昭和20年 東京に路面電車が走っていた頃
1906年(明治39年)頃。
東京には縦横無尽に路面電車が
走っていた。
私が子どもの頃に、今の都電
荒川線だけになった。
地下鉄が多く開通した事と、車
の交通量が爆発的に増えたため、
東京の路面電車は次々に廃止さ
れたのだった。
本格的西部劇。
1889年。
無法時代の終焉と、それに伴う
「法の時代」への移行期の歪ん
だ権力を描く。
主人公は冴えない少し抜けてい
る老境の牧童だ。
だが、仲間を思う心と義侠心は
他の誰よりも澄んでいた。
そうした主人公が47年来の殺さ
れた友のために銃を取る。
最初は敵討ちのためだったが、
その殺人事件にはどす黒い権力
欲の真相が隠されていた。
親友であり雇い主でもあった
牧場主の殺害事件の犯人にされ
てしまった主人公は、真実を
訴える為よりも、友への弔い
のために立ち上がるのだった。
「カッコいいガンマン」が主人公
ではない西部劇だが、良作。
トミー・フラナガンが演じる主人
公レフティは、半世紀以上前の
イーライ・ウォーラックを彷彿
とさせる。イーライは悪役だった
が、この作品でのトミーは、朴訥
すぎる真面目な牧童を演じきって
いて好感がもてた。演技も巧い。
さあ。
年末年始には西部劇映画を観まく
ろうと思っている。
最低50本は観るつもり。
高校の時、S特進クラスの担任は
元早大社学同だった。私の人生に
一番大きな影響を与えた人物だっ
た。
その担任は「映画は年間200本観ろ」
と言った。
まだビデオもDVDも存在しない
時代にだ。
ほぼその数近くを観た。フィルム
センターや夜の文芸座や三百人劇
場や高校近くの「映画館」という
喫茶店で。
そして、何が見えたか。
見えないものが見えて来た。
見えない敵はまだ見えなかったが、
18才になる手前で見えて来たもの
はあった。
その担任は私が卒業すると同時に
うちの高校を見限って開成に転勤
した。副校長(教頭)にまでなっ
たようだ。早稲田文学の人だった。
その後、今世紀に入りネットで
愛知県の中高一貫進学校の校長
になったのを知った。
スヌーピーみたいな顔をした人
だった。
恩師だが、私が社会人になり、
二人で飲んでいても痛快だった。
理知的な広島県出身の人。
私が知る「知性の人」は弘中
淳一郎氏と高校時代のその担任
だった。
映画を観る事の喜びの薫陶は
担任教師だった彼から受けた。
高2のある日。
担任は現国の授業の時に言った。
「君たちは僕のこのくだらぬ
講義など聞いているよりも、
鎌倉の海に行って、海を眺めて
いたほうがずっと為になる」と。
翌朝、私は地下鉄には乗らず、
山手線で東京駅まで行き、そこ
から横須賀線に乗って北鎌倉で
降りた。
そして徒歩で鎌倉の海岸に出た。
北鎌倉から海岸までは2.5km程
だ。鎌倉駅で下りずに北鎌倉を
選んだのは、平日とはいえ、喧
噪が感じられる鎌倉駅を避けた
からだった。
湘南海岸に出て、暫く由比ガ浜
で海を眺めていた。
かなり時間が過ぎてから、私は
砂を払って立ち、稲村ケ崎まで
歩いた。
江ノ電に乗ってから幼い頃に育
った町である藤沢で湘南電車
に乗り換えた。
そして、都内に帰った。
日はとっぷりと暮れていた。
翌朝、学校で担任が言う。
「おまえさんは、昨日なんで
登校しなかったのだ?」と。
「鎌倉の海を見てました」と
私は言った。
すると、さすがの早大番外地の
今は教師というやくざな稼業の
彼も呆れていた。
なぜやくざな稼業か。
早稲田の人間は大学を中退して
やりたい事をやるのがまともな
のである。
早大一文にいながらあの激動の
時代に教職課程もちゃっかり履
修し卒業して、教師になって安
定した職業を得るなどは、早稲
田人からしたら番外地であり、
やくざな稼業なのだ。そういう
のは慶應の奴らがやる事だ。
残念ながら今は早大第一文学部
は学部そのものが消滅した。
個人的にも言い知れぬ寂しさも
あり、残念だが、それでいい。
それこそが早稲田ぽいからだ。
海老色イモダサ大学に栄光あれ。
いや、大学当局などはどうでも
いい。学生たちにこそエールを
送りたい。「縮こまるな」と。
これはすべての大学生諸君に。
大学は就職予備校じゃねえんだ
から。
そして、なにが本当はやくざな
稼業であるのか、本作『ワイル
ド・ウエスト 復讐のバラード』
は私たちに教えてくれる。
【急増する外国人観光客】原爆資料館で
インタビュー!広島で何を感じた?
