渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

対象は都会人のみ

2021年05月22日 | open




















バガこくでねえ。
三里塚芝山の北総大地の農民たちは、昼間
昼寝をみんな取る。
そうでないと真夏の過酷な農作業などでき
ないからだ。
朝は夜明け前に起き、夕方日が暮れるまで
働く。
昼間は家に一旦もどり、昼寝の仮眠を取り
また作業に出かける。
一日が終わると身体はクタクタだ。
これは俺が七人の侍のような現闘だった
からよく分かる。読んだり聞いたりした
事ではない。その真っ只中にいた。現地の
セクト団結小屋に住み込みで。

この「調査チーム」とやらは、日本全国
の国民がエスカレーターやエレベーター
のある場所で真夏にクーラーの利いた部屋
で仕事していると思っているのだろうか。
リモートワークとやらができる仕事のみ
が国民の仕事だと思っているのだろうか。
俺からしたらバガヤロさまか?とか思う。
外や工場でヘトヘトになるまで汗水垂らし
て肉体労働をしている労働者や過酷な農作
業で人々が日々食べる作物を作っている
農民たちや、危険な海に乗り出して魚を
獲る仕事に従事している漁業関係者や、
山林に入って木と取り組む林業の人たちの
ことは一切想定していない。
つまり、第一次産業の事はスッポーンと
頭から抜けている。
何が「研究チーム」か。笑かすな、と思う
だよな。

この三里塚現地の風車のシマシマは俺が
塗った。向こうに見えるは三里塚空港の
管制塔だ。


組み立てはヨイトマケのように現地支援
セクトの人力でやった。組み立てる前に
現地でシマシマ塗装をハケ塗りしたのだ
が、それを担当した。銀地に蛍光ピンク
に近い朱色と紺色だ。
ちゃんとしたさく井技能師が井戸を掘っ
た。
農業用水を引くために鑿井試錐し、自立
的な灌漑用水を建設するためだ。これは
新時代のテストプランとしてやった。
三里塚農民が「闘う農業」という方針を
打ち出した年だ。三里塚の農民たちが全国
で先駆けてやった事業では、有機農法と
いうものが全国的に広まり新農法として
のちに日本に定着した。
この西部劇のような風車は、北総大地に
入植して必死に開拓してきた三里塚農民
の不撓不屈の魂のシンボルともなった。
彼らは自ら言った。「百姓魂」と。
倒立の時の画像。
この右下の銀ヘルの中に俺が写っている。
どれだかは即特定できる。

この上掲引用ネット記事の日付がたまたま
にしろ5.20だから、なおさらちょい待てと
なった。
おんめえ、百姓とかの事一切頭にねえだろ
が、と。



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