昨日から宿泊している としまや月浜の湯
朝から貸切湯に入ってみた
これだけで充分だな
さて朝食も胃袋破壊メニューとの戦いだ。
今日は完全勝利に持ち込んだぜ。
宿を出る際に駐車場まで見送りに来た女性スタッフに、Kazuが津波のことを聞いた。
「あそこまで来たんです」と、宿の壁5mほどに残った線を指差した。
当日はすぐ近くの丘に避難し、3日ほどそこにいたそうな。
宿は専務が最後まで残っていて皆が心配してたが、全員無事だったと聞いてNori & Kazu は一安心。
「大変でしたね」とKazu が言うと、「今、生きてますから」と笑顔で返された。
強いな
全従業員が笑顔の接客で、素敵な宿でした。
さて北茨城二日目の観光に、先ずは宿にほど近い野口雨情記念館。
名前は聞いたことがあったが、何者かは全く知らなかった。
作詞家で、“赤い靴”や“十五夜お月さん”は彼の代表作とのこと。
記念館前の女の子の像に近付くと“シャボン玉飛んだ”の曲が流れ、シャボン玉が飛び出した。
粋な仕掛けだね♪
館内には 3.11 の津波の写真が
矢印が泊まった宿だ
次は天心記念五浦美術館
岡倉天心とは日本美術院の創設者で、しばらくこの地に美術院の絵画部を移設していたとのこと。
その他色々な経歴がある人なので、詳しくは Wiki ってみて。
Nori は名前を聞いたことがあるくらいで、Kazu は全く知らなかったようだ。
天心の旧居も美術館から1kmほどのところにある。
海からはこんなに高い位置にあるのだが
ここまで津波は襲ってきた
北茨城の最大波高は7m 前後だったという。
旧居から海に降りていくと、天心が思索の場として設計した六角堂。
オリジナルは3.11の津波で流されたが、その一年後に再建されたものだ。
一年後といえば Nori & Kazu がボランティアで松島へ行った年だ。
当時は海沿いの住宅は土台のみ残り、瓦礫はうず高く積まれ、多くの方が仮設住宅に住まわれていた。
そんな時期に再建されるとは、この地の方々にとって大切なお堂なのだろうな。
この入り江の対岸には展望台であり慰霊塔でもあるタワーが建っている。
ここからも六角堂は望める
観光はここまでで、昼食後は一路宇都宮の自宅へ向かった。
北関東には分類される茨城だが、もうここらは南東北と言っていいだろう。
東北に来る度に、津波の記憶に胸が締め付けられる。
でもいつも、なんとも居心地の良さを感じる処。
次はいつ来るかな、大好きな東北。