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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

プラスチックモデルの発達

2023年05月15日 | open


金属モデルとプラスチックモデル
のSAA。所有しているピースメー
カーのごく一部だ。

世界初のモデルガンメーカーの
MGCが発売したコルト・シングル・
アクションは1960年代に大人気
だった。
その後、後発メーカーがモデル
ガンを多く出すが、MGCの製品
は作動性が比べ物にならない程
に良く、「撃つならMGC。鑑賞
するなら別メーカー」とまで云
われていた。

1971年10月に日本の歴史上重大
な銃刀法改訂が為された。
それは、玩具銃のハンドガンは
金属製は銃口を塞いで黄色もし
くは白く塗らなければならない、
とするものだった。おもちゃ狩
りが実行されたのだった。
長物に関しては黒色でもOK。
黙認として金属製ハンドガンは
金メッキのみは黄色に分類する
のでOKとされた。
ただし、シルバーメッキの金属
製は違法であるとされた。
実銃でニッケルメッキやクロー
ムメッキやステンレス銃がある
ので区別がつかないから、と
いうのが理由だそうだ。

1971年10月規制以降、モデル
ガンメーカーは製品を金メッ
キにしての発売に切り替えた。
ただ、当初は金粉のような
絵具を塗っただけみたいな
製品も多く出回った。洗えば
落ちて黒色ブルーイングが出
てくる。
アメ横のマルゴー製などは
それだった。
一方CMCや中田は綺麗な金
メッキ仕上げで製品化した。
MGCはどうかというと、一般
的な製品ラインは、まるで
ボルトとナットのメッキのよう
な粗末な金色処理をした製品を
発売した。
それとは別枠でMGCは金メッキ
シリーズを出した。
これは規制前にもクロームメッキ
モデルが上級高級機種として発売
されていたが、その金メッキバー
ジョンだった。

その高級金メッキバージョンが
これである。71年規制後モデル。


ただし、モデルガンメーカー
全社の中で一番綺麗な金メッキ
に仕上げていたのは後発メーカ
ーのコクサイだった。


1972年。
世界初のプラスチック製の
モデルガンが登場した。
それを実行したのはやはり
世界の魁MGCだった。
スイスのSIGオートとアメリカ
のS&Wリボルバーを製品化
した。
ただし、実銃に似せた架空銃
だった。
S&Wは「ハイウェイパトロール
マン」と名付けた口径.41マグ
ナムという謎の銃だった。

実銃原典は1954年発売のNフレ
ームM28の.357マグモデルだ。
M19コンバットマグナムも近い。


謎の.41マグナム。


オリジナルの刻印。


S&Wのロゴはなぜか逆さに
刻印されている。




1972年製。発売されて即買った。
別売り木製グリップ(ローズ)
も買って換装した。


一番最初のABS製モデルガン。
シリンダーと右プレートのみ
材質が違っていてブルー色だ。
バレルとフレームは真っ黒。


規制後の絶望時代に「黒いモデル
ガン」と銘打って登場したこの
モデルは超絶爆発人気となった。


紙火薬の粒をカートリッヂの
先に詰めて撃発させる。
バーンという快音と共に往年
の銃口からの発火も楽しめた。
購入者たちは撃発させまくった。
私もである。
ただ、ごく初期のABSは耐衝撃
性プラとはいっても粘りが無く、
この後10年くらいは簡単に割れ
る素材ばかりだった。
この個体も撃ちまくった結果、
割れた。

しかし、このMGCのプラシリーズ
は当初は「プラスチック~?」と
馬鹿にされて軽んじられていたが、
実際にはとてもよく売れたし、
その後50年経ったのちにもプラが
主流となる道筋を切り拓いた。
何よりも良かったのが、映画や
ドラマのステージガン=プロップ
ガンとして使用できるからだ。
撮影用とはいえ、金属製の拳銃
は所持そのものが禁止になった
からだ。
欠点は、重量が軽い事と割れや
すかった事だけだった。
『太陽にほえろ!』も『ワイル
ド7』も、ほかのドラマも、出
てくる銃はすべてこのMGC
ハイパトになった。
その後MGCのローマンが出た
ら、今度は全ての日本の映画
がローマンになった。

