渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

2021年12月13日 | open


最近、絵を描いていない。
描く場合は、時間がかかる時とそう
でないケースの時がある。
中身による。
この絵などは、表現性を考えてでは
なく、新しい絵の具のテストで描い
たので、ここまでの筆で合計3分と
かかっていない。

曲も似ている。
時間がかかる時とサッと完成する時
がある。
私は自作曲は全て歌詞と曲が同時に
浮かぶ。歌詞は一番だけだが。
それも時間をかけて手直しする場合
と、ほんの30分程でラストまで出来
上がる時がある。
これは上の絵とは違って、テストピ
ースとしてではなく、曲はいきなり
本チャンのつもりで作る。
浮かぶ時にはフワーッと頭の中に曲
と歌詞が浮かんで来る。

ほら、人が喋る時って、弁論スピー
チ以外は、いちいち何をどう言うか
とか考えてないでしょ?
日常会話とか。
私の場合は、それと同じで、頭に浮
かぶ事を言う。
これは1万人の猛者の前での演説でも
仲人をした結婚式のスピーチでも、
父親の葬式の挨拶でもそうだった。
原稿読みなどという事はしない。
慶弔の席でも、原稿読みのスピーチ
程心のこもっていないものはないと
考えている。

それでも、話したりする骨子は事前
に検討しておくことはある。素案と
して。
だが、基本的には全てアドリブだ。
アドリブの自然発生の声こそが、
特に演説などでは聴く人を熱狂させ
る事を経験して来た。
これを書いている今も、予めの原稿
などは無い。
下調べをするのは、年代表記や事実
事項の確認の前調査等のみだ。
あとは、パッションのままに表現を
成す。

絵や楽曲とか文章とかは、そういう
ものではないのかなあ。
文にしても、「無」から作出創出さ
せるのだから。

プロではない。
絵などは、描きたい時にしか描かな
い。
プロのモノカキではない。
この日記も、書きたい時にしか書か
ない。




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