



このあたり何故か昼の食べ物屋さん
がない。見つけた喫茶店へ。
うーん。定番のカレーにしておけば
よかったか。
観音という地名は「かんのん」かと
ずっと思っていた。
「かんおん」と読むらしい。
ただ、地元の人は「かんのん」と
発音している。
「高田馬場」みたいなもんか。
高田馬場の正式は読み方は「たかた
のばば」なのだが、山手線の駅名を
「たかだのばば」という名称で新設
し、その後地名を「たかだのばば」
読みに変えられた。地元民は今でも
「たかたのばば」と呼ぶ。
広島県三原市のJR糸崎駅と地名も
そうだ。
糸崎駅は、鉄道が開通した明治25年
には三原駅だった。
それが山陽鉄道が広島まで延長する
ことになり、三原城の真上に駅を作
り、明治27年にそこを新たに三原駅
とし、元三原駅は糸崎駅となった。
読み方は正式な地元呼称の「いとざ
き」だ。
だが、2006年の新生三原市誕生の際
の住居表示実施で地名呼称は「いと
さき」になってしまった。
今では三原城周辺の人たちは「いと
さき」と呼んでいるが、「いとざき」
呼称が長年使われてきた。地名呼称
もかつては糸崎町(いとざきちょう)
が正式だった。
大昔「井戸先」の頃は「いどさき」
だったのではなかろうか。万葉の頃。
元三原駅の糸崎駅。
大きな蒸気機関区があった。
JR呉線の始発駅となっており、地方
の閑散とした駅であるのに、鉄っちゃ
んたちには結構有名な駅だ。

味のある駅看板の文字。
まるで『めぞん一刻』の時計坂駅
みたいだ。これは現状維持でいて
ほしい。

無人改札。

「いとざき」である。

かつては重要な鉄道拠点だった。
それは何故か。
駅のすぐ南に港があり、そこで石炭
の海上輸送が可能だったために拠点
化できた。



映画のセットのような駅。
このままでいてほしい。
尾道駅のように下手に近代化させて
テナントビルにして、経済的逼迫の
波が来たら高いテナント代に耐えき
れず入店店舗80軒が全て撤退、駅前
ゴーストタウン化で衰退の一途、と
いうのは寂しい。
糸崎駅はこのままでいてほしい。

尾道と同じく、糸崎は一大遊郭のあ
る鉄道港町だった。昭和31年にそれ
まで合法であった遊郭、赤線は全て
禁止。
一方で非合法化された青線はそのま
ま非合法公然で全国各地で営業を続
けていた。
遊郭・赤線・青線を通称「じょろや」
と言うが、江戸弁では「じょうろう
や」と言った。現在でも営業してい
る大阪の飛田新地がかつての青線の
形態だ。遊郭は比べものにならない
程に格式が高く、花魁と遊ぶには高
額だった。太夫などは、大名や大身
旗本、大商人クラスでないと揚げら
れなかった。一回の登楼で今でいう
と300万円位揚げ代がかかる。
それを週に何度も行く。庶民には不
可能。京都の舞妓さんの芸妓はん遊
びにしても現在もそうだ。御大尽で
ないと遊べない。
三原弁では、そうした金持ちの事を
方言で「シンショウ」と呼んだ。
糸崎機関区は港湾倉庫となったが、
糸崎の駅近辺の風景は明治時代の
ままだ。



糸崎遊郭跡地。
船着場のこの石の階段の事をガンギ
と呼ぶ。瀬戸内海地方には舟入りの
岸には多く見られる。
