渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

過重点(加重と荷重)

2022年09月10日 | open



どのスポーツでもそうだが、
基本的に加重ポイントは親指
の付け根。

これは両足を開いて踏ん張る
フォームの時も同じ。
ベタ着きの時も踵には高比率
で荷重させない。
荷重は全体でも加重は指の付け
根になる。
(2006年於板橋)

私はマイク・シーゲルのフォームを
お手本にしてプールを覚えた。


ただ、この撞球フォームでも
フットの下部全面は靴内部の
底に密着しているが、荷重配分
は踵に大きな比重がかかるよう
な立ち方はしない。
古流剣術系の歩き方のような
方法で私は加重させて荷重を
バランスさせている。
二輪走行では完全に踵は浮く
(誰でもそうだ。踵をステップ
には載せない)のだが、それは

親指の付け根での加重の典型例
だ。
土踏まずも使うが踵方向の土踏
まずの部位は使わない。コント
ロールは前方領域で行なう。
野球のキャッチャーなども待機
中は踵を浮かし、捕球の際には
踵を接地させて捕球するが、踵
に全荷重を担わせる事はしない。
剣道では踵は接地するかしない
ほどに浮かせる。紙一枚とも
いわれている。浮かせすぎは✖。
これは野球の捕手と同じ。

ビリヤードでの両脚開きのスタ
ンスのフォームでは、上半身が
シュート前に動いてはならない
ので、慎重に足裏に加重させて
荷重配分を適切に取って身体を
安定させる必要がある。
厳密にはシュートの瞬間以降は
上体も腕もどのように動いても
まるで構わないのだが。
これも「動くな」の固定観念に
捉われている一面的な思考停止
の人たちはよく説く。上体は
動くな、と。動いたから外した、
と。
全然、本質は違う。
ヒット後はどんなに体が動こうが、
もう手玉は発進されているので、
一切物理的にはシュートには関係
ない。
時代劇の武士の切ったあとの
残心のようなものも必要ない。
ただ、私の場合は自分のショット
の確認のためと冷静さを継続させ
るためにフォロースルーや残心を
取ったりする事も実行している。
まるでそれこそ時代劇での剣士
の斬撃後みたいに。
キュー出しをして残心を取るのは
撞球における最悪のキュー操作
であるチョン突き防止のためも
ある。
「上半身を動かすな」というのは
シュート前の事までの事であり、
それを深く考察せずに動くな動くな
と言って指導するのは考察が浅い。
キュー出しについても「キュー
出し必要なし」と説き出した人
も最近登場し始めたが、それは
「新しい事を言えば人が飛び
つく」という新規性の奇をてら
った言辞で人集めしようとして
いるユーチューバーに多い。
それと怪しげな極めて怪しげな
ユーチューバー整体師とかに。
軽く触っただけで腰が楽になる、
とかやってる怪しげなのに多い。
整体師なのに自分の首が超スマホ
首だったりとか(笑)。
まず自分の骨格と姿勢を直せば?
とは思うが、世の中かなり怪しげ
な者が今の時代には多い。
中には触らずに治すとか宣伝して
いる者もいるので要注意だ。
主として心が病んだ患者さんは
そうしたのに引っかかり易い。

あくまで私の場合は、足裏の荷重
については親指付け根付近エリア
に重要な加重点があると理解して
種目ごとにやっている。二輪走行
や剣術や撞球では。(すべて同じ
足裏の使い方ではない)
また、通常歩行時においても、踵
から接地していても、踵に全体重
を乗せることはしていない。
それをすると尻の筋肉も下がり、
結果として長距離歩行も、疾走も
一切不能になるからだ。
陸上競技で踵ベタ足で走っている
人類はいない。

荷重における加重と過重の使い分
け。区別と適正運用。
これは身体能力に関係なく、身体
を使う事項ではかなり重要になっ
てくる。

オートバイなどの二輪は、ステップ
そのものが「足置き」ではなくて
操縦操作の為のパーツである事が
実際に乗って走行させていると
よく理解できる。


オートバイは四輪車と違い、乗って
走る事自体が非常にスポーツその
ものである事に気づかされる。
それに気づいた時、オートバイは
単なる「空間移動の手段としての
乗り物」を超える。
オートバイは、ライディングその
ものがスポーツなのだ。


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