渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

江戸三大蕎麦 「砂場」「更科」「藪」

2024年06月04日 | open
 


江戸三大蕎麦のうち、私は

個人的には更科が好きである。
だが、コクのある砂場も捨て
がたい。味と香りでいったら
断然甘皮残しの砂場で、更科
は素麺みたいな白く澄んだ甘
目の蕎麦。
だが、このサッパリ感が更科
は堪らない。更科以外にはこ
特色は無い。
藪はしょっぱい蕎麦つゆが
ち味で、いかにも江戸下町

くてこれまた非常に良い。

江戸御三家を凌ぐ店舗数を
つのが長寿庵で、やや緑の

麦だ。元禄時代に江戸に開店

した。三大蕎麦と並び、古い。
また明治以降の新興勢力の蕎麦
屋としては満留賀(まるか)が
ある。つゆが甘い。

江戸蕎麦は江戸時代から現代ま
でも、暖簾については厳しい
掟と定めがあり、強固な自治
組織として機能している。
蕎麦屋を開くに勝手は赦され
ない。それが江戸蕎麦のしきた
りだ。
それゆえ、味も江戸時代からの
伝統が受け継がれている。
現代飲食業の資金さえあれば
勝手次第の勝ち組狙い、など
という西欧エコノミックアニ
マル
的な事業展開に真っ向か
ら対立
するのが江戸蕎麦の存
在だ。

伝統の味を守る為には、時流に
流されない強い組織と意思の
結束が必要なのである。
長いもんには巻かれない江戸っ
の心意気によって江戸蕎麦は
現代
人も食べられるという恩恵
にあずかっている。

江戸蕎麦は根性と性根が入った
蕎麦なのだ。

江戸時代、江戸蕎麦は武士から

庶民まで愛された江戸のソウル
フードだった。
そして、今でも、東京では蕎麦
うどんよりも人気だ。
鉄道駅には大抵立ち食い蕎麦屋
がある。これは江戸蕎麦ではな
く現代チェーン店だが。
古い東京人の蕎麦の楽しみ方は、
蕎麦屋がちょいとしたサロンの
ような場所となり、酒を飲み、
蕎麦をちょちょいとつまんで
気の置けない仲間と談笑する。
これが江戸期から続く東京の
蕎麦屋での交流だった。

ちなみに、江戸蕎麦ではざる
ではなくもりが主流だ。
ざるは海苔が蕎麦の風味を妨げ
るので、東京人というか蕎麦通
はざるは頼まない。
地方に行くともりが存在せず、
ざるのみとかの店ばかりだが、
それは蕎麦店の本来の味提供
からは大きく逸脱している。
なお、もりは二枚で一人前と
いうのが江戸蕎麦の特徴でも
あり、メニューには「二枚も
り」
というのがある。「大盛
り」で
はない。
少なめのもりを二枚頼んで、
重ねたせいろからパッパと食
うのだ。

しかもそばちょこのつゆには
べったり
とは蕎麦を漬け込ま
ない。サッとつけ
てズズーッと
一気に食う。

基本的に江戸者は気が短いので、
江戸時代から江戸ではファ
スト
フードが大流行した。

もりが大流行で隆盛をみたのも
熱々ではなくサッと食べられる
からだろう。幕末に登場した
握り鮨と同じく。
握り鮨も最初は屋台で出すファ
ストフードだった。
蕎麦屋も二八などは移動屋台で
出されていたが、店舗蕎麦と並
んで江戸市民には大変人気があ
った。
大阪を食い倒れとは言うが、橋
の数や食文化においても、江戸
がやはり世界一の大都会である
だけに、人々が食する社会構造
の発達度合いは江戸が高かった。

お二方とも亡くなっちまった。
そのレポート。
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なお、東京人の人口比率は
日本全体人口の1/10に及ぶ。
日本人の10人に1人は東京人
であるという特徴が日本には
ある。
日本は法的に国号(国の正式
な名称)
も首都も定めていない
世界でも珍しい国だ。
なので日本の読み方は「にほん」

