サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

佐村河内氏の聞こえのレベルはいまだに謎

2014年02月06日 | 手話・聴覚障害

週刊文春の記事を読み、佐村河内氏のゴーストライターであった新垣氏の記者会見を見た。
昨日ブログを更新した時点では、佐村河内氏は断片的なメロディだけは自分で書いているのかと思っていた。
しかし全くそうではなかったようだ。
佐村河内氏が企画書とも呼ぶべきものを作り、それをもとに新垣氏が作曲、そして佐村河内氏が再びプロデューサーとして営業、宣伝、そしてドキュメンタリーでの演技。ある意味、最強のコンビだったのだろう。

会見では多くの事実が解明されたが、よくわからないこともあった。
佐村河内氏の聞こえのレベルだ。
新垣氏によると会話にはなんの支障もなかったようで、サンプルで作った曲を佐村河内氏は聴いていたようなので、両耳全ろうというのは全くの嘘だったということになる。仮に完璧な読唇術を身に付けていて会話に問題がなかったとしても、メロディを聞くことはできないであろう。
障害者手帳は持っていたようなので、そうであるとするならば嘘の申告をしたことになる。逆に言えば、申請を受けた行政側、診断書を書いた医者は騙されたことになる。聴覚障害の手帳は2級から6級まで。2級が一番重度である。プロフィールによると2級を取得しているとのことなので、聴力検査では音が聞こえてても、すべて「聞こえない芝居」をしてスケールアウト、すなわち測定不能という聴力レベルという結果を狙って、まんまと手帳を取得したのだろうか。
難聴者でも補聴器装用で音楽を楽しむ人はいる。2級取得の要件である両耳100db以上でも補聴器装用で多少「聞こえる」人がいるのも事実であるが、メロディを聞き分けて意見を言うのは不可能だと思う。

では聴力は本当はどのくらいだっただろうか。
障害者手帳は取得できない程度の軽度難聴であった可能性もある。
例えば片耳が軽度難聴、例えば50~70dBくらいで、片耳は全く問題ないなど。
あるいは両耳ともに軽度難聴で補聴器装用で会話にはほとんど支障がなかった。
新垣氏との話し合いは、静かな空間で、2人が向き合って行われたようで、そういった状況は、難聴者にとってもとても聞き取りやすい状況である。そう考えると多少の難聴はあったが新垣氏が気づかなかった可能性も捨てきれない。

聴力レベルが何故気になるのかというと、佐村河内氏が「耳が全く聞こえない作曲家」を演じようと思ったきっかけを知りたいからだ。
片耳にせよ、一時的にせよ、難聴や耳鳴りに苦しみ、その先のあるもの(聞こえなくなること)におびえ、「両耳全ろう」を演じるという虚構に希望を見出した。
ひょっとしたらそういうことだったのかもしれない。

そして佐村河内氏と手話との関係は?
本当は手話がわからないのに、手話を読み取るふりをしていたのだろうか?
虚構を演じるための道具として手話を勉強したのだろうか?
難聴である自分自身のためにも手話を学んだのだろうか?
また、佐村河内氏と接する機会があった手話通訳者の方々は、佐村河内氏のことを本当のところどう思ったのだろうか?
手話通訳者には守秘義務があるので個人で表に出てくることは出来ないだろうが、第3者機関の調査が待たれる。
また誤解のないように説明しておくと、佐村河内氏が手話を使わなければならない場面は極めて想定しにくい。
基本的には佐村河内氏の手話通訳の役割は、喋っている人の声を手話に変換、それを佐村河内氏が見るという流れである。
佐村河内氏は喋れるので、逆方向の通訳はあまり必要とはされない。音楽を楽しむ難聴者相手であれば佐村河内氏が喋ってもある程度はわかるだろう。わからない場合は手話通訳が佐村河内さんの言葉を手話に変換しれくれる。
ひょっとしたら、片手で杖をつき、もう片方に手にも障害があるということは、手話を使わない方便だった可能性もある。
そう考えると両手がふさがっていることは理解しやすい。


そしてNHKのドキュメンタリーだ。
NHKによると、作曲に関する嘘、聞こえに関する嘘とも気づかなかったということになっているが、本当なのだろうか?
仮に気づかなかったとしても、個人のプロバガンダ番組を多くの予算(相当な額だと思う)を使い作ってしまったNHKの責任はとてもとても重い。

