荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

食の巻。

2013年01月31日 | 妥協なき生活に極上の飲食を
食道楽という程ではありません。それ程、量も食えないので。

とはいえ、いろいろなお店に行くのは大好きです。

普段、男同士で飯に行く時は、雰囲気より値段がリーズナブルなお店を選びますから、たまの若い女のコとのデートの時は結構頑張ります。

ネットなんかで『男との初デートでファミレスに連れて行かれた』などというネタを見ますと、さすがの僕も信じられませんな。

勿論、バカ高いお店に連れてきゃ良いってもんでもありませんが、最低限の初デートのマナーってもんがあるでしょ、と思います。

ババァと違って若い女のコは単純に『お店キレー』とか『美味しー』とか喜んでくれるので大好きです。

バブルババァは『あー前にこの店来た事ある』とかぬかすんですよね。

ババァのくせに。

さて、食のお話しですね。

はっきり申し上げて肉食であります。

魚が好きとか言うヒトを見ますと『あぁ、お肉が食えない環境で育ったかわいそうなヒトなんだな』という憐憫の情が湧いてしまいます。

よく歳を取ると肉より魚の方が好きになる。なんて言いますがあれはウソ。

肉食のヒトはずーっと肉食です。

加齢に伴い魚にシフトしているんだとしたら、もともとそのヒトは魚も食えるヒトだったのです。

僕は寿司とお刺身位なら食いますが、その他は一切食いません。

秋刀魚なんかは完全に食えません。昔、1回だけ口に入れたらその場で吐いちゃいました。

お刺身も数切れ頂ければ十分。

時間が経つと生臭くってたまりません。

昔、勤めていた会社の社長(金沢出身)は大の魚好きで、魚類しか注文しないんですな。

あまりに生臭く、1時間位しますとゲロ吐きそうになった僕でした。

『私は生きんがため、奉仕せんがために食べる。また、たまたま楽しむために食べることがあっても、快楽を追求するために食べるわけではない』マハトマ・ガンディー(インドの宗教家・1869~1948)

風水の巻。

2013年01月30日 | 華麗な生活に極めたシンプルを
キレイ好きで部屋のシンプル化がかなり進展している僕ですが、以前は整理整頓はきっちりやっても、ホコリなんぞは大して気にしておりませんでした。

