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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

今夜も西部劇 コルト・シングル・アクション・アーミーとOKコラール

2023年01月20日 | open
マイ・ピースメーカー。
コルトSAA(シングル・アク
ション・アーミー)である。
通称「西部を征服した銃」。
ピースメーカーとも呼ばれる。
日本では金属製トイガンのハン
ドガンの黒塗りは所持ができな
い。携帯禁止ではなく所持その
ものが1971年10月
以降は禁じ
られている。(長物は金属製

黒塗りでもOK牧場)
だが、プラスティックの質が悪
かった1970年代と異なり、現代
ではプラ製であってもこのよう
な質感の仕上げが可能だ。
専門技術は要るが。

私自身が全洋画の中で最高傑作
と思っている作品は『
荒野の
決闘』だ。1946年、
戦後直後に
公開された。


本作品は映画としても西部劇と
しても映像作品としても芸術と
しても珠玉の名作といえる。
とにかく俳優たちの演技が素晴
らしい。
よどみなく、格調高い台詞を話
す。
まるで、シェークスピアの舞台
劇を観ているようだが、この気
品は時代なりのものだろう。人
の世は古ければ古いほどかしこ
まっている。
これは、フランクでくだけた北
米人の国
である合衆国にあって
もそうだったことが多くの
米文学や映画
から読み取れる。
 
映画『荒野の決闘』は原語で観
るのが一番
だが(古い英語)、日本
語吹き替えの声優の
声の演技も
素晴らしい。
吹き替え版収録のDVDをお持ち
の方は是非
とも「二本立て」で
ご覧になることをおす
すめしたい。
 
『荒野の決闘』はつまらない
邦題となった
が、本作品のメイ
ンテーマは原題の「マイ
ダーリン
クレメンタイン」にあるように、
看護婦クレメンタインと医師の
ガンマンのドク・ホリデイの悲
恋の物語だ。プラトニックで清
廉、清く強い愛だ。
そして、そのクレメンタインに
ワイアッ
ト・アープが一目惚れ
する。
これまた極めて紳士的でプラト
ニック。
ドク・ホリデイの知的な面の表
現が素晴
らしい。
物語は1881年10月26日にアリゾナ
トゥーム・ストーンの町外れ
の牛取引用
停留所で起きた保安
官たちによる容疑者
射殺事件が
ラストクライマックスとなる。
この事件は「OK牧場の決闘」と
俗に呼ば
れているが、史実は牧
場でも決闘でもな
い。
町の支配力を巡っての対立の成
れの果てで
あり、町の牛止め場
で保安官一派が対立す
る一家を
一方的に逮捕状もなくいきなり
集団で武装解除要求して射殺し
た事件だ。
だが、「悪者を倒した正義の
保安官の英雄
譚」としてアメ
リカでは話が創作された。
日本では、戦後まで幕末戊辰
戦争は「正義
の官軍と悪の幕
府軍」という図式で国民を

脳したように。
戦前などは、新選組などは悪
の権化、幕府
側、東日本の武
士たちは悪の集団として
国民
教育されていた。それと足利
尊氏は
極悪人として。
新選組の評価が180度見方を
変えたのは、
子母沢寛と司馬
遼太郎の著作に負う所が
多い。
子母沢は昭和初期に新選組に
関して
の取材から貴重な著作
を成したが、学校
教育などで
は「新選組は明治維新の志士
弾圧した悪い人間たち」と
いう教育が為さ
れて来た。
「勝者の歴史観」の見方を変
えてみようと
いう試みが受け
入れられたのは戦後から
だ。
しかし、今でも日本人の中で
は幕末の
戦争は「正しい明
治新政府とそれに反抗した
悪い東日本の諸藩」という虚
構を鵜呑みに
している日本人
が多くいる。
それは明治新政府によって
「創られた」
「勝者の歴史観」
なのだ。
その真実を知る多くの人は、
半ば強大な
権力の専横に諦め
を抱きながらも揶揄す
る意を
込めて言った。「勝てば官軍」
と。
これは、暴力により権力闘争
に勝利した
もののみが「正義」
となることの人類史
の定理を
も示していた。
アメリカの南北戦争も、南軍
が勝っていた
ら北軍=ヤンキー
を正義とする概念は生ま
れて
いない。

