渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

オートバイのフレームのよじれとしなり

2024年08月10日 | open
 


スラロームのように人馬一体
の身体操作ではなく、直線の
高速度以下の領域で、シー
に座
ったまま腰を左右に振
ってみる。
すると、二輪車はフレームが
よじれるのが感知できる。
これはパイプフレームだろう
とアルミフレームだろうと。
 
この時、そのよじれがよじれ
のままなのか、収束が滑らか
なしなりとして生じるのかで
そのマシンのフレームの性格
が分岐する。
その特性がよじれのままなの
か、しなりとして適正な応力
対応させている作りなのかは
コーナリングGをかける旋回
を経ないと判らない。
コーナリングテストにより、
ピボットからスイングアーム
にかけてのしなりであるか、
あるいはフレーム側のみのよ
じれであるかが感知看取でき
るのである。
 
これをやった時、ガチガチで
全くしならないフレームは❌
なのだ。固める所は固め、逃
がす所は適切な逃がしを設け
る。だが、その度合いはコン
ピュータ解析数値などでは
分からない。実際に走行テス
トを開発ライダーという人間
が乗ってトライ&エラーで確
かめながら車作りをしないと、
現実的には適正状態を得た車
は作り得ない。
特にスイングアームの外出し
しなりがなく、よじれさえも
過度抑制して固まっている
輪車は曲がらない車になる
けでなく、高速度で走行
する
後ろからのどんつき
でフロ
ント足払いをくらい、
まず
ぶ。世界チャンピオ
ンが
乗っても転ぶ。
シャシにはよじれが必ず発生
するが、それがしなりとなっ
てなだらかな発生と収束をみ
せる設計でないと❌。
しなりとよじれを識別できず
にガチガチに固めるシャシ設
計は話にならない。
そういうのなら設計者が自ら
高速度
行、高速旋回をし
てみろ、
と言いたい。
100%転ぶから。
 
また、曲がらない車になって
しまったからとホイールベー
をどんどん短くして行く
大間違いだ。
物理的に尚更しなやかさが
くなり、余計不適切トラク
ョンの突発的発生により
ドン
つき前輪足払いが発生
し易く
なる。
 
この道理が熟考され、適切な
長さのスイングアームと適切
なしなりとそれのプログレッ
シブな発生を最適ステム周り
の設計とピタリとマッチさせ
たのが最良のモーターサイク
ルである。
かつて日本メーカーが世界で
他国を全く寄せ付けない二輪
車を作れていた時代には、そ
のトータル設計思想を持って
いた。
今はてんでダメ。
コンピュータ解析での数値し
かベースにせず、机上数値だ
けで車を作ろうと
している
から。
誰が乗るのか?
人間でしょう?
人間を乗らせてマシン開発を
しないで、人間が乗るための
車を作れる道理がない。
天はそのような人間の傲慢を
許さない。
結果、そのような誤った思想
で作られた車に乗せられた人
間を天は連れ去ろうとする。
人類への警告として。
 
 
 
 
 
 

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