



嘘のような本当の話。
私の小学生時代、そこらで
土器掘りをしていた。
私が通っていた横浜の小学校
の通学路は、道路拡幅工事の
時に一時歩道に土の面が出て
いた。横浜のある丘陵地帯で
起伏に富む場所だ。
その道では、至る所で縄文土器
が出て来た。昔は縄文式土器と
呼んでいた。
男子の殆どが縄文土器を見つけ
て拾って帰っていた。溢れかえ
る程に出ていたから。
本来はいけない事なのだろうが、
1970年前後などは今のような
コンプライアンスも無い。
貝塚のようなものもあったので、
遺跡なのだろうが、遺跡として
は扱われてなかった。
ただ、土器が原型をとどめる形
での出土は無く、かけらばかり
だった。縄文文様のあるかけら。
あれ、不思議なもので、女子は
興味を示さなかった。
しかし、男子は知る限り全員が
ほじくり返して土器をポッケに
入れて持ち帰っていた。
社会科の授業の時、教師が「学校
の前の道から出てきているのは
縄文式土器」と教えてくれた。
ほかにもいろいろ。
「土偶出ないかな、土偶」
「出るわきゃねーじゃん」
「それはわかんねーよお」
とか口々に言いながら、学校帰り
とかにほじくり返していた。
社会科の授業の時、教師が「学校
の前の道から出てきているのは
縄文式土器」と教えてくれた。
ほかにもいろいろ。
「土偶出ないかな、土偶」
「出るわきゃねーじゃん」
「それはわかんねーよお」
とか口々に言いながら、学校帰り
とかにほじくり返していた。
ほどなくすると、道は整備され、
綺麗な舗装になり、なだらかな
丘陵地の坂の景色となった。
遺跡指定されていたら、道はど
うなっていたのだろう。
交通量の多いバス通りでもある。
その後、さらに再開発が行なわ
れて、周囲の景観はまるで変わ
った。
田畑や丘のすそ野は全て住宅街
になった。
私が住んでいた場所は高度経済
成長期に整備された新興住宅街
で、かなり広い住宅地だったが、
昭和40年代前半には、まだ周囲
は山川田園と草原が広がる景色
だった。
今はびっしりと住宅だらけに
なった。
米軍も基地を日本に返還し撤収
した。
家の目の前が基地で、米軍家族
が多く住んでいたが、いまはい
ない。
言葉が通じないながらも、フェ
ンスごしにアメリカの子どもた
ちと交流するのは楽しかった。
同年代のアメリカ人の子ども
たちだった。
った。
田畑や丘のすそ野は全て住宅街
になった。
私が住んでいた場所は高度経済
成長期に整備された新興住宅街
で、かなり広い住宅地だったが、
昭和40年代前半には、まだ周囲
は山川田園と草原が広がる景色
だった。
今はびっしりと住宅だらけに
なった。
米軍も基地を日本に返還し撤収
した。
家の目の前が基地で、米軍家族
が多く住んでいたが、いまはい
ない。
言葉が通じないながらも、フェ
ンスごしにアメリカの子どもた
ちと交流するのは楽しかった。
同年代のアメリカ人の子ども
たちだった。