荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

捨て魔の巻。

2015年01月29日 | 華麗な生活に極めたシンプルを


もともと几帳面な性格でした。

幼稚園時、祖母が学習机を買ってくれたのですが、引出しごとにキチンと整理整頓していたことは、よく覚えております。

その後も自室を散らかして生活した、という記憶は全くありません。

就職し、ひとり暮らしを始めた【独身生活シーズン1】は、その几帳面さに磨きがかかりました。

実家ではコントロール不能だったことが、可能になったわけですから。

思う存分、キレイな部屋づくりに励みました。

ただし結婚によって、その几帳面さに陰りが見える事となります。

カミさんがザックリ系でしたから。

『朱に交われば赤くなる』と申しますが、私もだんだんとザックリして来ました。

ま、仕方ないことではあります。

やがて離婚。

ふたたび几帳面が帰って来ました。パワーアップして。

【独身生活シーズン2】も、それはそれはキレイな部屋でした。

とはいえ、モノが少なかったかと申しますと、然に非ず。

本・服・小物・フィギュア・家具等がたっくさん、整然と並んでいたのです。

もともとモノが大好きでした。

『モノ・マガジン』だの『グッズプレス』だのパラパラ眺めたりもしてました。

ハンズだのロフトだのは、物欲刺激危険地域と申して差し支えないでしょう。

シャレオツなコンランショップにいたっては住んでしまいたいほど。

そんな僕が、なぜ捨て魔になったのか?

それは2011年3月11日に東日本を襲った未曾有の大震災と、それに伴う大津波です。

流される命、流される家々を目の当たりにし、所詮ヒトは身ひとつなのであると痛感。

もうモノに依存する生き方はやめようと心に決めました。

できるだけシンプルに暮らしていこうと心に決めました。

当時、省エネのため、毛布にくるまり暖を取りながら【捨て】【シンプル】などとPCで検索しまくったものです。

すると存外、僕と似た経過をたどった方が多いのに驚きました。

そういった同志の体験談・経験談を読むにつれ、僕自身のモチベーションも上がり、結果捨て魔になってしまったわけです。

とはいえ現在でもモノはあるんですよ。とくに服。

さぁて…どうすっかなぁ…。



『何を捨てるかで誇りが問われ、何を守るかで愛情が問われる』スティーブ・ジョブズ(米国の実業家・1955~2011)

ミニマリストの巻、よたび。

2015年01月29日 | 華麗な生活に極めたシンプルを


シンプル生活だのミニマリストだのとほざいてはいますが、進捗していません。


とりあえずモノが増える事だけは回避すべく『ひとつ買ったらふたつ捨てる』は実施しています。

先日も矢吹丈に憧れて、ハンチングを買ってしまいました。


なので、Yシャツとパンツを処分。


それにしても、やっぱトランクひとつだけで暮らすのは無理っぽいっすねぇ…。

僕自身が今後、どうしたいのか明確でないトコも問題なのでしょう。

『このままでも、十分来訪者がビビるほどシンプルだし、服はこれ以上処分出来ないし、ソファ・ベッドも処分出来ないし』

と考えていきますとミニマリストってのは不可能です。

せいぜいシンプル生活ってトコでしょう。

まぁ、ドミニック・ローホーもゆるりまいも、椅子だのテーブルだのソファだのベッドだのを持っていますからねぇ。



過去の記事。
ドミニック・ローホーの巻。
ゆるりまいの巻。



あっ、そうか、彼女たちは別にミニマリストじゃねぇか。

そう言えば、彼女たちって結構モノ持ってますよね。

やっぱ極限スレの連中の方が凄そう。

ただなぁ、極限スレはお洒落じゃねぇしなぁ。

貧乏臭いのも嫌だし。



あ~あ、お洒落さんに生まれなければ良かったのになぁ~。

そしたら、ちょびっとは服が減るのになぁ~。

あ~あ、なんか処分しなくちゃなぁ~。

過去の記事。

ミニマリストの巻。
ミニマリストの巻、ふたたび。
ミニマリストの巻、みたび。



『おしゃれな人とは、男女を問わず、自己顕示欲の強い人である』塩野七生(ニッポンの歴史作家・1937~)