もし1880年代のアメリカ西部
に自分がいたとしたら、私も
確実にピースメーカーを保持
していただろう。
私の20代は1980年代だが、そ
の丁度100年前にアメリカにい
たとしたら。
黒色火薬の初期型SAAを持っ
ていた事だろう。
1872年に完成したコルトの
ソリッドフレームを持つ金
属薬莢用の銃は著しく革新
的な銃だった。
S&W社が押さえてていた金
属薬莢用銃器のパテントが
ようやく切れるので、コルト
社が巻き返しを狙って完成
させた歴史的な名銃がコルト
シングルアクションCal.45
だ。(Calはキャリバー=口
径。インチサイズで表され
る。これは銃身の口径であ
り、弾頭の径ではない)
コルト社の新式拳銃は米軍
制式銃トライアルに参加し、
1873年に軍用制式銃に採用
されてコルト・シングル・
アクション・アーミーと命
名された。
一般民間向けの発売は1875
年から。
その圧倒的作動性の信頼の
高さから、ウィンチェスター
M73と並んで「西部を征服
した銃」とも呼ばれるよう
になったのは日本人も知る
有名な話だ。
特に、最大パワーの.45口径
だけでなく、ウィンチェス
ター連発式ライフルと弾薬
が共通の.44-40口径のタイプ
は西部においてフロンティア
シックスシューターと別名
で呼称されて多用された。
アメリカ人がやたらと「45」
という数字が好きなのは、
長らく最大最強威力の弾薬
だったこのコルトSAAの.45
口径に由来するものだ。
ギターのマーティン社など
も最高上位機種に45という
名称を付けたも、それはア
メリカ文化を代弁したもの
だったからだ。
しかし、西部開拓時代の実際
では、コルトのフラッグシッ
プモデルである.45口径より
も.44-40(.44口径で40グレイ
ンの発射薬の弾薬。フォーテ
ィーフォーフォーティーと
呼ばれる)が一番普及率が
高かった。
やはり、ライフルと弾が共用
できるのが大きかったのだろ
う。
ところが、もう一つの事実
として、西部開拓時代には
拳銃は非常に安かったのだ
が、開拓農民や市民たちは
古くからの金属薬莢式では
ないパーカッション拳銃や、
金属薬莢式に改造されたパ
ーカッションのコルトの銃
(コンバージョンモデル)
などを1880年代に入っても
まだ多く使用していた事実
がある。主として.38口径あ
たりだ。
1881年のOKコラールの決闘
で有名なドク・ホリデイも
コンバージョンモデルの銃を
愛用していたという説もある。
(遺品から)
映画『クイック・アンド・デ
ッド』(1995)の中で、若き
レオナルド・ディカプリオ
の銃砲店にて最新型の銃を
見せるシーンがある。
その時、多くの高額な銃を
払いのけて町の悪徳保安官
(ジーン・ハックマン)が
牧師(ラッセル・クロウ)
に与えるのに旧式のパーカッ
ションのコンバージョンモデ
ルを与える場面で「5ドル」
という値を銃砲店店主のディ
カプリオがつける。1980年
代の事だ。
この映画作品に出て来る銃
器はかなりリアルにえがか
れている。それはガンアド
バイザーが長年早撃ち全米
チャンピオンだった天才マ
ーク・リードが監修してい
るからだ。
ただ、良品ピースメーカー
が100ドル超えというのは
いささか法外だ。当時の1
ドルは現在の約6000円~
1万円。100ドルは80万円程
になってしまう。80万円の
拳銃などがあっただろうか。
また、かなり普及していた
古式のパーカッション改造
金属弾薬銃が5ドルという
のは、実はピースメーカー
の実勢価格の半額以下だが
「激安価格」という事には
ならないのではなかろうか。
かつての開拓時代のコルト・
ピースメーカーの金額はいく
らか。
私の手元にある資料を見てみ
よう。
(リーダースダイジェスト
「ザ・ヒストリー・オブ・ア
メリカ」/1973年)
英語の勉強のために父が買っ
てくれた分厚い英語の百科事
典のような書籍。
1973年までのアメリカの歴史
が具に記された大量写真掲載
の書だ。中1で英語学習が始
まるので学習教材として父が
買い与えてくれたが、読めな
いながらも辞書と首っ引きで
読もうと努力した記憶がある。
コルトSAAが1871とあるのは
