ん十年前に難関大学を卒業した友人剣士
と起請文の話題になった。
起請文を紹介したら、「読めへん」と言
う。「記号かと思った」と(笑)。
「高校で漢文やってたら読めるどー」と
言うと「あ、これ漢文や。あー、読める
わ」となった(笑)。
勉強できる奴のけっ躓きのようで結構
可笑しかった。
結語の「仍起請文如件」の文言はよく使
われる。「仍◯◯◯如件」のように。
高校までの漢文の基礎学力は日本刀と古流
武術の研究に於いては大切だ。
当時の文字と文章を読み下せなければ、
書かれている要諦のヒントとなる重要な
剣理の内容が理解不能になるからだ。
特に中世末期から幕末までの文章は読め
ないよりは読めたほうがよい。刀法並びに
日本刀探究者ならば。つまり読み書きは
出来たほうがよい。
かつて自称日本刀のオーソリティーの人
が、俺が鞘書きをしてやる、価値が出る
ぞ、と言って人の刀の白鞘に鞘書きを
したのを見た。
膠を墨に混ぜること不知にて、滲んだ
無残な薄墨の鞘書きで、刀身の長さを
「二尺三寸八分之有」と書いていた。
「有之」の文法について全くの無知だっ
たのだ。
私だったら鞘にカンナかけちゃいますね、
絶対に。
というか、斯界の大家でもない者にそも
そもなど鞘書きなどはさせない。
後日談として、その仁が私に言う。
「白鞘に墨で書くと、どうしても滲んじゃ
うんだよね。どうしてかね」
「そうですか」と聞き流しておいたが、
不勉強にも程がある。
それは武道具屋兼刀屋だった。
人の所蔵肥前刀を「ニセモンだけど出来
が良いから180万で買い取ってやるよ」と
刀を取り上げ、500万で売り払って「あ、
あれ?あれは本物だったよ」とその買い
取った本人に言ってのけるような人物だっ
た。
従前、私が鑑するに正真も正真、見紛う
事なき正真ゆえ、しかるべき団体で鑑定書
を付けて貰ったほうがよいですよ、と持ち
主に進言していた刀だった。
古物商などは、四書大学にある「小人閑居
為不善」そのものであるというのを見た
思いだった。
「閑居為不善」については、暇こいてる
とよからぬことをする、との誤認識が世間
では多いが、大学第一章第一節のこの原文
の原意は、「品性下劣な凡人は他人の目が
ないと悪どいことをしでかす」という意味
である。
ちなみに、四書五経の習得は武士の慣いで
あったのだが、とりわけ四書のうちの大学
は、自己修養を進めて、人民を救済する
政治を司るためにはとても重要な学問だ。
武士は単なる武装暴力集団の蛮人ではない
ので、治世についての教養が無ければなら
なかったのである。