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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

この世に本ハギキューが生まれた時

2022年07月14日 | open


(1941年ブランズウィック社の広告。
タイトリスト1stエイジとキャロムの
世界チャンピオン、ウィリー・ホッペ
のツーピース新型キュー)

1900年代初頭。
米国ブランズウィック社は歴史的
なビリヤードキューを発明、登場
させた。
それは1850年代にビリヤードの
道具がメイスというゴルフクラブ
のような木製道具から柄の部分
だけが分離して「キュー」として
人気を博してからキューがビリヤ
ードの道具として一般化した頃の
物とは全く異なる新方式の構造だ
った。
様式は従来の通りワンピースの
キューだが、ハギという別な材木
を繋ぎ合わせて、カラフルなべニ
アも噛ませた構造だった。
それはモデルナンバーはブランズ
ウィック 26 1/2という製品だった。
とてつもない人気を博し、この
新方式は21世紀のこんにちまで
続くキューの作り方の一つの指針
となった。


1930年代、ブランズウィック社は
さらにラインナップを広げた。
構造は四半世紀前に発表したフル
スプライス本ハギだ。製品はチャ
レンジャー、トゥルーバランス、
キャロムキングと命名された。
廉価で提供されたため、これも
また爆発的に人気を得た。
当時はビリヤードメーカー以外
ではキューなどは作れなかった
ので、ブランズウィック製品の
独占状態が続いた。
その製品のうちキャロムキング
という製品は、従来の26 1/2を
そのまま改名させたものだった。
これらのキューはタイトリスト
という区分けの名称が冠された。
さらに26 1/2→キャロムキング
と1930年代後半に改名された
製品は1941年に劇的な進化改名
を遂げる。
それは「ウィリー・ホッペ・
タイトリスト」と改名された
2ピースのジョイントキューと
して登場した。大革命だ。
その製品は鮮やかな色のべニア、
四剣、フォアアームに焼き印
の署名入り、エンドにはブラ
ンドシールが貼られていた。
先角はバックホーンの角が使わ
れていた。本当に「先角」で
ある。象牙の牙(歯)ではない。
このウィリー・ホッペ・タイト
リストの2ピースキューの誕生
は、その後数十年間も全世界の
ビリヤードのキュー作りに測り
知れない影響を与えた。
ハーマン・ランボウはブランズ
ウィックから入手したブランク
を使ってキュー作りをした。
ジョージ・バラブシュカ、フラ
ンク・パラダイス、ユージン・
バルナー(パーマー)、ガス・
ザンボッティ・・・他にも多く
の個人ビルダーが登場し、ブラン
ズウィック社のキューをブランク
(材料ベース)として使用した。

ブラジリアン・ローズウッドを
使ったタイトリストの本ハギ。
左の個体の色が薄く見えるのは
クリア塗膜が剥げているためだ。


ブランズウィックのファクトリー
ブランクこそが、こんにちの全
世界のキュー作りのベースとな
ったという歴史がある。

そして1960年代からは個人ビルダー
が台頭する時代となった。
個人ビルダーとその製品を指す
言葉としては、当時はカスタム・
キューメーカーなどという言葉
もコンバージョンという単語も
存在しなかったが、やがては法
人化させたりして大きな企業化
を遂げたメーカーもいた。
それがスウェーデン出身の旋盤工
だったユージン・バルナーが立ち
上げたPalmerだった。
パーマーというブランド名は、
バルナー(バーナー)では無名
なので、当時絶大な人気だった
ゴルフ選手のアーノルド・パーマー
にあやかって名称を頂き流用し
たという逸話がある。

パーマーは、とんでもない量の
製品を作り出した。
年間本数14,400本。それを超廉価
で販売した。納期は別メーカーが
半年~10ヶ月程かかるところ、
納期3ヶ月で納めた。
結果、爆発的に売れて市場を独占
するようになった。
キューメーカーのマスプロ企業の
登場だった。
そして、パーマーが作ったキュー
はバラブシュカやランボーの
キューにそっくりなモデルも
「タイプ」としてラインナップ
して廉価に販売した。
まだ商標や著作権認識が薄かった
時代を背景にパーマーは量産を
続けた。
一時期のアメリカン・プール・
キューの普及品は、日本での
一時期(1986年代~1995年)
にはアダムのみしかほぼ見られ
なかったのと同じ状態になった。
パーマーこそがアメリカンキュー
を独占席巻したのだった。
日本ではアダムから三木が独立
してからは人気を二分するよう
になり、それが世界勢力地図
を後年形成するようになる。

パーマーの初期製品。
(1960年代のカタログナンバー2
のラインナップを当時を再現して
並べたもの)


A:パーマー・カスタム
B:パーマー・パーソナル・カスタム
C:パーマー,ランボー・スタイル
D:パーマー・オリジナル
E:パーマー・オリジナル
F:パーマー・オリジナル
G:パーマー・オリジナル
H:パーマー・リミテッド
I:パーマー・デラックス
J:パーマー・デラックス
K:パーマー・デラックス
L:パーマー・デラックス
M:パーマー・サプリーム

見てすぐにお分かりになるだ
ろうが、Cなどはモロに映画
『ハスラー』(1961)で使用
されたランボー製のキューに
そっくりだ。全く同じ作り。
また、少しキューに詳しい方
は、どれもがジョージ・バラブ
シュカと見分けがつかない程
に似ている事に気づくだろう。
DやGなどは初期バラブシュカ
だと言われても、専門の鑑定士
以外は判らないのではとさえ
思われる。

パーマーは一つの時代を確実に
創ったといえる。
だが、その大元のルーツは、
ブランズウィック社だ。
パーパーはブランズウィックの
ブランクを使っていたからだ。
後に生産がおいつかず、助っ人
でバートン・スペインが作り出
す大量の本ハギブランクを導入
したが。
ともかく、地球上のキャロム
キューとポケットビリヤード
キューはブランズウィック社
のメーカーキューこそが歴史を
創り出した。
なぜアメリカでキャロム?と
現代なら思うだろうが、ボーク
ラインや三つ玉の世界チャンピ
オンはずっとアメリカ人だった
のだ。
そもそもアメリカでは赤白玉で
穴に落とすビリヤードが英国か
ら北米大陸に伝わって、独自に
カラーボールに進化し、メイス
から柄の部分がキューとなった。
1860年の第一回全米ビリヤード
大会はまだ紅白ボールで穴に
落とす大会だったが、全てキュー
を使うルールではなく、メイス
の使用も許可されていたようで、
当時のその大会を報じる新聞
によると「キューの人気がメイス
を上回っている」と書かれている。
完全にキューのみでビリヤード
が行なわれるようになったのは
1870年代中期以降のようだ。
ピース・メーカーが西部を征服

した頃から。日本ならば明治初頭
の鹿鳴館時代。

そして自動車もオートバイも発明
されて20世紀の幕が開け、1900
年代初頭にブランズウィック社
がビッグホーンの角をフェルール
に使った本ハギキューを発明した。
プールキューの歴史はブランズ
ウィックと共にあり。

ブランズウィック製のプールボール
(3番)とベルギーのアラミス製
手玉(乳白色球)。
ブランズウィックが生産拠点を世界
展開させた以降の製品なので、どち
らも製造はアラミスだ。この3番は
ブランズウィック社のアラミスOEM
製品。テーブルは1980年代から台湾
で製造するようになった。
西部開拓時代などはサルーンのバー
のバーカウンターなどはブランズ
ウィック社の米国製品が市場を独占
するような状態だった。ビリヤード
用品製造メーカーは家具調度品メー
カーでもあり、これは日本の神田の
淡路亭などもそうだった。


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