正直ドキュメント番組を見た時、「ホントだろうか」という疑問が渦巻いた。
あまりにも凄いことだらけだったからだ。
世の中には凄い人がいると理解するしかなかった。

凄いというか、疑問に思ったことは多々あった。
まず感音性難聴の両耳全聾で作曲していること。
伝音性難聴であると思われるベートーベンは骨伝導でピアノの音は「聞けた」ようだが、感音性難聴の佐村河内氏にはそれは出来ない。
つまりベートーベンより凄いわけだ。
しかし世の中には想像を超えて凄い人がいるのかもしれない。

失聴した以前より、クオリティの高い作曲をしている。
早熟の天才が聞こえなくなっても、脳内で作曲を続けているということであればわかるような気もしたのだが。
でも世の中にはそんな人がいるかもしれない。とにかく凄過ぎる。

専門教育を受けていない人がオーケストラの楽曲を1人で書き上げること。
これだけでも充分凄い。
でも世の中にはそんな人がいるかもしれない。

いくら中途失聴者とはいえ、イントネーションの細部にいたるまであれほど喋れるだろうか?
でも世の中にはそんは人がいるかもしれない。

とにかく凄すぎることだらけけで、感動するより本当だろうかという思いが強かった。

番組自体の検証番組が必要なのではないだろうか。


 

 


チーム「佐村河内守」の曲作りの過程こそを

2014年02月05日 | 手話・聴覚障害

中途失聴者の佐村河内守さんの作曲した楽曲が、実は別の人が作っものだったというニュースが飛び交っている。

詳しいことはわからないのだが、曲作りの過程はNHKにサイトによると以下のようなことらしい。

5日未明、佐村河内さんは弁護士を通じて、十数年前から別の作曲家に曲を作ってもらっていたことを明らかにしました。
これについて佐村河内さんは、NHKの取材に対し「平成8年ごろ、初めての映画音楽の作曲の依頼があったが、耳の状態が悪くなり、半分以上を作ってもらったことがきっかけだった」と説明しています。
その後も、このときに知り合った作曲家に、曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージを伝え、作曲をしてもらう形で作品を発表し、報酬を渡していたということです。
佐村河内さんは「自分は楽曲の構成をしたが、作曲をゴーストライターに任せてしまったことは、大いなる裏切りであると思っています。ファンや深く傷つけてしまった方に、心よりおわび申し上げます」と話しています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140205/k10015025061000.html


曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージというものが、いったいどの程度のものなのかはわからないが、佐村河内さんがいなければ曲は生まれなかったとは思う。
その形態を共作と呼ぶべきなのか、チーム佐村河内守と呼ぶべきなのか、音楽プロデューサー佐村河内守と作曲者と呼ぶべきなのかはよくわからないが、別の人が独自に作曲したものを佐村河内守さんが作曲したと単純に詐称しているわけではないだろう。
共作ということで楽曲を発表していれば問題になることはなかったのだと思うが、聞こえない作曲家佐村河内守さんが単独で作曲していることにした方が「売れる」と誰かが判断し、関係者は今までは納得してきたということなのであろう。
実際の作曲者としても売れれば多くの報酬が入ってくるだろうし。作曲者は積極的には名前を出したくなかったという一部報道もあり、そういったことも関係しているのかもしれない。

是非とも佐村河内さんには、謝罪するだけではなく、曲作りの全貌を語ってほしい。
NHKスペシャルが確信犯的な演出をしたのか、佐村河内氏に騙されたのかはわからないが、結果的には罪作りなドキュメント番組を‘’作って‘’しまったNHKは、きちんと取材し、報道してほしい。

「聞こえないのに作曲するなんて凄い」という評価が、「本当は作曲していなかったなんてひどい」というようように両極端に転ぶのではなく、共同作業の詳細な全貌こそを明らかにしてほしい。

聞こえない状況のなかで出来たこと、出来なかったこと。限界を感じた点、可能性を感じた点。聞こえる作曲家に委ねた方がより良いものになった点等々。
そんな点こそを明らかにしてほしい。

というか、佐村河内さんに直接質門してみたい。

 

 


音声ガイド、日本語字幕、そしてトークショー(手話通訳あり)

2014年02月01日 | 映画

以前にもお知らせしましたが、
ヨコハマフットボール映画祭のプログラムの一環として、
私の監督作「プライドinブルー」が上映されます。
http://yfff.jp/
2月11日(火・祝)11時~
横浜みなとみらい ブリリアショートショートシアター

上映は日本語字幕でやります。
聞こえない、聞こえにくい人も是非どうぞ。

音声ガイドもついています。
見えない、見えにくい人も是非どうぞ。

上映終了後はトークショー。
ゲストは、知的障害者サッカー日本代表選手、ブラインドサッカー日本代表選手、そして私です。
手話通訳もつきます!

是非、ヨコハマへ。