荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

ミニマリストの巻。

2014年10月21日 | 華麗な生活に極めたシンプルを


『シンプリストとミニマリストの違い』みたいなネタをウェブ上で散見します。

こういった言葉遊びには興味がないので僕にはどうでも良いんです。

概念そのものがあやふやなのに『俺はミニマリスト!お前はシンプリスト!』とか吠えてもねぇ。

さて、ミニマリスト。

概念はどーでも良い僕ですが『ミニマリストはあくまで手段であって目的であってはいけない』みたいな意見にはいささか引っかかります。

こういったモノ言いは、ミニマリスト云々に限らずよく見聞きします。

自分じゃ気の利いたセリフだと思ってんでしょうね。

『たかが○○』と言うと『されど○○』と返して来るヤツみたいに。

手垢の付いた、なにひとつ心が動かされる事のない言葉。

僕が言いたいのは『ミニマリストなんて所詮目的である』という事です。

【もたない男】でお馴染みの中崎タツヤはまさにモノを持たない事が目的になっています。

極端に言えば禅僧だってそうだと思うんです。

『持たない事』を目的にしない限り、モノが増えてしまう気がするのは僕だけでしょうか?

手段と言ってる限り、常に言い訳を考えてんじゃないの?って思うのは僕だけでしょうか?

ミニマリストでいようと考えるのは、求道と同義ではないかと思うのは僕だけでしょうか?



僕にはミニマリストと名乗ってしまった恥ずかしい過去があります。

まだまだモノが多過ぎる。

もっともっと捨てようと思います。

生きるために。



『人々が努力して手に入れようとする陳腐なもの---所有、物質的な成功、贅沢---は、私には少年時代から卑しむべきものに思われてきました』アルベルト・アインシュタイン(ユダヤの理論物理学者・1879~1955)


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