稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.11 剣道の理想境は大自然に溶け込んだもの(昭和60年2月1日)

2018年06月13日 | 長井長正範士の遺文



私の竹馬の友である興生産業の社長(現在会長)巽義郎君が昭和四十七年三月、
会社の横に「やまびこ会館」なるものを創立して、社員だけでなく、
広く地域の皆さんに開放して、詩吟、書道、生花、小唄、うたい等のおけいこごとを始め、
研究会や談合の場を作り、又一階には誰でも利用出来る落ち着いた喫茶室等を設け、
地域社会に溶け込んだ会館を発足した機会に、
私は巽君が会館の名前を「やまびこ」とつけた真意を悟り、
心から絶大ななる敬意を表し、私共剣道家の大いに学ぶべき所だと、
その機会に書き記したものを次に書き留めておきたい。

「やまびこ」は山の精霊、こだまであり万物の根源をなすとと考えられる気、物の霊である。
こだまは木の霊と書き樹木の精霊である。やまびこは即ち反響である。
国鉄のこだま、ひかりのように単なる早さをとりあげるだけではなく、
こだまは私共人間のの遠く及ばない樹木の精霊であり
神がかった人間の理想境にある精神的なもので人間の境地である。
死生を超越した人格完成につながる最高なものと解釈する。

自然は美しい。然も厳黙として万物の道理に寸分たがわず叶っている。
自然には無理がない。万物すべて大気自然の中に含まれている。
宇宙天地の大自然は威大にして無限の愛によって私共を包含していてくれる。
若し私共人間が大自然に対する感謝報恩の念を忘れ、これに逆らうならば、
自然の脅威によってその非なる所を思い知らされるであろう。

人間はこの大自然の恩慧を蒙って、すくすくと育ち、偉大なる愛情のぐところに包まれ、
自然に溶け込み、無理なく天地自然の道理に叶った生活をするのが人間の道であると考える。
さすれば自然とは何なのであろうか。
辞典には人間の力を加えない物ごと、その儘の状態、なりゆきとある。
如何に文明の世の中になっても人間の力によって自然は造れない。
なぜなら自然こそ人間最高の道徳であり、
大宇宙大自然創造の神のなせるわざであるからである。

私共は人間わざで不可能な艱難(かんなん)の境地に達した時、
神だのみをし、神佛の加護を信じ詣でるのである。
自然はこのようにして宇宙の存在する限り、愛をもって人類は勿論、
あらゆる生物を育んでくれているのである。

さて万物の霊長たる人間の値打ちは一体どこから出てくるのであろうか。
それは愛である。
己を愛し、家庭を愛し、隣人社会を愛し、やがては日本民族の愛に目覚めてゆくのが
人間としての道であると考えている。
これがため、先ずしっかりと己れを見つめ、己れを見失わず、真の己れを知ることである。
こうして「こだま」のように広く広く響き渡るように
広く世界の人類愛に目覚めるべく修養するのが人間としての道である。

道とは人間が目的地に到達するために、どうしても歩まねばならぬ正道であり、
凡そ道とつくものものの一切、夫々歩む道は違っても、行く到達点はただ一つである。
この到達の極点は誠である。誠は真事であり、偽り飾らぬ情であり、
人に対して親切にして欺かない誠意である。
「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道也」と、
この誠を実行するのが人間の道なのである。

剣道も亦、然り。
互いに抜き合わした剣の中に、天地自然の理法が叶った修練によって
誠の人間を作りあげる道であると省みる時、巽会長の名ずけた「やまびこ会館」を
つくづく深遠にして思慮の深い名称であることを思い知らされた。
私共の剣道の修業も大宇宙の真理を包含した自然に帰るべくあくなき精進を続けたい。
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