でも「ニッポン」でもどちらも
正しい。
その日本の行政府としての首都
は一応今のところ東京という事
になっている。国としての首都
ではなく、あくまで便宜上の

首都が東京。
明治以降は東京が日本の首都。
江戸時代終焉までは京都が日本
の首都。行政府中央が江戸。

現代の日本語=標準語は、明治

に江戸の幕臣旗本言葉をベース
にして新たに創作された国語だ。
江戸時代までは階級ごとに使う
言葉が違い、別階級同士の意思
疎通には困難を伴った。
江戸町人が「左様に御座るか。
しからばそれがしはそれを所
望いたす」とか「かたじけない」
などと
いう言葉は使わない。
現代語の「~です」「~ます」

は江戸時代町人でさえ使わな
かった明治新語で、幇間(ほう
かん。
宴会座敷でおべんちゃら
並べて客を持ち上げる太鼓持
という職業)や遊廓の牛太郎
の「でげす」に
近い下品な言葉
に等しいが、明治
以降はそれが
日本の丁寧言葉
と薩長明治新政
府により決め
られた。正式には
「~で御座います」「~に御座
りまする」であったが、それは
現存している。
書き言葉は「御座候」であった
が、それは明治期に消滅
させら
れた。

だが、江戸期から人としての行
儀などは武家の作法を基準とし
たので、町人たちのうち商人の
娘などは武家に奉公に出て行儀
見習いをした。
日本人の現代の食事作法、一般
接客マナー、対人礼儀作法など
も、すべて武家社会の礼儀や規
範を受け継いで「日本人の礼」
として確固と確立している。
日本人で日本の食事作法を正確
に学んだ人たちは、現代におい
ても箸の使い方では無礼非礼な
使い方や手皿受けなどはやらない。
また、訪問先に靴を脱いで上がる
時に、うしろ向きに尻から訪問先
の屋敷に入る極めて無礼な事は
まともな日本人ならばしない。
日本人のマナーはすべて武家作法
をベースにしている。
当然、日本式のおじぎでは両手を
腹の前で組むような朝鮮式のおじ
ぎなどはしない。
最近は就職マナー教室や冠婚葬祭
での企業スタッフまでも腹前両手
合わせのおじぎをするが、いつか
ら日本は朝鮮国になったのか。
江戸期から存在し、明治期に確立
された日本の伝統的な礼法、礼儀
作法を破壊するという事は、日本
を破壊するという反日行為だと
いえる。
食事の際に室内で着帽したままと

いうのも大変礼儀知らずの非常識
な行為だ。
不作法で無礼非礼なおじぎや食事
作法、日常の振舞いは、日本人な
らば
やめよう、諸君。
たとえ気軽に蕎麦を食う時さえ
も。
「時蕎麦」という教え噺もある
くらいで(違

昔、TVのドッキリで、談志が
高座で時蕎麦を演るってんで、
仕掛け
人が客席でもりそばを
ズズーッ
と食べる収録があった。
さすがに出鱈目マンで戒名まで
生前から「雲国斎(うんこくさ
い)」と決めていた談志さえも
それにはぶち切れた。
蕎麦食う演技の際に客席でズズ
ーッと音を立てる。
談志は客席に「おい、やめろ」
とマジ切れしていた。
あれはいくら企画物としても
やり過ぎだろう。
演者の演目を破壊するようなの
は、それは江戸風味の粋や義理
情からはかけ離れている。
あれはいわゆる大阪弁でいう
ところの「あかんやつ」だった。

企画した人間、東京もんじゃな
のだろうな、と見てて感じた。
感性がまるで違うもの。
あれは笑えない。
あれでお笑いを取ろうとする

感覚は東京人には無い。
 
 

 
 


 
 
 
 



 



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