多くの外国人の方々に広島の
原爆資料館に訪れてほしいと
願う。
そして、考えてほしい、と。
だが、日本人さえ多くが訪れて
はいない。
それどころか、訪れた人たちの
中でも「怖くて気持ち悪いから
最後まで見なかった」、「原爆
が落ちたのがうちの町でなくて
本当によかったと思った」とさえ
言う人たちを何人か私は知って
いる。
それは広島県三原市の人と、大阪
出身育ち大阪在住の人だ。
他にも何人も同様の感想の日本人
を知っている。東京から観光で
広島市に来たが、原爆資料館は
観光気分を害するので訪れない、
とか。
また、不倫相手に広島市に密会
しに来たが、原爆資料館?お呼
びじゃないね、そういうので来
たのではないから、とか。
東京本社から広島に出張で来た
企業社長が「資料館?行くわけ
ねえだろ、仕事なんだから」と
言って(ママ)資料館には訪れ
ようともず、翌日のオフタイム
には広島でゴルフ三昧とか。
大阪は原爆こそ落ちなかったが、
東京と同じく空襲で焼け野原だ
った。
そして広島県三原市には原爆も
空襲も無かったが、同じ広島県
の広島市に史上初の原爆が投下
されて人類史上筆舌を尽くし
がたい惨状が現実に発生した。
目を逸らす事は簡単だ。
自分は関係ない、と。
だが、そうした視点は自分をも
ないがしろにする事だ。
「自分の事だけを考える奴は、
自分をも滅ぼす奴だ」とは黒澤
映画『七人の侍』で百姓たちを
救おうと決起した侍大将の島田
官兵衛の言葉だが、この言葉は
深い。
そして、この言が心に刺さらな
い日本人は、国と国民を滅ぼす
人だと私は確信している。
ただ、私は思う。
広島、長崎と原子爆弾を落とさ
れて日本は戦争に降伏した。
しかし、戦争を推進していたの
は軍部でも天皇でもない。
戦争を遂行したのは私たち日本
の国民自身なのだ。
どんなにひどい事をされたかを
強調するだけでは、戦争を抑止
したりする事はできない。
自分たちがどんなひどい事を
やっていたのかを見つめる事を
抜きにしては、真の平和への祈
願などは絵空事だ。
ヒロシマ、ナガサキを語る時、
日本に為された非道を説く事は
たやすい。
だが、そこに至る経緯は、私たち
日本人自身がそれを許していた
だけでなく、それを推進してい
たという歴史の現実から目を逸
らせてはならない。
軍部が勝手にやっていた事では
ないのだ。
国民が強制的であれ、それを
後押ししたから原爆が投下され、
全国都市部は無差別爆撃で数え
きれない人々が殺された。
実行者は連合軍だが、そうさせ
たのは、日本国民だ。
日本国民は自らに自省と自戒の
刃を向けよ。
さもなくば、真の平和の道は
手繰り寄せられない。
神奈川県てすんげ狭いの(笑
しかも、その狭い県なのに、
横浜市が見た目1/4程を占め
ているという具合。(実質的
面積比は19%)
横浜市は太平洋ぞいの鎌倉の
すぐ横まで伸びている。
横浜市の殆どが旧武蔵国だが、
一部は相模国部分も現在の横
浜市になっている。
なので「横浜から湘南へ」と
いっても、車で走って湘南が
すぐ、という「横浜市」のエ
リアもある。
横浜市の典型的な住宅街。
私も子ども時分と学生・社会人
新人時代にはこのような街に
住んでいた。
神奈川県は西に箱根を擁し、
芦ノ湖という湖もある。
また、太平洋である湘南海岸
もあれば、軍港横須賀もある
し、国内最大級の国際港であ
る横浜港がある。
横浜市は広いが、通常「ハマ」
といったら、横浜港周辺から
本牧・根岸あたりまでと丘の
上の山手地区あたりを指す。
まあ、それは「六区といえば
浅草」というような類だが。
だが、横浜市は全国でもたぶん
唯一かと思われる郷土文化があ
る。
それは横浜市の隅々まで、横浜
市民であれば「横浜市歌」を
歌える事だ。もれなく。
これは全国的には珍しいと思え
る。
それが横浜のスタンダードで
デフォルトだ。
勿論、横浜育ちの私もごく普通
に歌える。
横浜市民なら誰もが知っている
「横浜市歌」とは!?【秘密の
ケンミンSHOW極公式2022年3月3日
放送回】
