩き回った。
行ったのは5月だが、地元の農作業中の方に聞いても「知らない」と言われた。
さんざん探して諦めかけた頃、ひょこっと目の前に現れた。

探す目安を説明する。
近鉄郡山から見て、奈良県道189号矢田寺線を西(矢田寺方面)に進む。
矢田寺の入り口、横山口歩道橋の手前約60mの農道(車が1台進める道幅)を南東に200m。
ここから畦道。地図上で、一之矢塚の上の矢印方面に撮った写真が下。



赤〇印の中に小さく写っているのが一之矢塚。
細い電灯柱の脇の畦道を下に降りて行くとたどり着く。



この電灯柱は「市・通学路灯・200433」とある。これを目印とすると良い。


【二之矢塚】



これは神社の中にあってわかりやすい。
矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)は別名「矢落(やおち)神社」という。
所在地は奈良県大和郡山市矢田町965。祭神が饒速日命(にぎはやひのみこと)。
饒速日命が天磐船に乗って空を飛び降臨したというので航空祖神として崇められている。



久志玉比古神社の楼門にはプロペラが奉納され吊られていた。


【三之矢塚】



二之矢塚より500mほど北に行くと邪馬台国想定地の碑があり、その脇にある。



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伝承 邪馬台国想定地(三の矢塚)
旧事本記によると古代豪族物部氏の祖神饒速日命が「天神の詔(みことの)りを受け天磐船(あまのいわふね)に乗りて大虚空(おおぞら)をかけめぐり、この郷を巡りて天降ります。即ち虚空(そら)見つ日本国(やまとのくに)というは是か」とあります。
この時天神より「天の羽々矢(はばや)」「天の羽々弓」を賜り祝(ことほぎ)て三本の矢を射放ちて其の落ちた所に宮居せんとのたまいしと伝えられている。この三の矢塚は三番目の矢の落ちた所で土地の人々も昔からこの地を「みやどこ」(宮所)と呼んでいる。二の矢は五00米南の矢田坐久志玉比古神社の境内に磐船(いわふね)の破片といわれる磐座のあるところ、更に五00米余り南方には今も小字「一の矢」と呼ばれている土地がある。
物部氏の祖神饒速日命を祭神とする矢田明神社を中心に南方はるか三輪山、大和三山などを一望できるこの要害の地こそ、物部王朝邪馬台国説による、女王卑弥呼の宮居した伝承地にふさわしいと考えられる。
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 ※矢田明神社=久志玉比古神社



邪馬台国想定地の碑の前で。(スズキバンバン200)


【感想】

無事に三か所を確認出来て良かった。
このあと南下し、王子から柏原市を抜け、北上して職場に向かう。

通勤途中にちょっと寄って写真を撮るつもりが午前中いっぱいかかってしまった。
汗だくになり、くたくたに疲れたが、目的を果たせて大満足である。
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