このプラ製モデルガンの登場は
ファンだけでなく映像作品世界
にも光明をもたらしたのだった。


そして、銃口は閉塞されながらも
重さゆえに人気がある金属モデル
と平行して、次々にプラ製モデル
が登場し、モデルガン業界は1960
年代以上に大隆盛を見せる。
それが1973年から1985年あたり
までの時代だった。

だが、その後、エアコッキング
ガンが登場する。
次期を一にして1983年に米国
のネルスポットガスガンでの
マーキング撃ち合いゲームの
「サバイバルゲーム」を日本に
愛知のK氏が紹介導入した。
これはエアコッキングの鼓弾
を使って中て合うゲームで、
射程距離は10mほどだった。
これが徐々に人気を得た。
そして、1985年に世界初の
ガス圧トイガンが登場して
エアガンブームの幕開けと
なった。同時にサバイバル
ゲームが大流行となった。

私はサバゲ第一世代で、登場
した1983年からやり始めた。
だが、同時に「弾の出ない」
モデルガンは捨てがたい魅力
があったので、モデルガンを
捨て去る事はしなかった。
モデルガンとエアソフトガン
は同メーカーが開発するの
で、どんどんエアソフトガン
も実物の銃の形に進化した。
モデルガンファンの数とエア
ソフトガンファンの数が逆転
するのは1980年代末期だった。
結論として、エアガン開発に
移行がうまく進まなかった
MGCは世界初のメーカーで
世界の映画でも使用された
製品を作っていたのに倒産
した。主軸をエアガンでは
なくモデルガンに置いたまま
だったからだ。
客が遠のけば店は潰れる。
MGCはユーザーニーズに応える
かつての天下のメーカーでは
無くなっていた。
そして、中田、CMC、マルホ、
マルゴー等々がモデルガン業界
から撤退した。マルゴーはナイ
フ屋になったし、中田商店は
衣料品屋になって活路を見出し
た。

モデルガンとエアガンを問わず、
トイガンで使用するABS材料の
開発も樹脂メーカーと共同して
進められ、プラ製モデルの材質
がどんどん進化したのも1990年
あたりからだ。
そして、いつの間にか、1971年
の史上最悪の銃刀法改訂は、そ
の中身が有名無実化していった。
材質はプラスチックでも外見上
は質感が格段に向上したからだ。

15年程前のプラ製モデル。
外見上は金属と見分けがつかない。




プラ製材質がまだ未発達の頃
のモデル。
私のチューンナップしたWA
モデル(上)と国本圭一氏が
使っていたSAA(下)。

まだ非常に割れやすかった1970
年代中期の時代の物で、暫く
するとやがて割れて使えなく
なるのを前提とした製品だった。

21世紀のプラ製モデル。
今やプラの質感は金属に迫る。



プラ製のモデルガンやエアガン
では現代では特筆的な事がある。
それは、プラ樹脂にメッキを
かける技術が飛躍的に発達し
た事だ。
今や、どう見ても金属にしか
見えないようなメッキ樹脂は
自動車部品やスポーツ用品
等にも使われている。
そうした技術の転用は玩具銃の
表面処理にも反映されてきた
のである。

プラ製のシルバーメッキ。
クロム処理で実銃と同じような
メッキ仕上げが為されている。
「湯じわ」も一才無し。
非常に綺麗な処理で鑑賞にも
充分耐える。


プラ製品のメッキモデルはモデル
ガンもエアガンも非常に手間が
かかるためかなり高額になるの
だが、メーカーはさして黒色
モデルと差異がない価格設定
でリリースしている。
最近ではゴム製のトイガンも
登場しているが、まだまだプラ
樹脂製のトイガンが日本を中心
に世界に発進される事だろう。


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