誤記で、これは1873が正であ
ろう。
これによると、SAAは1880年
代に12ドル20セントだった。
西部開拓時代末期当時のコル
ト社のカタログを見ると、
.45ロングコルト弾薬は1000
発で19ドル45セント、1発で
2セントである。現代(2010頃)
は50発で25ドル程。1発50セ
ント。1ドル100円計算で現代
価格.45ロングコルトが1発50
円相当になる。
当時の物価相場を見てみる。
・最高のカウボウーイの給与
→月に25ドル~30ドル(宿
泊費込み)。
・高級良質サドル→200ドル。
・良質のカウボーイスタイル
のサドル→60ドル。
・一般サドル→40ドル。
・カウボーイスタイルのブーツ
→15~23ドル。
・帽子→5ドル。
・葉巻→5~10セント。
・上質のウイスキー
→サルーンで1杯50セント。
.45ロングコルト弾の価格は
1880年前後当時で1発2セン
トだった。
現在(2010年頃)は50発で
25ドルだから1発50セント。
この弾丸の価格を基準とする
と現代は当時に比べて貨幣価
値が25倍下がり物価が25倍上
昇ということになる。
コルトSAAで見ると、当時は
12ドル20セントだったSAAが
現代のコルト社の販売価格で
は1,799ドルだ。
実に西部開拓時代当時からす
ると174.45倍になっている。
弾丸は25倍なのに銃は174倍
以上に値上がりしている。
物価の時代ごとの相場を見る
場合、何か一つだけを基準に
すると見誤るということの典
型例になる。
例えば日本の江戸期も貨幣価
値が時代と共に下がり物価が
著しく上昇したが、米相場も
暴騰しているので、米価基準
のみで現代との相場を比較す
るのは危険だ。
1両にしても、江戸期の時期
により現代価格で12万円~
3万円相当という差が出てく
る。幕末などは1両は約3万円
程の実勢貨幣価値だ。
金の価値がどんどん下がる。
それは貨幣経済がインフレ
によって動くから物価が上昇
し、それによって貨幣の価値
がどんどん下がっていくのだ。
とにかく、コルトSAAを見る
限り、他の物品の現代相場と
比較しても西部開拓時代には
かなり入手しやすい価格だっ
たのではと思われる。
サルーンでウイスキーが50
セント。かなり高い。現在
だと約80セントほどだ。ほ
んのわずかしか価格は上昇
していない。
カウボーイの給与が一ヶ月
で25ドル(上級職)、中級
職だと15ドル程。
日割りにしたら1日の給与が
50セント。ウイスキー1杯は
日の稼ぎと大体同じ金額とい
うことになる。
カウボーイはかなりの低賃金
労働であったのは確かだが、
ウイスキーが高すぎる。
相対的に総合的に考えると、
西部開拓時代の1ドルという
のは大体現在の日本円で凡そ
5,000円~8,000円相当なので
はなかろうか。
あるいは物によっては当時の
1ドルは現在の100ドル程かも
しれない。
弾丸の価格は現代工業化によ
る量産化で格別に安くなった
のだろう。
となると、1ドル銀貨があっ
たのだから、荒野の1万円銀
貨があったことになる。
さて、当時の1ドルを現代の
5,000円としてみよう。
すると、コルトSAAの12ドル
20セントは現在日本円で6万
1,000円となる(1ドル100円
の円高時代の計算)。大体
そのあたりの価格帯ではな
かったろうか。
上掲の図史料を見て気付く
のが、馬が35ドルであるの
に鞍が40ドルであることだ。
当時の1ドルが現代日本円の
5,000円計算とすると、換算
で175,000円。
1ドル1万円計算でも35万円
で馬は買えない。それは犬
の値段だ。
単品種目のみでのレート換
算は誤りを呼ぶ。
ウイスキーの1杯をショット
と呼ぶのは、カウボーイの
銃の弾丸の金額から来てい
るといわれている。
だが、1発=ワンショットの
弾丸が当時は2セント。ウイ
スキー1杯が当時は50セント
だから、ウイスキー1杯は弾
丸25発分になってしまう。
計算が合わない。
ここらあたりの言われのカラ
クリを私はよく知らない。
ただ、各種史料の総合比較か
らして、西部開拓時代は以下
の事が言える。
・銃は今よりもずっと格安
だった。
・馬は今とは比較にならない
程に安かった。
・鞍は馬より高かった。