ただ一ついえる事がある。
それは、ホンダレブル250や
1100を「カッコいい」と思っ
てしまう人たちは、カワサキ
には乗らない、という事だ。
層としての質性が全く異なる。
まあ、好みがアーチトップの
箱物かフライングVかの違い
程度なのだが。
カワサキの独擅場(どくせんじょう)
状態をホンダが黙って見ている訳が
ない。
ヤマハに続いてホンダの逆襲が始ま
りそうだ。
人類史上エンジン搭載車の最終段階
に入り、いよいよ面白くなって来た。
ホンダは製造終了となっていた名機
CB400SFの後継機種をどうやら開発
中で、近々に市場にぶち込むようだ。
当初の専門誌等の予想図はこれだった。
まるっきりヨンフォア。
このスタイルならば、カワサキ
ヤマハ好きの私さえも欲しいと
思ってしまう。
ヨンフォアに大昔ティーンの頃
に乗っていたし。
エンジンがSF譲りならば言う事
ない。
(ただ、2019年にCB400SFを
峠で走らせてみたら、やはり
前輪の操安性について、カワ
サキ、ヤマハに比べて劣って
いる事が細かい部分で感知で
きた)
しかし、このヨンフォア風味の
スタイルは予想誌の外れ予想だ
ったようだ。
ホンダは別方向のテイストで
新型400を開発しているらしい。
無難な線でスポーツタイプを
狙うのか。
あるいは、ヨンフォアスタイル
だとGB350と部分的に被るから
避けたのか。
だが、ヨンフォアスタイルか
CBXスタイルにしたならば、そ
れはカワサキがZ900RSでZ1
イメージを出しつつ最新機能
搭載で高次に融合させたマシン
コンセプトと同軸となり、カワ
サキ同様、爆発ヒットの可能性
もあるだろう。
だが、最近のホンダは大外しの
線が新型開発には多い。
予想外の瓢箪から駒ヒットは
レブル250か。
ホンダはエンジンが最高だ。
エンジン屋のヤマハも悪くは
ないが、ホンダはとにかくエン
ジン。
カワサキの良さは圧倒的な操安
性。ヤマハがその代名詞になっ
てしまったが、これはレース
でのヤマハ優位の世界情勢が
ヤマハをしてそこまで評判を
押し上げせしめた。
だが、カワサキの車のハンド
リングは非常に良質な事は事実
だ。
今、カワサキが世界のホンダを
抜いてダントツ独走状態である
のには原因がある。
それは、「漢カワサキ」などと
いうイメージを今の人たちは
求めていない、という点をカワ
サキはきちんと理解して戦略的
攻勢をビシッと決めて来たから
だ。
「まず製品ありき」をカワサキ
は実行したのだ。
ビタリッと寸分たがわず人々の
求める物にきっちりはまる車を
作って世に投じた。少しだけ
カワサキ特有の反骨のテイスト
を乗せながら。
それがZ900RSであり、2018年の
発売以来とんでもない数が売れて
いる。
さらに、オールドスタイルだけ
でなく、中型ミドルクラスで矢継
ぎ早に攻勢をかけ、とどめはビッ
グマシンで世界最速モデルを出し
た。
追撃はそこからも続き、本年、
400ccクラスで市販車ながら80PS
という化け物モデルを市場に投入
した。
カワサキには社内に飛び抜けて
秀でた軍師がいるに違いない。
二輪界の最後の断末魔、いや、
歴史上のラストラップでの国産
各社の度肝を抜く新型車製造発表
による業界の活性化に期待したい。
墳認定を受けているので、切
り崩されての土地利用はされ
ていない。
あたかも大戦中に地図から消
された瀬戸内海の島=毒ガス
兵器製造の島を彷彿させる。
ていない。
葦田駅家が()付きなのは
あった事は確実だが場所が
特定されていない為。
真良(しんら)の東の駅家
は存在そのものが記録されて
いない。これは、律令制の
原則から大きく逸脱するため、
研究者たちは現三原の垣内
(かいち)地区に存在しただ
ろうと推定している。
=リモナイト製鐵の原料とな
る特殊な土壌エリアである。
ソブ。異様なほどの鉄分を
含んだ土壌の証。
赤土を焼成する事で還元に
より鐵(低炭素鉄)が産出
できる。
私見だが、日本の白い神社
と赤い神社は、砂鉄製鐵族
と在来の超古代赤土製鐵族
の対立の名残ではと踏んで
