渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

先祖と日本刀の話 ~松田聖子さん~

2011年07月07日 | open

面白い短刀がある。


幕末に造られた短刀で、なかなか
覇気のある作だ。
長さ19.8cm、6寸5分3厘。
造りだけを見たら新新刀の寿命
あたりの作かと思ってしまう。
しかし、刀屋の説明では銘に
こうある。
表銘 窪田鎮(以下不明)
裏銘 安政

窪田鎮~?
あ"あ"あ"・・・・となった。
思い当たるふしがあるからだ。
安政年間とは西暦1854年~
1859年のこと。
黒船が来航した翌年に国情不安
をしずめるために元号を変えて
安政としたが、安政5年から安政
6年(1858~1859)にかけての
安政の大獄で幕府は100名以上の
尊王攘夷の大名や公卿や活動家
の志士たちを弾圧した。
結果、大老井伊直弼は安政7年
(1860)に、桜田門外で水戸を
中心とする浪士団に暗殺されて
しまう(桜田門外の変)。

黒船が来たあたりから、諸外国
西洋列強は日本に開国を迫り、
日本国内は政論が真っ二つに分
かれた。
解り易くいえば、開国派の幕府
と攘夷派(外国を打ち払う武力
討伐派)だ。別な言い方では佐
幕(幕府を佐(たす)くという
意味)と尊王(天皇を敬うとい
う意味)になるが、攘夷という
点では本当は一致していた。
ただ、徳川240年の執政に対して、
旧豊臣西軍側の西国大名たちは徳
川家に遺恨があり、攘夷を表看板
に討幕へと突き進む。将軍家茂
と皇女和宮の婚姻という公武合体
をもってしても、倒幕派の勢いは
収まらなかった。
それは京の町を全部焼き払って
天皇を拉致してまで実行しようと
した。だから幕府は志士という名
の活動家や尊王攘夷派浪士を徹底
的に弾圧した。
幕府側と倒幕派の間で、熾烈な
テロリズムが吹き荒れた。私が
生まれた年から100年もさかのぼ
らない時代のことだ。
しかし、「官」軍となった西軍は、
「維新」後はどこ吹く風で開国・
西洋化を一気に押し進めた。
その延長に今がある。

さて、この短刀は、そうした激動
の幕末の幕開けの時代に造られた。
「!?」と思ったのは、その銘に
切られた名である。
無論、刀工銘ではない。

幕末、安政年間の窪田鎮■といえば・・・
思い当たるのが窪田鎮勝(しげかつ、
文化5~明治11/1818~1878)である。
通称を治部右衛門(じぶえもん)と
いい、幕臣旗本2000石で、最後の
西国郡代だった。
西国郡代とは、九州の幕府直轄地
16万2000石を所轄して西国大名に
睨みをきかす要職だ。代官所は
豊後国日田(現大分県日田市)に
あった。
窪田鎮勝は、西国郡代の前には後
の新選組となる幕府が集めた浪士
組の取締役であった。本人も武芸
に秀で、幕府講武所で柔術師範を
している。
坂本龍馬を斬ったとされる見廻組
の今井信郎は窪田鎮勝の弟子だった。
この幕末の幕臣窪田鎮勝(維新後
は名を蒲池鎮克と改める)は、
維新後には多くの幕臣と共に静岡
を最期の地としたが、清水の次郎
長とも親交があったらしい。
しかし、次郎長が鎮勝の前で縁側
に腰をかけたら突き飛ばしたという。
侍の前で町人が縁側に腰をかける
ことなどはまかりならなかったか
らだ。

短刀の銘を照査すると、どうも
朽ちて消えた部分に「勝」の字
が見えるような気がする。
だとしたら、江戸時代の武術を
たしなむ武家に多かったいわゆる
手慰み物(武技の余暇として作刀
したもの)であろう。

判り易く写真のコントラストを加工

こういう上級武家の手慰み物の
刀はときどき見かける。
この窪田鎮勝の血筋はというと、
もともと九州の蒲池一族で、先
祖は蒲池鑑盛(あきもり)だ。
蒲池鑑盛(永正17~天正6/1520~
1578)とは、戦国大名で柳川城主
だった。
窪田鎮勝本人は、ゆえあって
弟に家を継がせて江戸に出て
旗本窪田家の養子となり旗本
2000石を継いだが、故郷に近い
西国郡代に就任することを希望
しており、それが叶う形で赴任
して行った。
息子の鎮章は鳥羽伏見の戦で
戦死している。
九州赴任後は、先祖が同じ蒲池
鑑盛で子孫同族の蒲池鎮之と
何度か会って旧交を温めた記録
が残っている。

その蒲池鎮之(しげゆき)とは、
筑後柳川藩立花家の家老格の
柳川藩士だった。
通称を鎮之丞という。
鎮之は、筑後十五城の筆頭大名
だった蒲池鎮漣(しげなみ/天文16
~天正9/1547~1581)の娘の蒲池
徳子(かまちのりこ)の叔父で
ある柳川城主蒲池統安(むねやす/
?~天正6・1578)の子の塩塚城主
蒲池鎮貞(しげさだ)の塩塚分家
を継いでいる。

この幕末の柳川藩の家老格蒲池
鎮之(かまちしげゆき)とは、
この人の高祖父(ひいお爺ちゃん)
である。
蒲池法子(かまちのりこ)さん。


泣き虫で人一倍気が強いこの
女の子は、世が世なら家老の
御姫様だった。

親子三代


聖子ちゃんより、お母様のほうが
美人だったりして(笑)
聖子ちゃんの娘のSAYAKAは、おば
あちゃんの若き日の映像を見て
「うぁわあ~~~」と叫んでぶっ
とんでいる。

思わぬところで、とある日本刀を
見ていて、ふと聖子ちゃんとの
ゆかりの人(というか血族)が
作ったであろうことを感じたので、
書き連ねた次第。

この梅雨が明ける頃、夏の扉が開く。

夏の扉

こうやって見ると、SAYAKAちゃん
って、父親の神田さん似かと思って
たけど聖子ちゃんにも似てるね。
特に鼻や口元。


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