ところが、シンプル化を徹底化するにあたって、遂にホコリなんかもかなり気になる問題になり、困っています。

ヒトひとり生きてりゃ毎日、ゴミもホコリも出るのは当り前でしょうが、それにしてもウザいです。

一応、ルンバを所持しておりますが、使用したのは最初のうちだけ。

結局、今は毎日クイックルワイパーでこまごまと掃除をしている状況なんですな。

それに伴い、便所掃除も毎日行う様になりました。

これは気持ち良く便所を使用する為であるのと、風水を鑑みての事であります。

僕は別段、風水を信じている訳ではありません。

西の方角に○○色のモノを置こう!とか。

但し、風水的行動を取る事によって、結果として成功に導かれる事はあるはずだと思うのです。

例えば、玄関・便所・キッチン等をキレイにする事は、生活をキチンとする事です。

生活をキチンとすれば約束事を守る姿勢が出来るはず。

結果、ヒトの信頼を受け、商売もうまくいき収入もあがる・・・。

勿論、そうそううまくコトが進むとも思えませんし『風が吹けば桶屋が儲かる』の様な短絡的思考であると言われても反論は出来ません。

しかしながら、僕は信じます。

僕の敬愛する芸人・ビートたけしもいまだに便所掃除を自身で行っているとの事。

確かに便所の汚いヤツは仕事も出来ないヤツだった様な気がします。

ちなみに民主党が惨敗した頃から株価は上がり続け、年末には投資でまとまったお金が入って来ました。

韓国の巻。

2013年01月29日 | 無聊な生活にさすらいの旅を
僕はソウルが好きです。

近いし、安いし、一応海外なので非日常感もありますので、まことに都合の良い都市であります。

勿論、ご飯も安くて美味く、街をブラブラ歩いているだけでも楽しい。

昨年秋、ソウルに行って来ました。3回目であります。

中国が尖閣諸島問題で揉めに揉めていた時期の事でしたし、当の韓国も竹島問題に着火してた時期なので、そこそこマメにHISに現地情報を確認していました。

実際に訪れてみますと、ソウルの皆さんいたって普通で、全く反日感情を意識した事はありませんでした。

今回、宿泊したホテルはいささかインテリアに難があるものの、歩いてソウル駅や南大門に行ける距離でまことに便利でした。

さて、ソウル市内を走っているタクシーにはみっつ位、種類があります。

ニッポンでいう普通タクシーと個人タクシーみたいなカテゴライズですかね。

その中に、ニッポン語や英語を喋る事の出来る運ちゃんが乗車している【模範タクシー】というのがあります。

若干、料金は高いのですが、その代わりボられる事もなくいたって快適な移動が出来るのです。

この模範タクシー、僕が初めてソウルを訪れた時には街中に溢れていたのですが、2010年、そして昨年訪れた際は激減しておりました。

韓流好きのオバサンたちも減ったんでしょうか。

ソウルを訪れるニッポン人が減ったのは確かです。

その代わり中国人がいっぱい。

ウォーカーヒルに博打しに行ったら、中国人だらけでした。

まぁ、ソウル市内は東京と変わらず地下鉄網が充実しておりますので、タクシーがつかまらなくてもさほど問題はありませんが。

この10年間で3回程訪れたソウルですが、さすがに飽きたなぁ、という感は否めません。

次はドコに行こうかなぁ・・・。


笑顔の巻。

2013年01月28日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
『笑う門には福来たる』と申しますが、人間、福が来たから笑うのではなく、笑顔でいたから福が来るのだと思いたいものです。

さて、世代論は嫌いな僕ですが、ニッポン人論は大好きです。

僕は米国本土に行った事がありませんから、米国人の明るさ、オープンさっていうものを知りません。

ハワイ州のヒトが明るく、オープンなのは良く判りますよ。

あんなノンキなトコ住んでりゃ、健さんだって藤森慎吾みたいになっちゃいます。

行った事があるのは、ヨーロッパ数ヶ国とアジアをほんの一部でありますが、少なくとも皆さんニッポン人よりゃ明るく笑顔じゃないでしょうか。

ホテルやオフィスビルのエレベーターなんぞで目が合うとニコって笑いますからな。あっちのヒトは。

ニッポン人は相対的に笑顔が足りないと思います。

愛想笑い、阿諛追従は得意中の得意ですが。あと苦笑い。

なにやら外交のお話しをしている様です。

尤もヘラヘラして破産寸前のイタリアだのギリシャだのスペインだのも問題ですが。

昨年、僕が通っているフィットネスジムにて『全スタッフ・スマイル選手権』という催し物が開催されました。

ジムには受付のヒト、フロアのヒト、インストラクター、掃除担当者、諸々のヒトが働いております。

その全スタッフの誰がいちばん良い笑顔か、会員に選んでもらおうという趣旨です。

結果、一位は僕の推しメン・受付のノナカさんでした。

既婚・子どもあり・30代半ばの彼女はホントに飛び切りの笑顔で僕を迎えてくれております。

この笑顔『ひょっとしてオレに気が・・・』なんて思った事もないではない。

まぁ、皆さんに笑顔を振りまいていただけなんですが。

僕みたいに思ったバカは他に何人もいますよ。きっと。

世を斜めに見て、やさぐれてるブスからすりゃ『なによあの女、八方美人なんだから』などと言うんでしょうな。

もうその時点で、そのブスはダメ。男に相手にされないわけです。

大体、そんな女は口角が思いっきり下がってんでしょうね。

笑顔でいりゃ、ほうれい線も笑いジワで済んじゃうのに。

結局、人間、心根がいちばん大切なんです。

『自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事が出来るでしょう。笑顔がいちばん!!』本田美奈子.(ニッポンの歌手・1967~2005)

イケメンの巻。

2013年01月27日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
僕は美男子とイケメンは違うと定義しております。