いる。
三原市のカネクサ。鉱脈エリア
に生えている。
製鐵と密接な関係のある鞴祭り
と鏡餅お供えの際に三方の上に
載せる。
このエリアは、古老の話では、
謎の露天掘りの風化した遺構が
いたる所にあるという。
だが、本格的調査を進めれば
私が聞き取り調査した現地地元
の古老の話では、このエリアは
古くから「カナヤマ」と呼ばれ
ており、何のためか掘り返して
そこが大穴になった遺構と呼べ
る場所が無数にあるのだそうだ。
付近一帯は「カナクサ」と呼ば
れる産鐵地域特有の植物が群生
しているが、露天掘りの遺構と
思われる無数の場所は荒れるに
任せているのが現状だそうだ。
こうした事は、学術書などには
出て来ない。一切現地探査の
フィールドワークを「表のアカ
デミー」はしていないからだ。
持った在地王権が存在した
事も認めない。
ひどい話、出雲にヤマトと
は別な強大な在地王権が存
在した事さえも、あの柱が
発見発掘されるまでは皇国
史観サイドの学術者たちは
認めようとしなかった。
自ら自分らの神話さえも
結果的に否定している点
が滑稽すぎたが、得てして
木で鼻を括ったような学術
界の権威どころはそんなも
んだ。
「白い砂鉄」の出雲と同じく、
リモナイトと同色の「赤い砂鉄」
の赤目(あこめ)砂鉄や鉄鉱石製
鐵の技術を持つ吉備を征服し
た歴史は認めている。認めて
いない存在をある側面からは
認めているという摩訶不思議。
喜んでひれ伏し、あるいは
鬼は征伐した」という史観
で。
他の各地でもヤマトに従わ
ない各地の在地勢力に対し
ては「征伐」と規定する。
だが、それは内実としては
殺戮と簒奪と強奪と陵辱を
意味する。
事だ。
産学協同体制反対闘争に留ま
り、個別武力撃破されて全共
闘運動は解体した。
問の立場から変革させる事
は彼らはできなかった。
り、学問の場においても完
全に「特定勢力」が学術界
そのものも牛耳るようになった。
や現代2/5ちゃんねらー状態(笑
【閲覧注意】一瞬の脇見が大惨事に・・
【GSX-S750】【Z900RS】
複数走行では千鳥隊列になった
ほうがいいですよ、という動画。
こういう事書くと、頭も性格も
悪いネラーあたりが、峠での私
の例を出して来て頓珍漢な中傷
をする事だろう(笑
直線路とコーナーでの転倒進路
の差異とか全く識別できない極
限の頭の悪い連中が(笑
複数台走行では、直線路では千鳥、
コーナーでは縦列が基本だ。
ネット掲示板で匿名の陰に隠れて
人を誹謗中傷するような下衆で
卑怯なネラーたちは、極限無知で
あると同時に頭物凄く悪い。
直線は千鳥。コーナーは縦列。
これが集団編隊走行の基本。
こちらは、わき見運転ではなく、
前方不注意は危ないよ、という
動画。
わき見運転によるバイク追突事故
38年間の二輪無事故経験者から
言わせてもらおう。
わき見などいくらしても大丈夫
だ。周囲に十分注意を払ってい
れば。前方を中心に周囲をよく
見る。横見たり後ろを見るのも
安全確認には必要だ。
要するに、わき見が事故の原因
ではなく、前方不注意、周辺状
況把握ができていないからこの
ような接触追突事故を二輪が起
こす。
そして、例によって後輪スリップ
でのバランス崩しの制御不能だ。
これ、最近の二輪運転者に非常
に多い。
後輪ブレーキなどを使うからそう
なる。
教習所の嘘教えをそのまま鵜呑み
にする固着固定脳、思考停止が
そうした後輪スリップ事故多発
を生んでいる。
これは、人間の問題。
走行中に後輪ブレーキを使うのは
教習所だけにしとけ、というのが
実践公道走行の大原則だ。
そもそも、後輪ブレーキで制動
などはできない。極超低速時以外
は。
走行中に後輪ブレーキを使って
減速や制動をしようとするのは、
大元の根本から二輪の操作を
間違っているし、二輪車の特性
をまるで捉えていない。
「右に曲がる時にはハンドルを
右に切れ」と大嘘の危険運転を
広めようとしている中古車屋
ユーチューバーのようなものだ。
走行旋回はバンクによって発生
するフロントのセルフステアで
