渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

近藤勇遺品の刀

2023年03月24日 | open
 


在京時代、縁あってある寺の
住職に請われて、毎年近藤
さんの遺品の短刀を手入
れし
に行っていた。
新政府軍の恫喝に恐れひれ伏し
た坊主たちが誰も近藤さんを
弔わない中、「死ねば皆仏だ」
とねんごろに弔った気骨ある
坊主の寺で、その坊主の末
の住職に頼まれた。東大出
住職だ。
 
犯罪者として斬首されたので
刀剣類は全て没収された筈だ
が、何故近藤さんの遺品とし
て刀剣が遺っているのかは分
からない。現住職も不知。
ただ、近藤勇さんがこの寺で
仮に弔われ、後に他の寺に
送埋葬されたのは歴史
的事実だ。(だが、その
後近藤氏の亡骸は行方知
れずになった。関係者が
別場所に埋葬したとも伝
わる。首級は京都三条河原
に新政府軍によって晒し物
にされた。
幕府陸軍奉行格の大身旗
本が、である)
 
短刀というよりも懐剣で、この
ような拵に入れられていた
拵は黒漆に朱漆が縦模様に
入っ
た物で、刀身は無銘、
私が鑑するに末備前物だっ
た。手入れのたびに近藤さん
の無念を偲ぶと目頭が熱く
なるのをおさえられなかった。

ネット百科から。(別の短刀)


何故近藤勇さんの遺品を刀剣識者
たちは誰も手入れしたりしようと
しなかったのか。
それは単に寺の秘蔵品であるとい
うだけではない力学が働いた事だ
ろう。
 
ちなみに三島由紀夫先生の介錯刀
実物は、遺族に返納された後に、
うちの刀剣探究会のMCメンバー
の法的所有権となっている。
遺族からの要請でそうなった。
ただ、私物ではなく、歴史上一時
預かっているだけなので、やがて
法的所有権は移転する。

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