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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

幕末肖像写真

2023年03月24日 | open
 


これは米国国会図書館所蔵の
幕末の武士の写真だ。誰かは
不明。
沖田総司ではない可能性がか
なり高い。
だが、大刀を前半で少し前に
出す本物武士の鶺鴒差し、脇
差の閂差し、袴の後ろ下がり
を避ける着用法、姿勢、眼光。
明らかに実物の武士である。
刀剣着用法と着付けからして
幕臣旗本のようにも見える。
だが、沖田総司ではないとされ
る。
理由は裏付けの確証が無いから。
家紋も異なる。
但し、明治期によくあった武士
ではない町人モデルを使った着
付けインスタント設定写真では
なく、れっきとした武士の写真
だろう。
鍔からして、柳生流を学んだ士
と見える。やはり、幕臣旗本で
はなかろうか。
 
この武士の写真が沖田総司だと
いうのは、何の根拠も無く、
るモノカキが設定したものだ。
私もその書籍を持っている。
こちらにこの写真についての
レポートがある。
興味深い。
沖田総司の写真…ではなかった

沖田総司の写真…ではなかった

沖田総司の肖像写真というものは、周知のとおり、未だ発見されていない。テレビ番組などで見かけるふっくら顔の画像は、子孫(総司の姉ミツの孫)をモデルとした絵画である...

 

 
但し、決定的な事がある。
この写真の武士は誰であるの
不明だというのが事実、真
だという事。
だが、沖田総司ではない、とす
る確たる証拠も無い。
ただ、証拠が無いからと沖田で
あるとするのは無理がある。
無理はあるが、可能性は全面
否定する根拠も無い。
もしかすると、沖田総司である
事もあり得る。
しかし、沖田であると断定し
てしまうのは、我らの流派
鞍馬天狗が創始した、とか言
うのに等しい事になる。
あるいはコロコロどんどん時
間経過と共に道統を変えて公
表するねつ造詐欺大道芸流派
のような事になってしまう。
証明できない「悪魔の証明」
を以ての断定やねつ造は非常
に質が悪い。
 
この写真の武士、沖田総司で
ある可能性は限りなく低いが、
可能性の否定はできない。
真実の逸話としては沖田総司
の写真は存在した。
姉が持っていて、文机の抽斗
に入れていたが、引っ越しの
際に渡した先で机廃棄で燃や
してしまったのだという。
総司の姉の証言が事実だとする
と、この世に沖田総司の写真は
存在していた、という事になる。
だが、彼の顔を知る者は今は
この世にはいない。
屯所にしていた八木家の子ども
の成人後の証言では、沖田総司
は痩せて背が高く、色黒でヒラメ
顔だったという。
大人なのに近所の子どもたちと
よく遊んでいたが、稽古になる
と短気で激昂型であり、隊士た
ちは沖田に稽古をつけてもらう
のを嫌がったと伝わる。
 
沖田総司、ヒラメ顔だそうだ。

 
ちなみに、歴史上の肖像画も本人
ではないのに本人であるとされて
教科書にまで掲載されていた例は
かなりある。
有名なところでは足利尊氏の馬上
絵だ。あれは高師直であろうと
いう学説が強まり、学校教科書
から削除された。
だが、実在不明の「聖徳太子」
は残っている。名称はその当時
実際しない呼称の「聖徳太子」
ではなく厩戸王と訂正されて。
しかし、肖像画はひどい。
厩戸のミコの時代とは髭も服も
持ち物も異なるからだ。
ずっと後世の装束と髭とシャク。
いわば、孝明天皇が携帯電話で
モシモシみたいな事をやらかし
たのが「聖徳太子」の肖像画な
のである。つまり、タイムリー
な本物肖像画ではなく、後世の
想像画。さらに髭は後から誰か
が描き足しているというオマケ
つき。
 
いろいろあるよね。
ヒラメ顔の本物写真がいつか発
見される事を願う。
ねつ造はよくないよ。

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