旋回するのが二輪の原理だ。
右旋回させようとハンドルを右
に切ったら車体は起き上がって
曲がらない。また、外力操舵
によるキャンバー崩しになり、
極めて危険な挙動を二輪は示す。
物理的に無理なものは無理。
思いつきの脳内妄想などは実走
では安全走行には寄与しない。
中古車屋ユーチューバーは積極
的に後輪ブレーキの使用も広め
ようとしている。
全てが危険を誘発する事をさも
物を知った安全運転実行者のよ
うに上から目線で指導配信して
いる。一から十まで✖だ。
そういうのを鵜呑みにしていたら、
そのうち死ぬ。
制動には後輪ブレーキは使うな
これ、公道での実走行の安全
運転の鉄則要件だ。
全てフロントで減速制動せよ、
なのだ。
この物理的原理を理解できないと
いつまでも後輪ブレーキを踏み
抜いてスリップさせて転倒する
ような無様で危険極まりない
二輪の運転を続ける事になる。
そのうち、取り返しのつかない
事故がまず確実に発生する。
走行中、後輪ブレーキで減速
制動させようとして、バランス
を崩して事故を起こした典型例。
後輪ブレーキなどで二輪の車が
止まる事は存在しない。
渋いサニートラックを見た。
したサニーはピットから観てる
と速かった。
うちにはすんげー物がある。
良い削り先になる。
日大文理の学生が構内にパレスチナ反戦のビラを1枚貼ったところ、授業後に学生課の職員や教員に待ち伏せされ、懲戒処分の警告を受けたそうです
— 日本大学文理学部学生自治会設立準備会 (@nuchs_jichikai) December 22, 2023
理由としては「学内の秩序を乱す」とのこと
本会は、自由なビラ貼りを含めた表現の自由を勝ち取ります pic.twitter.com/kDaPtdBwel
を解放させて起つべきであ
る。
不世出の天才と呼ばれた一人の
世界チャンピオンがいた。
その名をフレデリック・スペン
サーという。アメリカ人だ。
22才で激戦の末、1983年に世界
チャンピオンになった。
彼は「曲がらない車」に乗って
いた。
ホンダの二輪のハンドリングは
最悪で、ある一定の角度から急
激にフロントがインに切れ込む。
それを直してくれとワークス
ライダーが進言するも(直す
方法はあった)、製作陣は拒否
した。
だが、フレディのみはその危険
なマシンを手足のように扱った。
彼は特殊な乗り方をしていた。
高速でコーナーに突っ込む時
(例えば鈴鹿の1コーナーの
ような場所)、ブレーキングと
同時にクラッチを切ったのだ。
シフトは立ち上がりのポジション
にシフトダウンしている。
そして旋回して、立ち上がりで
一発だけブワッとブリップさせ
てギアを繋ぐ。
それまでの常識では考えられない
走法を採用する事で曲がらず転び
やすいホンダのマシンを操った。
このフレディの走法は荘利光選手
が並走して現認したが、実は
世界チャンピオンのケニー・ロバ
ーツも「曲がらないヤマハ」に
手こずった特定時代にはその特殊
走法を採用していた。
(ケニーの自伝を読むと、ハンド
リングのヤマハと呼ばれたのは
ケニーによるマシン開発が大きく、
それまではかなり曲がらない車
がヤマハの特徴でもあったという
衝撃の歴史事実の証言がある)
ケニーも後のフレディと同じく、
クラッチを切り、シフトペダルを
ポンポンとかき上げてシフトダウン
して、立ち上がりでブワッとブリ
ップさせて繋いでいた。
これはWGPの古いビデオを観れば、
数段シフトが必須の場所でブリップ
音が一度だけの事からも確認でき
る。
ホンダの二輪のハンドリングの
悪さは世界一だった。
市販純レーサーRS250が発売供給
された時、私はFISCOを走ったが、
場内では公式アナウンスがスピー
カーから大音量で通達された。
「ホンダRS250のユーザーの方は
十分に走行に注意してください」
と。
意味が解らなかったが、コース
インしてみて判った。
そこらじゅうのコーナーという
コーナーでまだ未塗装の白い
ホンダRS250が白い屍のように
転がっているのだ。
ヤマハTZからホンダに乗り換えた
