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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

一つの定理

2025年05月25日 | open
 


一つの定理を知っている。
スポーツや武道や武術にお
いて、ジャン
ルにもよるだ
ろうが、例え
ばビリヤード
などは努力次
第で段階的に
どんどん上手
くなる人が結
構多い。

ただし、剣道は異なる。
生まれ持った「筋」という
ものがあって、強
い奴は最
初から強い。

それに磨きをかけて基礎と
高度な技法を正確に習得す
る稽古
を続けると、どんど
んと強くな
る。「上手くな
る」のではなく
さらに「強
く」なる。


この事はモーターサイクル
というジャンルにも全く同
様の事がいえる。競技では
なく公道の話として。

公道では速度を競う必要も
いが、ことバイクにおい
はトロい奴は一生トロい。
オートバイに関しては、峠
などでも速い奴は最初から
速いのだ。
そして、遅い奴はいつまで
経っても、何年、何十年経
とうと遅い。遅過ぎる程に
遅い。身体の動きや感知力
に敏捷
性、鋭敏性を欠くか
らだろ
う。
免許は誰でも取れるし、金
が用意できれば二輪など誰
でも買える。
ただし、きちんと乗れるか
どうかというのは、そうし
た条件とは全くの別次元の
事柄としてデン!と存在し
ている。
トロ臭い奴は一生トロ臭い
のだ。いくら峠を走る回数
を重ねても無理。
速い奴は16才で免許取って
すぐに速いし、その容態と
いうものは
頭抜けている。
ドングリの背比べという事

は無い。頭が一つも二つも
ポーンと突き抜けている。
これは16才の少年時代から。
これ、一つの社会の定理だ。
二輪の操縦、操作、運転は
徒競
走の駆けっこに非常に
似て
いるのである。
足の速い者はすでに幼稚園
時代から駿足だ。生まれつ
きの人間としての身体能力。

駆け足が遅い奴は、どんな
に努力しても、短距離走な
どで駿足さを見せる事は一
生不
能だ。
モーターサイクルも、技法
と走行実態については、駆
けっこと全く同じ現象を見
せるジャンルだと断言
でき
る。

トロい者は死ぬ最期までト
ロい。


ただし、自分はトロいし走
りが遅いから、と正確に認
識している人は、走りは遅
いが「強い」だろう。
無事故無転倒で長年無事に
乗り続けるだろうし、そう
した事例は多く実見してい
る。
自分がトロいくせに、それ
を自覚せずにいきがってる
連中は「弱い」。
実走行でも、実際に何度も
トラブルを発生させている
事だろう。マシントラブル
ではなく、走行実体として
の運行トラブルを。
速くてトロくない人間は
年無事故を続ける事だろ
う。
瞬時の状況判断力に長
け、
全体を俯瞰しての冷静
な行
動ができる人間だから
だ。
「無違反」はまず無いだ

うが、「無事故無検挙」で
何十年
も過ごす事だろう。

現代の二輪の世界では、ト
ロ臭く
て遅過ぎるまともに
二輪に乗れない奴らに限っ
て、
できる奴を指してギャ
ース
カよくわめく。誹謗、
中傷、揶
揄、罵詈雑言に走
って嬉々と
する。しょぼ。
あげつらいに終始し、魚拓
採ったりしてほじくり返し
喜んでるパラノイア粘着
妄想族の異常者たち。
言う事は殆どが大嘘出鱈目
虚構創作の脳内妄想の
どト
ンチキだ。ほぼ全域的外れ。
脳内で創作した妄想だから
だ。100錠位強制投与して、
ドパミン
D2受容体を完全遮
断しない
とならないような
連中。

八代さんや本間さんが言う
ところの「できない奴に限
ってワーワー言う」という
バカたちの現象もこれだ。
これまた八代氏、本間氏は
事実、真実を言い
当ててい
る。「正鵠を射る」
という
もの。

なぜワーワー言う奴らはそ
うなるかというと、
走り以
前にオツムがトロ臭
いから
だ。過ぎる程にトロ臭い。
生ごみのような腐臭まで放

つ程にトロ臭い。脳内思考
が腐ってデロデロ。

つまり、判断能力と認知知
能が低過ぎる。
知的生命体として車両のま
ともな運転などで
きる要素
がない。

ワーワー言うのは自分の容
体の当たり前の事を当たり
前に
自己紹介しているだけ
だ。

それさえも本人らは認知で
きていないようだが。


 
 



 

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