美男子は文字通り、顔のデザインが優れているオトコを指します。

一方、イケメンは『雰囲気程度』のオトコを指します。

ですので、僕にすれば『美男ですね』は『イケメンですね』とは読まない事となります。

とはいえ世間様は『イケメン』=『美男子』ってことらしいので、この概念でお話しをすすめます。

テレビを観ていますと『このあとイケメン登場!』とかいってCMに入り、CMあけて本人が出て来ると『はぁ?』ってケースがまことに多い。

そんな疑問符だらけのイケメンどもを挙げ連ねてみたいと思います。




1.磯野貴理子の旦那

日テレ系『行列のできる法律相談所』で登場した時『はぁ?』でしたな。

なんでも20歳以上年下の旦那だそうですが、お金目当てなのはミエミエです。

『いつ捨てられるか、いつも不安だったぁぁぁ』と磯野貴理子は泣きを入れましたが、そんなことぬかしてると絶対ダメ。

『お金あげるし、若いオンナと遊んでも良いから、最後は私んトコに帰ってらっしゃい』くらいドーンと構えていなきゃ。

僕の馴染みのオカマバーに客として来たらしいのですが、チャラチャラだったそうです。

ま、21世紀における、ルミコとケンヤの正統な後継者っていう体ですな。



2.高畑淳子の息子

なんだかの番組で観ました。

イケメンというふれこみに関しては、当然『はぁ?』ヅラなんですが、それよりも『こいつちょっとアレなんじゃないの?』というポンコツぶりが目につきました。

オンナ親からすると息子はかわいいって言いますから、高畑淳子もセールスに力が入るんでしょうが、ありゃムリでしょう。

まだ若いんだし他の仕事を見つけた方がよろしい。

倉庫作業とか弁当工場とかが良いし、ピッタリだと思います。



3.中村獅童

トーク番組での『オレってトークいけんだろ?』的なウザさがなんとも胃に違和感を与えてくれる稀有な役者さん。

オチもないお話しをされても、MCは困るだけだろ、っていつも思います。

おんなじ様なタイプに香川照之というヒトがいますね。

さて、中村獅童をイケメンと呼ぶヤツぁ、たとえアウト・オン・ア・リムで大儲けしたシャーリー・マクレーンが許しても、この美少女仮面ポワトリンが許しません!

てなもんです。

あんな『顔面の中心にパンチ喰らって元に戻らない』ヅラのどこがイケメンなのか、理解に苦しみます。



ヒト様のツラぁガタガタ申し上げるだけなのも、いささか心苦しいので、最近『いいオトコだなぁ』と思った役者さんをひとり。

フジテレビ系ドラマ『サキ』に出演している三浦翔平くん。

顔のデザインが良いのはあたりまえとして、お芝居もいい感じだなぁ、と感心しました。

たぶんジャニタレじゃねぇだろうなぁ、と思って調べてみたら・・・やっぱりな『ジュノン・スーパーボーイ』でした。

結構既にドラマに出てるみたいですね。

オジサン知りませんでした。

バブルの巻。

2013年01月26日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
僕が大学生の時、バブル景気がやって来ました。

なにせ大学生なもんですから、特別恩恵を受けた訳ではありません。

まぁ、実家のクルマがスバル・レオーネ(中古)からアウディ80(新車)になったのと、僕専用車としてスバル・アルシオーネ(中古)を買い与えて貰った事位ですかね。

なんでスバル、すなわち富士重工かと申しますと、僕の父親が富士重工の仕事をしていたからです。

今からしますとクルマを買い与えて貰えるなんてぇとバカ息子みたいですが、そこはバブル、結構そんなヤツがちょこちょこいたもんです。

尤も僕はバカですが。

当時はいろんなエピソードがあり過ぎる位ありました。

今回、俎上に乗せるのは、当時の女子の就職希望、というか割と現実的な夢として人気があったスチュワーデスです。

今はCAって言うんですよね。

そう言や、トルコもいつの間にかソープランドになってましたが。

今でこそあんまりパッとしないイメージのCAですが当時は大人気商売でした。

猫も杓子もスッチーになりたい!とかほざいていたものです。

スッチーの条件は容姿端麗。

『てめーは日本語読めねぇのか?ブスでちんちくりんはなれねぇんだよ!』という己を理解してない輩がまことに多かった。

好景気ってのはヒトの判断基準・思考能力すら歪めてしまうものなのですね。

しっかしバブル崩壊から四半世紀近く経つのに、往時を忘れられない可哀想なヒトがたくさんいますな。

異常な好景気ってのも考えものです。

まぁ、アベノミクスはそんな懸念は無用ですけど。

『バブルがいつ崩壊するか予測するのは誰にもできない。ただ、過去のバブルは例外なくはじけている。経済学の世界では、決まって多数派が間違える』ジョン・ケネス・ガルブレイス(カナダの経済学者・1908~2006)

