所用で福山まで出たので、
福山城に寄ってみた。
ここの桜も良い咲き具合
だった。
藩校誠之館は現在も県立
高校として存続している。
城主は水野家から阿部家
に移り幕末を迎えた。
幕末の藩主で幕府老中首座
の阿部正弘は打ちかかる列
強の強圧に抗して国防の為
に安政の改革を成した。
だが、外圧には抗しきれず、
日米和親条約を締結し、開
国し横浜が生まれた。
激務により、日本の最重要
人物だった阿部正弘は37才
で病没した。
正弘没後、開国派で阿部と
対立していた彦根藩主の井
伊直弼が大老として幕府の
実権を握ったが、反対派を
悉く粛清した。安政の大獄
である。
そして井伊直弼は外国打ち
払いの攘夷派によって江戸
城登城最中に桜田門外にて
殺害された。満44才。
テロにはテロを。暴力には
暴力を。武力には武力を。
「幕末内戦」の国内情勢の
素地は阿部正弘時代に外圧
により開始され、井伊直弼
の弾圧により弾みをつけた。
そしてそれは朝廷を権威と
した権力争いを経て、捏造
権力により戊辰戦争の内戦
へと爆発する。
武士の魂を捨て、東日本の
人士を殺戮しまくらなけれ
ばならない内戦へと。
戊辰戦争では人倫に悖る蛮行
が新政府軍によって実行され
た。
なお、歴史遺構である福山城
城郭遺構は、現在も開発業者
によって破壊され続けている。
これにつては、行政も国も見
て見ぬふり状態で、福山城の
遺構は分譲マンションや新規
建築ラッシュの中でどんどん
破壊されている。
いかにも福山らしき実態が今
も実行されている。
私の母は福山出身だが、戦後
民主主義の時代にあって、県
政・市政選挙の時「ここに入
れろと言って来んけど、今度
は誰に投票すればええんかの
う」と大人たちは一様に言っ
ていて子ども時分に唖然とし
たという。
「こんな人たちが選挙権持っ
て投票して、そんなので選ば
れた人間が政治をやるのか」
と愕然としたらしい。福山人
のその後進的精神性に。
広島県自体がそのような体質
であるから河合事件のような
前近代的で反民主主義的、反
社会的な事を平気で政治家が
やるのだが、そういう精神風
土は広島県はごくフツーだ。
教育やスポーツや武道の場で
もみにくいパワハラが今も実
行されている。
フジテレビどころじゃない。
県全体、県民体質がそういう
とこ。
開明性や民主主義的精神性な
どはゼロだ。
これ、現実。
病魔に冒されていようと、現
地民たちは自浄したり治した
りする気は一切無い。
それでは人として、社会とし
て、助かるものも助からない。
そんな場所。これ事実。
君が代法制化は広島県の膿に
よって死人がぼこぼこ出て、
やむなく国歌法制化が断行さ
れた。
そういうとこ。
今、兵庫県が少し似ている。