アメリカでも、戦後だいぶ経
ってから、
南北戦争の南軍は
「悪者」ではない、と
いう見
方が生まれ、文学や映画作品
でも
それをテーマとする作品
が作られて来た。
「強ければそれが正義」とす
る人類史の
非道な原理を問い
直す動きがアメリカの
国民の
中から起こった事は注目すべ
きだ。
映画作品では、西部劇から始
まったその
流れをアメリカン・
ニューシネマが昇華
させた。
ベトナム戦争激化による国
主義の徹底により、かつて
米国映画界に
吹き荒れたレッド・
パージの再現の如く
ニューエ
イジのムーブメントは最後の打
上げ花火のように散ったが。
その後は、ドカーンバキューン
チュドーン
で騎兵隊ヒャッハー
的な米国商業主義映画
が強制
的に奔流を形成した。
あまり映画に通じていない日本
人が
「映画」といえば単純
で底の浅いアメリカの
アク
ション
映画をすぐに思い浮
かべるの
はその流れに乗った
ものであり、勝者の
歴史を真
実と盲信した大衆の「大衆
的」
である事の現れだ。
むしろ、ヨーロッパの映画の
ほうが、深
く人間を掘り下げ
る映画作品を作り続け
た。特
にフランス、イタリア、ポー
ラン
ド。
 
事の是非はともかく、この
「OKコラール」
での射殺事件
は多くの米国映画作品の題材
となった。日本語でいうとこ
ろの「OK牧場
の決闘」として。
 『荒野の決闘』で使われる拳銃
はコルト
SAAだ。全員が使う。
「OK牧場の決闘」は1881年。
SAAは一般的になっていた。

手の大きなアメリカ人にとっ
ては、コルト
SAAは本体の大
きさが「小さな銃」とな
る。
物理的に。
この感覚は映画『オープンレ
ンジ』(2003
年。邦題「ワイ
ルド・レンジ 最後の銃
撃」)の中でも表現されて
いた。
ロバート・デュバルがケビン・
コスナーの
バレルカット(人殺
しの象徴)のピースメー
カーを
指して「お前は軽い銃が好き
なの
か」と言うくだり。
 
コルトピースメーカーは、小
さなボディ
ながら、当時最大
威力の.45ロングコルト
弾を撃
てた。つまり、当時は最強。
一発
で人間をノックアウトで
きる。頭部に被弾
させたら頭
は風船破裂のように吹っ飛ぶ。
そういうのが.45口径だった。
その強力弾を発射可能にした
のがソリッド
フレームにして
頑丈な小さなボディを与え
られたコルトシングルアクシ
ョンだった。
完成は1872年。1873年に陸
軍に採用が
決定し、1875年
に全軍配備が開始された。
同時に民間用にも販売開始さ
れたのが
1875年だ。
ゆえに、1875年以前を扱った
西部劇で
コルトSAAが出て来
るのは全て時代考証
無視とい
う事になる。
 
『荒野の決闘』でのワイアット・
アープ。
ヘンリー・フォンダが
演じた。
実物のワイアットに俳優の道を
勧められ
たのは若き日のジョン・
ウェインだったが、
この映画作
品製作の時はワイアットは
この
世を去っていた。
手にするは4.75インチ銃身のSAA。
やはり小さく見える。


 
実物のワイアット・アープ。







晩年は元女優の妻と二人でアラ
スカ旅行
などし、この世に登場
した映画という
物の製作にもア
ドバイザーとして関与し
た。
激しい銃撃戦を何度も経験した
が、生涯、
一度も銃弾を被弾し
た事が無かっ
た。

ワイアットの弟のモーガン。


実物のモーガン・アープ。
OKコラールの銃撃戦のあと、何者
かに
暗殺された。それによりア
ープたちはOK
コラール事件の
際の残党を皆殺しに
した。
その行為は私闘であるとの批
判も
多い。モーガンは弁護士
資格もあったと
の米国情報も
ある。


ドク・ホリデイ。『荒野の決闘』
では、
名優ビクター・マチュア
が演じている。
渋すぎるドク。演技力も高く、
ヘンリー・
フォンダを食いまく
りだった。


実物のドク。
OKコラール事件では生き残る
が、程なく
肺結核で死亡。
実物は歯科医師だった。銃の名
手といわ
れた。日本では、アー
プよりも人気が高
い。ラテン語
を解するインテリ。


映画『荒野の決闘』は、看護婦
役のクレ
メンタインが最高だ。
私は今でも心を射抜かれたままだ。
アープのように。




 
My Darling Clementine 


クレメンタインが私には永遠の
理想だ。理想の女性。
美しい。生き方が。容姿や立ち
居振る舞いだけでなく、心が美
しい。一途で清くまっすぐな心
を持つ女性。
クレメンタインは永遠のマイ・
ダーリン・クレメンタインなの
である。
この映画こそが史上最高傑作だ
と私は思っている。
この作品、かなり、深い。
真の名作。
そして、この映画はドクが滅茶
苦茶いい。


豪華版DVDには本編ではカット
された部分も入っている。
ラッシュ試写の時、アープが
クレメンタインとの別れの時、
頬にキスするしないで波紋を
呼んだ。
そのシーンのみ、別
場所で
別の日に再撮影された
別バージョンとして映像資料
には残されている。それが特別
版DVDにはボーナスで収録され
ている。
DVDの発明は、映画ファンに
光明をもたらした。
My Darling Clementine (film)
 
 

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