渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

新型メグロ発表 ~カワサキの軌跡~

2023年12月18日 | open





カワサキが新型メグロ2024年型
を発表した。
目黒製作所は1924年(大正13年)
創業だ。
私が生まれた場所のごく近所に
目黒製作所はあった。
目黒製作所の場所は戦後の品川
の端に位置するが、付近一帯
かつては目黒とも呼ばれていた。
目黒区の端と品川区の端の隣接

エリア。

目黒製作所は日本国産二輪の雄
だったが、経
営が破綻し、昭和
39年(1964年)に川崎
航空機工
業に吸収された。

最初は経営再建の業務提携だっ
たが、のちにカワサキがメグロ
を吸収する
ことによって、川崎
(グループ統合後は重工)は二輪
部門を有する二輪製造メーカー
にもなった。
つい数年前に重工
は鉄道製作部
門と二輪部門を独
立させ、二輪
部門はカワサキ
モータース株式
会社となった。

カワサキ自体は1878年(明治
11年)に川崎正蔵が東京築地に
川崎造船所を設立したのが企業
の始まりだ。まだアメリカでは
西部開拓時代の真っただ中の
ワイルドウエストでは無法時代
の頃だ。コルトSAAの供給開始
から3年目。
その後、船舶や橋や機関車や
複葉偵察機や戦闘機(飛燕)等
の航空機、バス等をカワサキ

作り、日本の近代化に貢献
した。
ルーツを辿ると、二輪の国産
メーカーではカワサキが一番
古い。元々はお船屋さん。
関東大震災後の東京の25の橋は
カワサキが作った。
特に1926年完成の勝鬨橋は当時
の最新技術
を投入して作られた
橋で、道路部分がハの字に大き
く開く二葉式跳開橋だ。

勝鬨橋は1980年に交通量の増加
に伴い、開閉を廃止した。
だが、高度経済成長期には既に
交通量が多すぎたので、1970年
11月を最後に開橋廃止の1980年
まで一切開かなかった。




カワサキの技術。開橋はやめたが、
今でも主要部の機関施設部は残っ
ている。およそ100年前の建造物。


カワサキが作った橋では、やはり
隅田川にかかる永代橋が非常に
美しい。これも昭和初期の橋だ。
大阪は水都といわれ八百八橋と
呼ばれていたが、実は東京こそ
が水都であり、東京の橋のほう
が数は多かった。
「八百」というのは日本語の俗語
であり「たくさん」という意味だ。
「八百万(やおろず)の神」や
「嘘八百」のように。

永代橋。非常に美しいアーチ橋だ。
1926年建築だが、現代の東京にも
とてもよくマッチしている。







この記事についてブログを書く
« 新車で買える空冷2気筒250 | トップ | 三式戦闘機 飛燕 »