稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

大東市住道界隈をバイクで散策

2020年05月25日 | 旅行や街角メモリー
昔から旧道をなぞりながらバイクで走るのが好きである。
東京勤務だった頃は、日本橋小伝馬町から千葉の自宅まで、
わざわざ昔の海岸線を時間をかけてたどっていった事もある。

この日は財布の中からコーヒー無料のサービス券が出て来たので、
使用期限の切れる前に大東市新田旭町の「となりのごはん」という定食屋に行った。
ここの定食はボリュームがあってお腹の空いた時には重宝する。

食事が終わって、真っすぐ帰る気にもならず、何気なく旧道に寄ってみることにした。
昔の古堤街道、野﨑街道の大東近くのみ・・・だが。

野崎街道は、大東市野崎にある曹洞宗時慈眼寺(野崎観音)へ参拝する道で、
江戸時代の延宝の頃から明治時代まで大変な賑わいを見せたのだそうな。
正式には古堤街道の一部としての名称が野﨑街道である。
いずれにしろ定食屋から事務所までの帰るだけの、ほんの寄り道である。


(聖徳太子を祀った太子堂前にバイクを停める )


(とりあえず1枚自撮り)


(太子堂のかわいい本堂)


(となりの太子田大神社の説明文 )

説明文を読むと、もともとこの付近に善根寺という寺があり、
その寺が明治6年に廃寺となったおりに善根寺にあった聖徳太子像を安置したとある。

これを見て驚いた。
善根寺は10数年前に、とんど堂が事務所を構えていた東大阪市善根寺町という地名に残る。
この太子堂からは数キロ東側になり、この地の善根寺と何か関係があるのだろうがわからない。
善根寺に事務所を構えていた時、善根寺という寺はどこにあったのか気になって調べたこともあった。
いずれこの善根寺との関連性を調べてみたい。


(名前の割りには小さな太子田大神社)

大東市公式サイトの「だいとう新今昔物語」というページから拝借



太子堂の敷地内の善根寺の石碑は見なかった。
こんど時間のある時に、京橋あたりから古堤街道を走ってあちこち確認するつもり。


(北野神社)


(泉勝寺)

上の2つは通りかかったので撮影してみた・・・だけ。

ちょっとした寄り道的な旅が好きである。
仕事の合い間の、ほんの気晴らしである。
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