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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ジッポー

2020年07月13日 | open


なぜ、この1980年製の安いジッポーを
使い続けるのか。
これのみを使っているわけではないが、
一番使用頻度が高いのはこのジッポーだ。
なぜ、これを使い続けているのか。

理由は、音だ。
ジッポーは個体ごとに音が異なる。
それがジッポー好きな人たちを魅了して
いる理由の一つでもあるのだが、人それ
ぞれ好みの音がある。
釣りのリールのようなものだ。
フライマンなどは殊更にリールの音にこだ
わる面もある。
好きな人たちは、自分好みの音をこだわり
という範囲を超えて偏執的に求めて彷徨
う。
楽器などもそうだろう。
なぜ、ギターで奏でる音楽好きな人たちが
ただの一台のギターだけでなく何台も数が
増えるのか。
それは、音を求めて彷徨う旅人だからだ。

火付け用具でしかないジッポーにもそう
した面がある。
2003年。
全くタバコを吸わない人に、それは何?
と訊かれた。ジッポーを見たことがなかっ
たらしい。
「ライターだよ」と言って、渓流に向かう
車の中でショッポに火をつけた。
チーンという音と共にフタを開けた時、
「わ、いいおと〜」とその人は言った。
たまたまだが、別なジッポーを持っていた
のでフタを同じように開けてみた。
「全然、音が違うのね」と言う。
それはそうだ。音が違う。その通りだ。
私のこの1980ジッポーはフタをオープン
すると、COLT ACP.45の空カートリッヂ
アスファルトの路面に落ちた時のような
高い澄き通る音がするのだ。心地よい。
人生の最期に聴いた音がそのカートリッヂ
の音だとしたら、かなり嫌だけどね。

ジッポーの音は、それぞれ個体差がある。
人それぞれ好みがある。
面白いのは、ジッポー好きの、多分誰も
が、その音を自分だけで楽しんでいるだ
ろうことだ。
完全に自分だけの自己満足の世界。
他の人からしたら、なぜそんなことに価値
を見出すのか、全く理解できない世界。
音楽家のように人に聴かせる為の音でも
ない。
だが、一個人にとっては、「これ!」と
いう音がある。
ほんのごく僅かな微細な音の差異でしか
ないのだが、ジッポー好きはその音質に
こだわり抜く。
私も人の事は言えないが、好きだねえと
思う。
百円ライターで火をつけるのとは別な世界
をジッポー遣いたちは持っている。

この炎はジッポーでつけた。

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