照明の巻。

2013年01月25日 | 華麗な生活に極めたシンプルを
ちょいと前、部屋をシンプルにする為、それ迄間接照明だったのを天井中央の直接照明・シーリングライトのみに変更しました。

間接照明ですと照明の数がみっつ。

シーリングライトに変更する事によって、それ迄の間接照明とそれを設置する為のミニテーブルなどが片付く訳であります。

で、2ヶ月程度経ちました。

確かに部屋にはなんにもなくなりシンプル化が推進されたのですが、どうも落ち着かないんですな。

煌々とし過ぎてダメなんです。

ニッポン人は明るいの好きですよね。

以前、デンマークの照明メーカーのヒトから聞きましたが、ニッポン人の場合『明るい=豊か』という図式が完全に刷り込まれているのです。

確かに、幼少期にあまり豊かな家庭で育たなかった友人は『白熱球照明は貧乏を思い出すから嫌だ。明るければ明るい程良い』と言っていました。

まぁ、6畳の部屋にはこの照度、8畳の部屋には・・・、と決めているのもニッポンくらいのものではないでしょうか。

ヨーロッパは全く違います。

ヨーロッパの照度は恐ろしく低い。

ホテルもレストランも恐ろしく暗い。

だから、落ち着くんです。本読む時ゃ、それ専用のライトで手元を明るくすりゃいいんですから。

で、僕の部屋も結局元の間接照明に戻ってしまいました。

やっぱり落ち着きますね。

バランタインの紅茶割りなんぞを飲みますと、ほっとして暖房要らずです。

賃貸マンションじゃなきゃ照明工事しちゃうんだけどなぁ・・・。

遊牧民の巻。

2013年01月24日 | 華麗な生活に極めたシンプルを
最近、スタバなんぞでMacBook Airを持ち込んで、仕事してるフリしたプータローを【ノマド】と呼ぶそうですな。

ノマドすなわち遊牧民。農耕民族である僕たちニッポン人からしますと、なんとなく憧れを抱いてしまうのでしょう。

さて、先日、週刊新潮をパラパラ眺めていたところ、まことに興味深いグラビアが載っていました。

エジプトの遊牧民女性(68歳)についての写真&記事です。

エジプトの砂漠はここ何年も雨が降らない為、遊牧が不可能になっているとの事。

ほとんどの遊牧民は観光客相手で食っているそうです。

この女性はたったひとりで7頭のラクダと遊牧している稀有な存在。

いまや遊牧民もほとんどのヒトが携帯電話を所持しているそうですが、この女性は所持しておりません。

それどころか、『荷物が増えるのが嫌である事と、星を見ながら就寝したい』という理由でテントすら持たないのだそうです。

要するに砂の上で毛布にくるまり就寝するのです。

それでも、この女性は16歳の初産から計9人の子どもを砂漠で出産し、育てあげました。

文明の利器に囲まれた生活をしている人間からしますと、あまりの凄まじさに『トランクひとつで生活したい』などとほざいている自分が、甘甘であることを痛感します。

ニッポンからサムライがいなくなった様に、本物の遊牧民もいなくなっていくのでしょう。

遊牧民といいますと、あてもなく流浪しているイメージがありますが、それは違います。

実際は夏場所・冬場所とルーティンに周っているのです。

そして、彼らは物々交換がメインなので、遊牧する場所には協力者としての定住者が必要でもあります。

誰もいないトコをフラフラしてる訳ではないんですね。結構、イメージと違うんですよ。

しかし、ニッポンのノマドワーカーって笑えます。

早い話、学生時代のモラトリアムが長引いてるだけの甘ちゃんじゃねぇの、としか思えません。

5年後『あぁ、そんなの流行ったっけ?』くらいのもんでしょう。

トランカーの巻。

2013年01月23日 | 華麗な生活に極めたシンプルを
シンプルな生活を推進するに当たり、何かお手本になるものはないかとネットを眺めておりますとなかなか面白い2ちゃんスレを発見しました。

