稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№118(昭和63年1月15日)

2020年05月26日 | 長井長正範士の遺文


ホッとして、いやー先生に、そんなにお誉め頂くほどの人間ではありませんが、私もうちの大学の校務員として勤めて貰うには勿体ない人物と思っておりましたので、先生に実際問答をして頂いて、お試し願ったわけですが、私の思った通り、先生のお眼鏡に叶って、こんなうれしい事はありません。どうもお忙しい中を来て頂きまして本当に有難うございました。と丁重な挨拶をし、礼を厚うして車でお帰り願ったのであります。

さあ、そのあと気懸りなのは校務員です。一体どんな応対をしたんだろうと、早速校務員室へ行きますと、彼はびっこ乍らも、すくっと立ち上がり「おい総長!えらい恥をかかしやがったなー、日本一のえらい先生だかどうか知らんが、お前のたっての頼みやさかい、最後までえらい辛棒して、あいつと問答したけど、もう腹が立って腹が立ってしやーなかったわい。」と怒鳴ったので、総長は、すまん、すまん、最後までよう辛棒してくれたのー。所でどうだったんだ。始めから教えてくれへんか。と言いますと彼が言うのに

「彼奴入ってくるなり、俺に向って指一本出しやがって、お前の眼一つやないかとぬかしやがったんだ。そいで俺カッとなって、すかさず指二本出して、お前の眼、二つ揃っているからと言って偉そうな事ぬかすなと、やりかえしてやったら、あのがき指三本出しやがって、俺とお前の眼を合わせると三つやと、まあなんと、ぬけぬけと腹立つことをぬかして俺を馬鹿あつかいにしやがったので、とうとう俺は頭にきて、グワッと拳骨であいつを殴ったろかと、精一杯ふりかぶってゼスチュアすると、あいつ青なって、びっくりして慌てて逃げてゆきよった。あんな奴、どこがえらいんや、総長も総長や、俺をまんまと騙しやがって」とぷんぷんです。

総長は『すまんすまん、そう怒るな、機嫌直してくれ、そんな筈ではなかたんや、ほんまに申し訳ないことした。これはほんのわたしのお礼のしるしだ、心よく受取ってくれ』と何がしのものを包んで渡して早々と総長室へ戻ったのであります。

話は以上で、一席の笑い噺ではありますが、われわれはこの噺の中に何かを知ることが出来ます。あとで総長は独り微笑んで、自分の実験して見た大芝居が物の見事に大当たりして、今回の心理学の研究が具体的にいかにうまく役立ったか底知れぬよろこびを胸に抱きつつ、次への研究と向ったのであります。

さて如何でしょう?先の豆腐問答と言い今回の創作による問答と言い、一つの共通点を見出すことが出来ます。それは先ず善意に解釈すると何事も善い事のように見えるものです。その反対に悪意に解釈すると何事も悪い事に解釈しがちであります。われわれは善意に解釈した方が相手を傷つけずに、自分も亦、心安らぐものであります。然しこの話のように人の心の動きを見ると余程心しないと、こんな結果にもなりかねないのであります。

偏屈で程度も低い凡人を、心理的に偉い人だと思わせると、知らない人まで、みんな本当に偉い人だと思い込んでしまい、こんな結果になります。だからわれわれは皆から剣道が強いとか偉い人だとかあがめられて、自分はそんな実力もないし、立派な人間でもないのに思い上がってしまい、いつの間にか自分からそうだと思い上がってしまうと、人間もそれでおしまいでありますので、心すべきであります。われわれ剣道人は剣をもって心を求め、心をもって道を求める精神を忘れてはならないと思います。

この項終り
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