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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

タップ交換

2022年08月20日 | open
 


帰宅後、メリケン杖のタップ
交換
をした。


ポリッシュ後。

このシャフトがとても良い。
キンコンカンならキンの音。
ただし、バットにもよる。
このキュースティックのバットに
はこのシャフトが一番マッチする。
気のせいではなく、音程と打感は
比例すると思う。
ソリッド感ある打感のシャフトと
バットの組み合わせは、おしなべ
て高音のクリアな音がする。
逆も然り。
ボンボン音のシャフトとバットは
ソリッド感をもたらす物は無い。
それはパコンというドライ感とも
異なる。
 
だが、切れは別物。
ソリッド感やドライ感とは関係な
く切れるシャフトはある。
よく切れてソリッド感があるシャ
フトが私は好みだ。TADやランデ
のシャフトのように。
なぜソリッド感のあるシャフトが
好きかというと、打感がダイレク
トリーなので、反応がリニアで
扱い易いのだ。
それはまるで2ストのレーシング
マシンのスロットルは120アング
ルの開度で制御せよ、と私が柳沢
雄造氏に叩き込まれたように。
2ストは難しいとは水準が低い
所見者がよく言うが、実は一切
ボヤけないシビアさを持つがゆえ、
反応は直裁であり、それを知覚で
きるならば、逆に扱い易いのだ。
キューも全く同じ。
シビアな動きを実現させるには、
シビアでリニアな反応をする物が
扱いやすい。
シフトがオートマのキューなど、
私は要らないのだ。
そんなの、なやこったい。
人は人それぞれ。
私はそれだ。他人の事は知らない。
各人が自分のアイデンティティを
大切にして生きればいい。
そうした人の個体の個性をどうの
こうの揶揄するのは、そいつぁ
スットコドッコイの極みだ。
 
それでも、優れたシャフトも冴え
ないバットに繋ぐとアレレ?とい
う能力になる。
やはり、シャフト単体の如何では
なく、バットとの相性によって
シャフトの能力は最大に発揮され
ると思われる。
 
その定理を踏まえるならば、個人
ビルダーのカスタムキューのバット
に、作者以外のシャフトを連結する
のはナンセンスだ。
総合的なトータルバランスを射程
に入れてビルダーは製作している
からだ。
例えば、ラッキー菱沼さんの作る
極上シャフトは、ラッキーさんの
バットでなければ本当の本質的
能力を100%出せないと思う。
TADにはTADのシャフトというよ
うに。
(私は菱沼さんが日本一キューの
事を知悉している博士だと思う)
 
そのあたり、私はまだまだ勉強
中なので、日本刀に関する程の
知見も確たる所見も保有してい
ない。
まだまだなのである。てんで。
 
週末研究会は、いろいろな面で
の検証過程としての探究が得ら
れるのでとても面白い。
ただ玉を入れポン、出しポンで
はなく、キューそのものについて
の考察を相方と二人して実行して
いる。
連マスがナンボ出たとか、そんな
事ではないところを探っているの
が実に面白い。
いろんなキューを試しながら、
不確かな部分を手探りながら
も研究している。
これ、とっても面白いのです。
こういうのは、人的質性なので、
望んでそうなるものでも、望ま
なくともそうなるものでもない。
持って生まれたものだ。
使う道具に対する視点、のよう
なものは。
気にしない人はまるで気にしない。
ただ、私は気になる。
KTCやスナップオン等が非常に
よく出来ているその作り手の製作
視座に、静寂なる感情発露の上
で共鳴する。
 
とにかく、キューという道具は
とてつもなく面白い。
ただの棒なのにね(笑
魔法の杖みたいだ。
いろんな事を実現できる。



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