選手たちはほぼ全員が転倒して
いた。
TZのナチュラルハンドリングの
つもりで寝かしこんで行ったら
ある特定バンク角以上になると
前輪が足払いをくらったように
なって転倒していたのだった。
コースを周回しながら、寒々しい
戦慄を私は覚えた。
これは後年の市販車公道モデルの
NSR250Rにも引き継がれていて、
MC16、18あたりのF3やプロダク
ションでは実に多くの転倒者を出
していた。
ところが、ケニーやフレディの
ように「常識外れ」の事をやって
乗りこなす人たちも現れ、その
人たちはノービスであろうと、
強力なホンダのエンジンパワーを
活かして上位につけていた。
それは、前輪ブレーキをあてなが
らスロットルを開けて旋回して
行くというものだった。
マシンの設計を崩す形で、彼らは
危険なホンダのマシンを自在に
乗りこなして成績を収めたのだ
った。
旋回中に駆動をカットする事は
一般の人は公道などではやらない
ほうが無難だ。
ただ、ホンダの最悪ハンドリング
車でなくとも、発動機付二輪の原
理としては、クラッチを切って
駆動をカットすると旋回性とハン
ドリングは向上するという特性が
ある。
それゆえ、解っている教習所教官
は高度な知見から「スラロームや
クランクではクラッチを切ると
曲がりやすい」と教える。
ただし、問題がある。
それは二輪特性の高次元な判断
(正確だ)によるものだが、教
習所に来ている人たちはどういう
層なのか、という事を失念して
いる。
巧みに二輪を自由自在に操れる
人たちがその二輪の特殊な特性
を活かした操縦操作による運転
が可能なのであって、駆動を切る
超高度高次元内容を実質的に
初心者あたりは理解できない。
それどころか、それが当たり前
と誤認して公道で旋回中に駆動
カットのクラッチ握りなどした
ら危険を誘発させるだけだ。
私の場合は、公道であろうと旋回
中にクラッチを切っての寝かしこ
みと数段シフト下げの一気繋ぎの
ブリップをする事もある。
だが、それは特殊な状況のみで、
基本的にはベーシックな操作を
励行し、常にクラッチは繋がって
いるのが99%だ。
停止の時には、停止前にNに入れ
て駆動は切っているのが私は常だ
が。
公道走行では常にクラッチを繋ぐ
走行が一般的には安全度が高いと
私は思う。
特殊状況での特殊な技法というの
は、やはり限られた条件、限られ
た場所での技法だ。
ただし、バックトルクリミッター
が付いていない二輪や、オート
シフターが無い二輪では、半クラ
シフトダウンやブリッピングでの
回転同調シフトダウンは全車種で
必須操作だ。
単純に教習所乗りのようにシフト
ダウンだけしてクラッチを繋ぐ
と、エンジンは過回転となり、
場合によっては後輪はロックする。
危険。
たとえ、低回転低速であっても、
それに見合ったブリッピングを
して回転を上げてからシフトダ
ウンを繋ぐのはオートバイのエン
ジンを傷めず、また安全走行に
繋がる。
最近意味不明な操作をする人も
動画を見ているとサーキットに
さえいる。
高速度走行ではシフトアップで
はクラッチは使わないのが基本
だが、スロットルを開けたまま
でシフトアップでクラッチを切
ってシフトアップしているのだ。
そのたびにエンジンは悲鳴を
上げて瞬間過回転している。
そのような誤操作をしていなが
ら、「エンジンがまた焼き付い
た」とか動画では言っている。
当たり前だ。物事の道理を根本
から理解していない。
また、逆にシフトダウンでは
一切ブリッピングをしていない。
見ていると、シフトダウンでも
エンジンは悲鳴をあげて過回転
している。
もう、これはサーキット走行
以前に、二輪車の基本の基本、
原理さえも理解していないと
言わざるを得ない。
そのうち飛ぶ(レース用語で
転倒の事)ぞと見ていたら、
案の定、よく飛んでいる。
天の理は嘘をつかない。
なるようにしてなるべく結果は
到来する。リンゴを離せば地面
に落ちるように。
公道においては、クラッチ切りっ
ぱなしの旋回は、私自身はおすす
めしません。