いわゆるトランクスレというヤツであります。

具現・妄想どちらでも良いのですが、とにかくトランクひとつだけで浪漫飛行へいんですかい、という連中が集まるトコ。

なかなかの難業ではありますが、トランクひとつで生活するなんて素敵です。旅人でも定住者でも。

少なくとも僕にはそう思えます。

勿論、モノに溢れ、モノに囲まれる生活に喜びを感じるヒトも多くいらっしゃるでしょう。

しかしながら、人生の折り返し地点を過ぎ、これからは足し算ではなく引き算の人生で生きて行く事にしました。

これは僕の敬愛するドミニック・ローホーも言っていた言葉です。

問題はトランクはどの程度の大きさで、いったい何を入れるか、です。

結構、多くのヒトが映画【男はつらいよ】の寅さんのトランクの中身に興味を示していますね。

確かに、旅から旅へのテキ屋稼業に必要なモノはなんだろう?とは思います。

で、調べてみたところ・・・トイレットペーパー、マッチ、うちわ、筆記用具とはさみ、時刻表、蚊取り線香、手ぬぐい、目覚まし時計、財布、常備薬、ダボシャツ、ふんどし、花札とサイコロ、易断の本、レターセット・・・だそうです。

爪切りとか耳かきはないんですね。また、上着とズボンは例のスーツのみか。

雪駄だから靴下も要らない訳ですね。

スマホがあればだいぶ削減出来そうですが、寅さんは永遠にスマホなんて持たないだろうなぁ。

ちなみにこのトランクの中身、東京葛飾・柴又の【寅さん記念館】で見られるそうです。

昔『山高帽をかぶった白人紳士が大きなトランクひとつを携え、田舎駅のホームに佇む』というJTのCMがありました。

彼はどんな旅をしているのだろう、と夢想したものです。

ブラディ・ドールの巻。

2013年01月22日 | 枯渇した生活に豊潤な読書を
二日酔いが抜けない夜はブラッディ・マリーをよく飲みます。

レッド・アイの時もありますが、要するにトマトジュースが二日酔いに合うんでしょうね。

だったら飲まなきゃ良いんですが。

【血まみれのマリー】があるんだったら【血まみれの人形】があっても良いな、と北方謙三御大は思い、上梓したのが北方ハードボイルドの金字塔【ブラディ・ドール】シリーズであります。

尤も、シリーズ第1弾【さらば荒野】時点においては連作の意思はなかったとの事でしたが。

ブラディ・ドールとは、日本でいちばんステゴロ喧嘩が強い経営者・川中良一の持つ酒場の名前。

洒落て落ち着いた内装で、女の子も置いている、架空の街・N市の高級店であります。

この酒場に、次々とクセのある男たちが集まって来ちゃあ事件が起きるって寸法なんですが、他と毛色が違うのが、主人公が1作ごとに変わるってトコですね。

前のシリーズの主人公は、次のシリーズになると脇役にまわるんですな。我が家のコントみたいに。

しかも各話通し、主人公による一人称で描写されておりますので、視点が完全に毎回異なるトコがまことに面白いのです。

勿論、全体での主人公は先の川中なんですが。

この時期の北方御大はノリにノっておりましたな。【さらば荒野】時、36歳。最終巻【ふたたびの荒野】時、45歳。まさに男盛り。

御大と川中の年齢はおそらく同一です。

このシリーズは北方御大のこだわりが無添加で凝縮されておりますので、御大の好きなモノしか出て来ません。

クルマ、クルーザー、釣り、葉巻、ジョージ・ウィンストンの【オータム】、【ニュー・シネマ・パラダイス】、【ひまわり】、そしてシェイクしたマティーニ・・・。

クルマの描写はかなり書き込むんですが、バイクの描写は【バイク】ってだけってトコも素敵。

何CCかすらも書かないんですから。バイクの事知らないんでしょうけど。

まぁそれにしても、いちいちカッコ良いんです。

僕はこのシリーズで男の生き様や立居振舞というものを学びました。

御大初期の【高樹警部】物も面白いのですが、こちらはどこか退廃的というか絶望感が濃かった。

高樹警部は狂言廻し的立場で登場する為、川中とも立ち位置が異なりますしね。

ブラディ・ドールもヒトが死にまくるのですが、北方御大が言う様にこのシリーズのテーマは【継承】。

すなわち、未来を感じさせる結末でありました。

あれから20年、僕も川中のおじさまと同い歳。

ブラディ・ドール難民の渇望がそうさせたのか、はたまた北方御大の創造性の枯渇がそうさせたのか、最終世紀末2000年に約束の街シリーズ第6弾【されど君は微笑む】にて川中軍団再登場となります。

