このシャフト3本は、3本とも太さが
まるで異なる。
だが、ノギスで計測して数値にする
と0.0xミリほどの差だ。
しかし、実際に手でレストを作って
そこのループに通すとまるで太さが
違う事が即判る。
レストのループは隙間なく作るが、
シャフトが揺れたりしないように
手の指でしなやかに包む。必ず
ループ内でガタガタゆれたり、
また締めすぎたりはしない。
絶妙なタッチで指とシャフトが
触れている。
でないと繊細なキュー操作はでき
ない。
人間の感覚はとても繊細に微細な
差異を感知できる。
人はその感知と識別と対処能力を
有している。だから人類なのだ。
猿ではない。
最近はビリヤードでグローブを
使う人間が激増している。
よく手袋など着けて繊細な素肌
感覚が必要なスキンタッチの
ショットができるなぁと思って
じっくりくまなく観察していた
ら、そんな繊細な事誰もやって
いない。グローブ着用者は。
ただ真っすぐ勢いでキューを前に
突き出すだけの突き方だ。
グローブ着用者は全員がそれ。
考えてみてもそうだ。できっこ
ない。
キューのシャフトはほんの針の
点ほどの疵があってもストローク
しているとそれを感知できる。
また、ストロークにより強弱の
具合もレストの手で感知し、脳
に信号を送る(逆か。脳が適正
信号を送るのか)。
だが、手袋などしていると、ただ
棒が滑るだけで、一切人間の繊細
で正確な感知力を捨象させる。
捨象というより人をして消滅せし
むると言ったほうが的確かも知
れない。
そもそも無垢ソリッドシャフト
の事を「ノーマルシャフト」と
呼ぶのならば、ハイテクシャフト
やカーボンシャフトは「アブノー
マルシャフト」になる。論理と
してはそうなる。
アブノーマルが標準でマジョリ
ティであるかような顔をするのは
おかしくはないのか。
ソリッドシャフト遣いに従前の
ように(というかそれがスタン
ダード)グローブなしのプレー
ヤーが多いのには、それなりの
意味があったのだ。
物理特性と人間の知覚力の高次元
での融合、刷り合わせを行なって
適正ショットを繰り出している
人間は、すべて全員グローブなど
着けていない。
着けていたら同じプレーなど
できる訳がない。
中にはグローブ着用で素手と同じ
繊細な感知力を発揮している人も
世の中にはいるのかも知れないが、
いたとしたらよほど非凡な天才だ。
私には無理だ。
素肌で感知できる微細な差異を
布の上から同レベルで感知はでき
ない。
素肌で指の指紋を感じ取る程の
繊細な感知力は、手袋などして
いては私は不可能だ。素手でない
と。
そうした概念の明瞭化、識別とは
別問題としては、私のキューさば
きのプレースタイルには、ただの
棒突っつき出しは全く合致しない。
全く不適合なのである。
手袋着用して刃物を研げないの
にとても近い。
弦を押さえるのに指先が痛いからと
手袋をしてギターやバイオリンを
弾く弦楽器奏者がこの世にいる
のだろうか。
理屈は同じ事だ。
手袋して筆やペンで繊細な絵が
描けます?
ゴルフや野球でグローブ着用する
のとは根本的に理屈が違うんです
よ。ビリヤードのストローク制御
と感知の必要性は。
そして、私は知っている。
グローブなどはハイテクシャフト、
高額チョーク、暴利タップと全く
同根で、商業メーカーの「戦略」
であると。
これは歴史を俯瞰して認知すれば
断言できる。
猶更私はグローブなどは使わない。
グローブ使わなければならない、
というルールになったとしたら、
私はそんなくだらぬビリヤード
などは一切やめる。
長靴を履いて100m走をしろと
いうようなものだからだ。
ナンセンスである。