渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

グータララ スーダララ

2020年11月07日 | open
 
映画『20世紀少年』でのケンヂ
のバイク。
ホンダスーパーカブのスーダラ
仕様。


混沌とする時代の中、どこからか
かっぱ
らって来たか貰ったかした
のだろう。
台形の白ナンバー付きだ。






チョッパーハンドルのパイプ
ハンドルに
改造。ポン付けで
はないので簡単ではな
い。




三部作となっている映画『20世紀
少年』
は、原作に限りなく近い
キャラクターに
役者を持って行っ
てる。
また、1969年時代の少年たちの
子役も、
大人になってからの役
者がまるで子ども
時代であるか
のように本人に似た役者を
選ん
で役に付けている。かなり凝っ
てる。
さらに、この映画、「コンテは
原作漫画
のカットを使用したの
では?」と思われる
程に原作に
描写表現が忠実なのだ。
こだわりマンが作った映画作品
といえる。


完璧に「反体制」「反権力」の
象徴であ
る。
『イージーライダー』がモデ
ル。
原作では、ケンヂたちは私の一
学年上の
年齢だ。


そして、ケンヂはウッドストック
がモデル
のコンサート会場にこの
まま登場する。
時代は21世紀になっていたが、す
べてが
「20世紀」なのだ。
だが、激動の20世紀は1930年代
と1960年
代にこそ人類が自問
すべき時間軸があった
ので
る。
とりわけ1960年代は、人が
人と
して自分たちを見直す
ことを人が始めた
時代であっ
た。その息吹は全世界で芽生
えた。
その20世紀の中半後期が持つ時代
的不朽性
は、何世紀になろうとも、
この
先、人類史の中では変わ
らない。

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