『いや・・・これは・・・ちょっと・・・違うんj・・・』。

藤木が死んだ時の坂井の気持ち、下村が死んだ時の高岸の気持ちが判った気がしました。

『戦うことを決めた人間にとって、死ぬまで負けはないよ。途中で負けたって、それは一時的な負けであって、どこかで盛り返してやればいいだけなんだよ』北方ラーメン謙三(ニッポンの小説家・1947~)

シンプルの巻。

2013年01月21日 | 華麗な生活に極めたシンプルを
巷ではシンプルに暮らす為の指南本や雑誌が、次から次へと発刊されております。

わけのわからない、貧乏臭い収納術がメインどころです。

又、ちょっと前から収納王子とかいうハンパ芸人が、昼時のヒマ主婦相手のTV番組にツラを出しちゃあ、100円ショップのガラクタを使って『ほうら便利にすっきり収納出来るでしょう???』とやっております。

収納術を披露する際、まず最初、だらしない依頼人にさせるのがモノの廃棄です。

要るモノ・要らないモノを分別させる訳ですが『そんだけ捨てさせりゃ100円ショップのガラクタ使わなくても十分収納出来るのではないか』と思ってしまいます。

まぁ、それでは番組や記事にはなりませんが。

シンプルな生活を実践しようと思ったら、とにかく捨てる事です。

迷ったら捨てる事です。

僕も散々モノを捨てまくって来ましたが、捨てた事を後悔した事など一度もありません。

心を鬼にして捨てまくりましょう。

そして空いた収納ブツ、すなわちタンスや棚、フィッツケースもどんどん捨てまくりましょう。

良い方法があります。お酒を飲みながら取捨選択をするのです。

そうしますと飲んだ勢いで結構はかどりますよ。

これはオススメです。もっともマンションの様にゴミ捨て場がないと、シラフになって『やっぱ取っておこう』とモノを引きずり戻す事になってしまうかも知れませんが。

『もったいないは捨てる時に思うのではなく、買う時に思う事』よく言われるシンプル格言であります。

捨てる事が出来ないヤツはとどのつまりだらしないヤツ。

そんなヤツが『トランクひとつで暮らしたい』などとほざくと、本気のトランカー志望の僕は憎悪すら抱いてしまうのでありました。

『あらゆるものはできるかぎりシンプルにすべきである。ただ、シンプルにしすぎてはいけない』アルベルト・アインシュタイン(ユダヤの理論物理学者・1879~1955)

旅立ちの巻。

2013年01月20日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
よそでブログをやってましたが、私生活で少々ゴタがあった為、心機一転アメブロへ行ったのですが、ブログのレイアウトが気に食わないのでgooに河岸を変えてGO!

さて、僕は3年半後、遅くとも5年後には、全て身の回りの持ちモノをトランクひとつ迄減らし、ビジネスホテル暮らしをしようと目論んでおります。

もともとはモノにこだわることの無意味さから始まりました。

それは東日本大震災です。

命を流されたヒト、家を流されたヒト、テレビではありましたがあの惨劇を目の当たりにし、所詮、人間は命ひとつなのだとしみじみと思いました。

それ迄もなるべくモノを捨てて来ました。

1000冊程あった蔵書もほとんど処分しましたし、デッキがない為見る事の出来なかったビデオテープも100本程ありましたが、それも処分しました。

食器も服もかなりの量を処分しました。

しかし皆さん言われる様に

「持ちモノの90%は簡単に、スピーディに処分出来る。問題は残りの10%。」

という言葉が心の底から理解出来ます。

この残りの10%のさらに10%、すなわち全体の1%に迄絞りきらなければ、トランクひとつの生活は到底叶いません。

まだまだ長い道程ではありますが、地道に進めていきたいと思います。

重ねて申し上げますが、モノにこだわるのは無意味だと僕は思います。

いい歳したオトコが身軽に生きるなんて、と眉をひそめるヒトもいるでしょうが、ヒトの人生などヒトの数だけあってしかりです。

最近、知人の知人が

「これからは【モノ】にお金を使うのではなく【コト】に使う事にした」

と語ったそうです。

つまり、手元に残るモノなどいらない。食事やお酒、旅行などの【コト】にお金を使うのだ、と。

これに激しく同意であります。

心に残るコト、それがヒトの持ちモノの量の限界なのです。

持ちモノが多い旅立ちなんてヤですよね。

『雲の向こうは、いつも青空』ルイーザ・メイ・オルコット(米国の小説家・1832~1888)