
私の古い刀友に絵を描く人がいる。
洋画ばかりだったが、最近これを
描いてみた、との事だ。
いよいよ、武蔵の境地を目指す
のか。
剣術達者は剣だけでは駄目とは、
巷間、斯界の練達者たちによって
膾炙されて来た。
舞踏もできなければならないし、
舞踏もできなければならないし、
書も書けて絵も描け、また、音
曲についても精通する事も武芸
のうちとされる。楽器ができて
歌も歌えないとならない。詩吟
も然り。
さらに、漢詩のみならず、詩歌
全般に通じ、故事に通じ、古今
東西の政(まつりごと)にも通じ
ないとならない。
これらは、私が言うのではなく、
私の師や教えを請うた先生たち
もそれを言っていたし、古来か
ら武芸の素養として云われて来
た事だ。
それが日本の剣の世界の常識。
なぜ必要なのか。
それは、剣とは武器であり、そ
の武器を単に上手に扱えるだけ
の争闘者であるのみでは、とて
も危険な領域に精神と存在が陥る
からだ。人間は全てが良人では
ないので。
剣持つ者は単なる暴力者であっ
てはならないので、百芸に通じ、
かつ勉学を通して教養を深める
事が必要とされる。
これが、日本人が編み出した
野蛮な二百年戦争の内乱が鎮ま
って以降の江戸期の日本人が
自ら考案した剣持つ者の在り方
の組み立てだ。
このあたり、外国人にはなかなか
理解されがたいようで、日本の
武家政権文化の中の武士をただの
ウォーリアーとしてしか捉えない
ようなフシがある。バイキングや
パイレーツのように。
それ、違うから。
剣士教養人たるべし。
これは日本剣士の鉄則なのである。