渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

トッププロは今までどんなビリヤードキューを使ってきたのか⁉︎【初公開】

2022年01月16日 | open

トッププロは今までどんな
ビリヤードキューを使って
きたのか⁉︎【初公開】

ポケットビリヤードの世界チャン
ピオンに最も近い男、土方隼斗
選手
が初めて買った自分のキュー
TAD。
遠目で観てもすぐわかる。

TADは真っ白の長めのデルリン
エンドキャップが特徴だ。
デルリンはかつては最先端の
樹脂構造材でデュポン社の登録
商標の製品名である。タービン
の軸受けなどに使われた。
金属同士のカジリが無いため、
極めて優れた工業素材だった。
ただし、一般的な接着剤は一切
効果がない。つまり専用特殊溶剤
以外では全く接着できない。
TADはバットエンドキャップと
してデルリンの抜けるような純白
さゆえ採用したが、キャップと
バットエンドにねじ切り加工を
施して固定させている。
なお、TADキューにはキューで
一般的であるウエイトボルトは
使用されていない。
すべて木材の重量のみでバランス
と総重量を出して行っている。
私のTADは、1980年代に使用して
いたストレートステインモデルは
19.5オンス。今も所有している
1997年製のストレートの重量は
19.75オンスだ。
どちらも一本木の無垢削り出し。
TADは素材を最低30年シーズニング
させた物を使う。
無垢材でも曲がりは無い。
それだけ手間暇かけられて作られて
いる。ザ・カスタムキューの四天王
の一人がTADコハラだ。本名コハラ
タダチ。広島県廿日市市で広島へ
の原爆投下を体験した。その後、
米国に戻り、いろいろな職業を
経験した後、ビリヤードパーラー
を経営し、そこに集まる撞球師
たちに求められるキューの要件
を毎晩毎朝ディスカッションして
キュー造りの道に入った。
最初にお手本としたのはハーマン
ランボーとバラブシュカだった。
ランボーキューは世界チャンピオン
を15度も獲得した不世出の名人
ウィリー・モスコーニが愛用して
いた作品だ。映画『ハスラー』
(1961年)でポール・ニューマン
とジャッキー・グレースンが対決
で使用していたキューもランボー
だ。
タッドコハラは、一本の長物で
あったハウスキューを二つに切っ
てジョイントさせる事からキュー
作りを始めた。
そして、多くの工夫を投入して、
独特のTADならではの性能を持つ
極めて個性的な撞球感覚を生む
キューを作り上げた。
TADキューはTADでなければ出せ
ない球筋というものが存在する。
ただし、ズレが大きいため簡単な
撞きやすい万人向けのキューでは
ない。補正値=人による見越しを
多く必要とするので、繊細な感性

と正確な技術が無いとTADキュー
は使えないのだ。癖のあるレシ
プロ戦闘機のように。
だが、使いこなせるとTADはもろに

牙をむいて、この上ない戦闘力を
遺憾なく発揮するキューだ。
例えるならば、それは劇画『バリ
バリ伝説』で主人公グンが愛した
「シマザキスペシャル」のレーシ
ングマシンの立ち位置に似ている。
普通の撞球者がTADで撞いてみる

と嫌になる事だろう。全く玉が
入らなくなるからだ。
だが、TADの使い手がTADを使う
とずっとポンポコ入れて、手玉を
自由
自在にどこにでも次玉狙いの
位置に出すし、多彩な
変化球で
テーブルのラシャ上に
まるで曲芸
玉のように軌跡を描くことを実現
させる。それがTADキューだ。
かつては多くの世界チャンピオン、
全米チャンピオンがTADを好んで
使っていた。
日本でもTADは上級者に好まれ、

日本のプロ第一期生やその後の
トッププロやトップアマはほぼ
全員TADを使っていた。
「弘法筆を選ばず」ではなく、

かつて出来る武士が切れ者の
刀鍛冶の作を選んだように、
米国と日本
の頂上やその付近の
撞球師
たちは皆TADを好んだし、
使わ
ない人であっても、物が
見える
撞球師たちはTADを惜し
まずに称賛した。


現在TADは息子が二代目として
TADキューを製造している。
場所はカリフォルニアのオレンジ
カウンティ。




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