渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

モトトレイン

2024年07月14日 | open

 

モトトレイン ~国鉄・JR東日本~ - 渓流詩人の徒然日記

モトトレイン ~国鉄・JR東日本~ - 渓流詩人の徒然日記

国鉄と分割民営化の後のJR東日本は、かつて素晴らしい旅企画を展開していた。それは1985年に開始された「カートレイン」、1986年に始まった「モトトレイン」だ。いずれも199...

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是非ともこのモトトレインを
JRは復活させてほしいと願う。

といっても、1980年代当時、

大人気過ぎてチケット予約
できなかった程だった。
ちょい前の豪華寝台特急の

チケットよりも難しかった
のではなかろうか。
今の時代、ネット予約もで
きるからそれは無いだろう
が。

一番しどかったのがサーキ
ットのスポーツ走行券の確
保。
もうね、東京の花見の場所
取り状態で、前の週から並
ばないとたった30分の走行
時間が全く確保できなかった。
走る奴ら全員トランポで寝
泊りとか交代で並んで走行
券を購入していたのよ、ま
じで。
なので、MFJのライセンス
取得の為の規定時間を走行
するのだけでかなり時間が
かかったのが実際。

よく公道の峠で走る連中を
指して「スピード出したい
ならサーキットへ行け」と
か分別顔で騒ぐ連中多かった
が、それは現実をあまりにも
知らない。
サーキットへ行っても走行
枠を確保するのがどれだけ
大変だったか。
だからといって公道で競技
走行まがいの事はよくない
けどね。
ただ、峠走りのローリーた
ちは、コース走行などには
興味ない連中が多かったの
も確か。
それでもレースは人気があ

って、地方選手権や全日本
の1クラスに500台のエント
リーとかごく普通だった。
鈴鹿などは1500台のエント
リーがあった年もある。
ライダーのみで3000人(笑
スタッフ入れると1万人
近くがレース参加者(笑
レースやってる人間などは
ゴロゴロいた。
それでなくとも、レースを
やらない人間たちでも、二
輪乗りはレーシングライダー
並みに巧い連中ばかりがご
まんといた。本当にごまんと。
それが1980年代だった。
にしても、1980年代は乗れて
る奴らはごちゃまんといた。

今とは雲泥の差で。
人数も腕も。

どこでどうしてこうなったのか、

今の時代、本当の本物のド下手
くそだらけになった。
これ、摩訶不思議ある。
たぶん、きっと、鉛筆も刃物で
削れない人たち?
料理とかもせんちゃろね~。

包丁とかも使えんやろ。
料理人は男性が圧倒的に多いが、
家庭料理においては女性が今で
も主役を担う事も多い。
だけど、性別関係なく、飯を炊
いて、自分で包丁使って料理の
一つでも作れないと駄目なので
は。
ニワカではあるが、キャンプ
ームは自炊という人の暮ら
しを見直す
一つのきっかけに
なっ
て、私は個人的には社会
的にはよかったと
思っている。
ブームは流行り廃りであった
としても。自分で食を確保し
て取り組む機会になったのは
間違いない。

話ずれるが、昔の武士は全て

自分で米を磨ぎ、食も自分で
まかなう事ができた。
これ、武士の必須事項。
ほんとだよ。
ヤットーだけが武士の得意技
とか思ってたら大間違い。
「生存」と「決死」の中に生
きる武士たちは、人間として
の重要な事は自分でこなした。











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