新選組血風録
(栗塚旭 島田順司 左右田一平 対談)
これは凄い番組だ。
超基調映像。
こちら1965年の不朽の名作
テレビ時代劇ドラマ。
新選組血風録 第01話[公式]
私も家族も当時タイムリー
に見入っていた。まだ園児
だったが、本作品は克明に
覚えている。
現実に新選組の池田屋斬り
込みはこの作品の約100年
前の1864年7月8日(旧暦6月
5日)に実行された。
司馬遼太郎の原作を読んだ
のは12才、1973年の中1の
春だった。
司馬遼太郎作品の「新選組
血風録」は唸った。「燃え
よ剣」はまだ未読だった。
私は司馬遼太郎作品は1973
年に「燃えよ剣」から入っ
た。
丁度日本刀を本格的に研究
し始めた翌年だった。
「菊一文字」と「兼定」に
ついては、実際の歴史とは
違う脚色だと原作を読んで
初めて気づいた。実刀も
異なる。実際の土方歳三の
差料の会津兼定と関の名刀
二代目之定はまるで別物だ
というのは中1の時に知った。
原作では「虎徹という名
の剣」の項はかなり面白い
し良い話だが、実話の鴻池
との関係と一件も元ネタに
なって原作では描かれてい
る。
原作小説にある江戸の愛宕
下日蔭町の刀屋が近藤を騙
す下りは創作だが、非常に
面白い物語となっている。
土方が刀屋を呼び出し、偽
物を売ったとばれて首を刎
ねられると家族に水杯の上
参上したが、土方に礼を言
われ、目を上げると眼光鋭
く見つめる土方に怖れおの
のいて刀屋はひれ伏す。
そこに土方が言う。
「お主は商売人だな」と。
沖田総司の差料の入手譚の
「菊一文字」の項は完全な
司馬遼太郎の創作だ。鎌倉
御番鍛冶の備前則宗が現実
の沖田総司の差料だった筈
もない。現代ならば国宝級
の作者だ。
私は一度正真備前則宗を観
た事があるが、その時の価
格は5,500万円だった。
なお、司馬遼太郎『新選組
血風録』の原作で中学の時
に一番感動した項は「沖田
総司の恋」だった。これは
実は実話が元ネタになって
いる。そのあたりの悲嘆は
新選組関係者に実際に取材
した昭和初期の子母澤寛の
著作に詳しい。
沖田が恋した京の町医者の
娘は近藤と土方が嫁に貰い
受けようと医師に迫ったが、
医師のほうで新選組と恐怖
し、理由をつけて断った。
破談となったのを知った沖
田は「そんなのじゃないの
に」と言いながら涙したと
いう。
ただ、実際には謎の「沖田
家縁者の墓」という墓碑が
京都に残されており、これ
は沖田総司の内縁の妻の墓
ではないかとの説がある。
そしてTV時代劇版の本作
『新選組血風録』でのその
編は、町医者の娘役の女優
さんが後年の『夏子の酒』
(1994)の頃の和久井映見さ
んにそっくりな女優さんで
実に可愛かった。1965年
撮影時の当時の国内の女性
の言葉で「いけませんわよ」
「~でなくってよ」という
台詞を話している。なぜか
京なのに江戸弁(笑
1965年の実写版では原作の
うちの2話を1話に結合させ
て「総司の恋」編にしてい
る。京の町医者とその娘と
の沖田総司のやり取りが見
所の良編として実写版では
作品がまとめられている。
実に爽やかで、プラトニック
な清涼感ある小編の仕上がり
になっているのが「菊一文
字」の編だ。
刀の命は七百年経とうが生
きている。沖田は医者から
余命いくばくもないと告げ
られていた。
だが、総司は飄々と達観し
ていて、そうした中で町医
者の娘との関わりに冷静か
つごく自然に、ほのかな幸
福感に似た思いに浸ってい
たのだ。ドラマのほうでは
沖田と町医者の娘との別れ
は描かれてはいない。
『新選組血風録』は原作も
実写ドラマも新選組の人間
像が小説らしく「~譚」と
して描かれている秀逸な作
品である。人と人の心の在
りかを描いた作品。
実写ドラマ版は脚本が傑出
した良作であり、まだ新人
だった新劇出身俳優たちの
つたない演技もごく自然で、
返ってそれがリアル感があ
り、とても良い。
「作り物」的時代劇ではな
い日常語を話す時代劇とい
うのは、実は歴史上『新選
組血風録』が初めてだった。
そういう意味でも歴史的な
金字塔作品が本作実写版だ。
原作のほうはいうまでもな
く、司馬遼太郎の代表作だ。
元ネタは実際に生き残って
いた新選組関係者の取材調
査をまとめた子母澤寛の作
品三部作に基づいて司馬遼
太郎が構想を膨らませて纏
め上げた戦後の名作である。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』
は土方歳三の生涯を描いた
大作だが、私は珠玉の名作
は間違いなく『新選組血風
録』だと思っている。
書籍は初期単行本、文庫本
含めて6冊ほど持っている。
予備の保存用も含めて。
特に挿絵のある単行本、文
庫本が最高の紙面編集だ。
及ばずながら私がその挿絵
作画者のタッチを模して描
いた絵。こういう空気の絵
が「血風録」には挿入され
ていた。
「20両で虎徹」は無理だが、
現代価格にすると幕末の20
両は約60万円だ。実勢価格
は現代では虎徹は1口1,500
万円程。映像劇中の山南敬
助の言と奇しくも一致する。
現実では池田屋の時の近藤
勇さんの実刀は虎徹ではな
かったが、その後は正真虎
徹を何口か所有していたの
も事実だ。
近藤氏は最後は正式に幕臣
旗本の陸軍奉行並になった
が、非業な最期を遂げた。
私は縁あって、近藤氏を
弔った寺の住職に請われて
毎年近藤勇さんの遺品の短
刀を手入れしに参内してい
た。
無銘だが備前物の古い短い
短刀だ。
手入れをしていると涙がい
つも溢れて来た。
「さぞやご無念だったでし
ょう」と。
私の血脈は新政府軍側だっ
たが、個人的な一介の人士
としての気持ちは、いつも
今でも佐幕側に心を寄せて
いる。