(よく西部劇でも馬が死に
鞍だけ担ぐシーンがある)
・ウイスキーは超高額だった。
・カウボーイの給与の額は格
別に低かった。
明治時代の日本の奉公人の
給与などは雀の涙だった。
同時代の西部開拓時代のカ
ウボーイの賃金も極度の低
賃金だったのではなかろう
か。
今も米国に残るニュアンス
で、「カウボーイ」という
と猪突猛進の男やいきり立
ったのぼせ上りや跳ねあが
りを指し、イナカモンを馬
鹿にするときにも使われた
りする。あまり良いケース
で人を「カウボーイ」と呼
ぶ時には使われない。
西部劇においても、カウボ
ーイは「歓迎される者」も
のとして描かれることはま
れで、町の者たちはカウボ
ーイを「異なる者」「よそ
者」「流れ者」と見なして
煙たがる様子がよく描かれ
ている。
これはカウボーイがキャト
ルドライブという牛追いを
して旅をする職業だからだ
ろう。
それを考えると、カウボー
イという男たちは、流れ者
(キャトルドライブ=牛追
いの数千キロに亘る販売の
為の移動による各地の長旅)
たちの浮浪性を忌避したが
る都市定住者から疎まれる
ような存在だったのかもし
れない。
OKコラールの決闘でワイア
ット・アープたちと銃撃戦
を繰り広げたアイク・クラ
ントンの一味はカウボーイ
ズと呼ばれた。
彼らは列車強盗も繰り広げ
た今でいうマフィアのよう
な存在だったが、OK牧場
は大統領までも巻き込む全
米の旧北軍派と南部の州の
対立を再び生む程の大事件
のきっかけとなった。
カウボーイズは悪人の代表
名詞ともなっていた。
だとすると、都市生活者の
ほうが開明的ではなく閉鎖
的な田舎者感覚の持ち主の
ような気もするが、これは
駅馬車を請け負うウエスト・
ファーゴ社という資本がOK
コラールでの紛争とその後
のアープ派とクラントン派
の殺し合いの顛末に介入し
たゆえのフレームアップと
いう面も大いにある。
とかくOK牧場(牧場ではな
く牛取引の一時置き場)の
決闘はワイアットとアイク
の対立銃撃戦とだけ見られ
がちだが、実はかなりの全
米を揺るがす大事件のきっ
かけとなった出来事だった
のだ。アイク・クラントン
側にも支持者が多かったの
だが、クラントンは米軍が
介入した(パットン将軍)
ら腹いせに街に放火して
一つの街を壊滅させている。
ワイアット側は銃撃を受け、
兄バージルは歩けない体に
され、弟モーガンはビリヤ
ードプレー中に銃殺された。
ワイアットはドク・ホリデ
ーと共に復讐の旅に出るが、
クラントン一味を殺害し続
けたために殺人犯のお尋ね
者になってしまう。
最終的には大統領命令で米
軍が出動してアリゾナの無
法状態を終息させるに至り、
ワイアットとアイクの決着
は遂につかず仕舞だった。
ワイアット・アープは南部
において汚名を着せられた。
犯罪者であったアイク・ク
ラントンが地場勢力を政治
的に利用して有利な「世論」
を作っていたからだ。
ワイアットは法を逸脱して
までも復讐の鬼となってア
イク一味を追ったが、最終
的な決着はつけられなかっ
た。
だが、このOKコラールの決
闘に至る両者の対立は、南
北戦争の戦後混乱の延長線
上にあったもので、戦争の
20年後に北部資本と南部の
酪農勢力の対立として再浮
上した全米の大問題だった
のだ。
さて、現代にも繋がる無煙
火薬のコルトSAAが登場した
のは1896年以降である。
なので、殆どの西部劇で無
煙火薬仕様のピースメーカー
を使用しているのは非現実
的な表現だといえる。
リアルな映画作品では初期
型のコルトシングルアクシ
ョンが使われている事もあ
るが、多くは黒色火薬仕様
ではなく1896年以降の無縁
火薬方式のSAAが映像作品
では使われている。
コルトSAAは無煙火薬方式
になってから、フレームに
革命的な改良が施された。
シリンダーを強固に確実に
固定し、かつ、ワンタッチ
でシリンダーを脱着できる
ような方式に改めた。
これは、さりげないようで
革命的な大発明だった。
発明とはどれもが得てして
こうしたもので、「なぜ今
までこの方法を思いつかな
かったのか」というような
ケースが多い。
フォールディングナイフの
ライナーロックなどもそう
した一例だろう。