稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№117(昭和63年1月15日)

2020年05月24日 | 長井長正範士の遺文


さて、案内の職員に丁寧にお礼を言って、愈々(いよいよ)先生が校務員室に入られますと、見るからに見窄らしい菜っぱ服の片眼のおっさん(そんな感じの)が一人ぴょこんと椅子に腰かけています。先生は想像をしておりました人よりも余りにも風采の上らん野暮ったい方なので、一瞬戸惑いましたが、総長先生の言われた通り、どこ知ら、並みの人間と違うように、直感いたしましたので、失礼であってはならぬと、すぐ思いかえし一寸礼を致しまして、傍らの椅子にかけ、早速右手を前に出し、人指ゆび一本を上にむけて、彼(以下、校務員を彼と申し上げます)の前に出しました。

彼は客が座るなり、すぐ指を一本出すので、そんな事、わからいでかと言わんばかりに、むっとした顔つきで、すぐさま指二本を出しました。驚いたのは先生。早速それに対して指三本を出しますと、彼はすばやく、それも言うなら、こうではないのかと言わんばかりに、不機嫌な顔つきで右手を高々と挙げ指全部を握りしめて見せましたので、先生はハッと胸をつかれ、彼のその見事な応答ぶりに、これは完全に参りました、大変勉強させて頂きましたと言わんばかりに顔も青ざめ乍ら誠に失礼しましたという表情で直ちに立ち上がって、深々と頭を下げ、丁重に礼をされ、アタフタと、つたい廊下を小走りに総長室に戻られたのであります。

今や遅しと待ち構えていた総長は、先生の青ざめた顔色を見て、これは一大事、何か失礼なことをあれが仕出かしたのではあるまいかと、心配し乍ら、さあ先生、まあおかけ下さい、お茶を。と言い乍ら、先生にこわごわどうでございましたか、彼は先刻も申し上げましたように、不断は大変いい人物ですが、何しろ短気なところがあり、このたびの問答で、何か先生に失礼な態度をとったのではないでしょうか、すみませんでした。

とその労をねぎらう旁ら、お詫び致しましたところ、先生は、いーえいえ、とんでもない、あの校務員さんは流石、総長先生の仰る通り、ご立派なお方です、恐れ入りましてございます。始め私が校務員室へ入りますと、あの方は身なりこそ質素でありましたが、椅子に腰かけられていて私を見据えておられまして、私の眼の中まで見抜いておられるかのように尊厳な面持ちで何か知ら私に迫るような感じが致したので一瞬戸惑いました。と申しますのは、いい加減な問いでは失礼に当ると思いましたからです。

そこで思いきって問答にかかりました。最初、私が指一本を出しまして「万物唯心ただ一つと思いますがこれ如何に?」と問いますと、あの方は早速指二本を出されまして『万物は天地の二つ(陰陽)から成っているんだ。』と、いとも簡単な問いにややお叱りのご様子に見えましたので、私は早速指三本を出しまして「この世は天、地、人の三つから成り、三千大千世界の心理ここにある。と思いますが」と問い返しますと、あの方は間髪を入れず、五本の指を全部折り曲げて握りしめ、腕を高々と挙げ『それを言うなら、結曲、合して一体となるのではないか』と厳しく教えられましたので、あの方の聡明な悟りに対し、圧倒され、さすが総長先生の仰る通り誠に徳の高いお人柄と感銘を受けまして深々と頭をさげ、敬意を表し、わが身の修養の至らなさを恥じつつ退散して参りました次第です。あんなご立派な校務員さんをもたれた総長先生をうらやましく思います。と大変恐縮し乍ら話されたのであります。


これを聞いた総長先生は、やれやれ失礼な態度をとらず、最後まで怒鳴ることもなく、無言で応答してくれたもんだ。よかった、よかった。それにしても何んと当意即妙な答えをしたんだろうと内心疑心暗鬼乍ら・・・

(以下続く)
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