渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

プレッピー

2023年09月10日 | open
 
プレッピーとはアメリカの私立
高のお嬢さ
ん、お坊ちゃんたち
のスタイルをそう
呼んだ。
 
1960年代後半ならば、こんな感
じだ。


まあ、リカちゃん人形のような
スタイル。


日本で一世風靡した1980年に
登場した
聖子ちゃんカットは、
登場当時にはその
呼称は無く、
プレッピーカットとファッ

ョン界では呼ばれ
た。意外と
この事は一般には
今は知ら
れていないようだ。
聖子ちゃんカットという呼び
方が一般化
したのは、松田聖子
が不動の地位を築き
始めた数曲
目あたりからだ。


しかし、聖子ちゃんカットは
1970年代
のファラ・フォーセッ
トが一躍有名にし
たワンレン
フレアのカットの発展系だ。
聖子ちゃんのスタイリストは
見事に当て
た。


日本では、日本的プレッピーとも
いえる
日本的お嬢様路線の髪型に
初めてしたの
は1973年登場の
麻丘めぐみさんだった。
これが原型。まだ段付きお姫様
カットには
していない。これは
南沙織さんやそれ以前
のロング
からまだ脱却していない。


これが発展系の段付きお姫様カット。
衝撃的な髪型だった。
この髪型はスタイリストの発案で
はなく
麻丘めぐみさん自身の発案
だという。


これ以降、両家の子女風の髪型は
この
麻丘めぐみお姫様カットが
定着した。
ジャパニーズプレッピーヘアの
誕生だ。


でも、本当のお嬢様学校は、髪
を三つ編み
とかにまとめないと
いけない校則だった。
これはどこのお嬢様学校もそう
だった。
なので、こうした流し髪のまま
のお嬢様
が制服でいることは、
現実の日本ではあまり存在
しな
かった。

現在のプレッピーヘアとはこう
いうスタイ
ルなのらしい。
清潔感があるのは40数年前と変
わらない
が、なんか違う感じも
する。
もっと70年代はポップなイメー
ジだった
のだ。
 
こちら男性の現代版プレッピー。
うーん。これも印象がかなり違う。


かつて、凡そ30年間はアイビー
ルックとの
融合がプレッピーに
は見られた。その空気
は残存し
ている。
しかし、何だか違う感がある(笑)。
 
で、60年代モッズのようなプレ
ッピーと
対極にいたのがロッカ
ーズだったが、まあ
どっちでも
いいや、みたいなのはある
(笑)。
ただ、私が大学の頃の70年
代〜80年代は
男性も女性も
プレッピーが流行っていたの
は確かだ。女子などはハマトラ
というの
も流行った。
慶應はまだ横浜の日吉時代が
1-2年である
からいいけど、
早稲
田のや青学や立教
連中がハマトラですって、
ホントは意味不明なん
だよ
ね(笑)。
ホントのハマトラはフェ
スの女の子以外はハマ
トラじゃない気もする(笑
甲子園の応援歌で慶応の
応援団はコンバットマーチ
はやらないでしょ?みたいな。
 
それでも、私の学生時代は、
男女ともこん
な感じの服が
主流であった事は確かだ。
皆んながみんな、こんな感じ。
セーターとかコットントレー
ナーとか。
これは今ではプレッピーという
らしい。
プレッピーというかスカラーズ
のような印象が私にはある。


その後、バイク乗りの大学生
や高校生の
間では、革ツナギ
の上にコットントレー
ナーを
着るのが増えた。
これは1981年頃から。
防寒着のためだ。
暑くなると脱いで腰に巻いた。
夏場では、日差し防御のため
に、やはり
革の上にトレーナー
を着た。
いつしか、革ツナギの上には
トレーナーというのが定着し、
峠を走るストリートキッズの
スタイルと
して定着した。
今はもうほぼそのスタイルは
見ない。
しかし、大学生の着ている物
は、40年前
とさして変わらな
い。
ただ、今の子は当時よりは更
に清潔感ある
ね。大学生で
なくとも若い子たち。
これは、学生でも風呂付きの
部屋が一般
的になったのと、
社会的な風潮でしょう
ね。
なにもオシャレすることは
ないけど、清潔
感ある感じが
いいよ。
プレッピーがいい感じという
のは、なんて
のか爽やかな清
潔感があるんだよね。いつ

時代でも。
ロッカーズはどちかというと、
汚れた感じ
がする(笑)。
しかし、ハートのクリーンさ
クリアさは、
はたしてどうか
な。
ロッカーズはプレッピーな連中
よりも根っ
このとこでは純で
ピュアなように思えるよ。

てなこと言ってると、1964
年のブライトンでの伝説の
英国ロッカーズとモッズの
大乱闘集団抗争のようにな
っちゃうのだけどさ。
結局は、あれはお坊ちゃま
の象徴のようなモッズたち
も本当は「不良」であると
いう事を浮き彫りにした事
件だった。

でも、本当はロッカーズと
TON-UP BOYSには線引き
があったという複雑な事も
ある。
真の走り屋(乗り屋)だった
TON-UP BOYSたちは見かけ
倒しのロッカーズとは自分ら
は違う、という自負を持って
いたようだ。
そうした二分化構造は実は
日本にも1970年代~1980年
代に存在した。



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