サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

ダイアログ・イン・サイレンス

2017年08月02日 | 手話・聴覚障害

DIALOGUE IN SILENCE〜ダイアログ・イン・サイレンス 静けさとの対話〜の初日に行って来た。

ダイアログ・イン・サイレンスは、音の無い世界で言葉の壁を越えた対話を楽しむエンターテイメント。
そのオープニングのテープカットの撮影、並びに自らも体験して来た。

音を遮断するヘッドセットというか防音用のイアーマフを装着し、音や声に頼らず、コミュニケーションを取る方法を発見していくというもの。
表現力豊かな、ろう者がアテンドしてくれる。

日本でも既に19万人が体験したという『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』が見えない世界を体感し視覚以外のコミュニケーションを探るものだとすれば、『ダイアログ・イン・サイレンス』は聞こえない世界を体感し聴覚以外のコミュケーションを探るものだといえようか?
もう一つ付け加えるとすれば、異なる言語間のコミュニケーションにも通じる。 


実際に会場(東京新宿駅バスタ上のルミネ0)に行って体験すると良いと思うが、8月1日~20日までの開催期間中、前売り券は全て売り切れだという。但し当日券は日によってはあるようだ。
詳しくはHP参照。
http://www.dialogue-in-silence.jp/


ともに参加した人々の感想は、聞こえなくてもジェスチャー、ボディランゲージでかなり伝わるということが新発見、しかしそのためには相手に真剣に向き合う必要がある、表情も何かを伝えるにはとても大切等々といったものだった。

私自身は、映画『アイ・コンタクト』制作時に防音用のイアーマフを購入し様々な場所で無音の状態を体験したり、手話ではなくジェスチャーでメッセージを伝えてみましょうという場を何度も体験しているので、想像の範囲内ではあった。
ただ逆に無音状態のなかで手話を使えないもどかしさを感じた。手話で会話すれば簡単なのになあ、といったような。
これはどちらかというと、ろう者側の感想に近いのだろうか。手話がそんなに出来るわけではありませんが‥。

アテンドのろう者は手話を使わないボディランゲージでいろいろと説明してくれる。即座には理解できない人もいたようだが、丁寧に時間をかければ理解できていた。

ただ手話を使わないと言っても手話単語を使わないということで、日本手話の文法的な要素は少なからず盛り込まれていた。
文法用語でCL(classifier)=類別詞と呼ばれているものである。
CLはジェスチャーと混同されるが、 似て非なるもの。聴者の手話学習者が苦手とするものである。私もだ。
またCLに連動して、『顔の部位の動き』も当然あった。これも『顔の表情』という一括りにしてしまうとうまく理解できなくなってしまう。こちらも手話学習者が苦手とするもの。私の場合は 「『顔の表情』はいいが手が全く動いていない 」とよく言われていたものだ。
指差しも当然あった。 

つまり体験者は知らず知らずのうちに豊穣な手話の一旦に触れていたという言い方もできるだろう。

少し脱線するが、私は人類最初の言語は手話なのではないかと考えている。
もちろん声も重要な要素ではあっただろうが、縦横無尽に発音できるように喉などが進化(?)する以前は、声以外の要素である顔や手をフル動員したほうがはるかに多くの情報を伝えられたのではないかと思うからだ。 


ダイアログ・イン・サイレンスに話を戻すと、1998年にドイツで開催されて以降、フランス、イスラエル、メキシコ、トルコ、中国でも開催され、100万人以上の人が体験しているそうだ。
先日デフリンピックが開催されたトルコでもやっていたわけだ。少なからずデフリンピックでも活かされたのかもしれない。

前述したようにダイアログ・イン・サイレンスは、聞こえない人との壁のみならず、異なる言語間の壁を突き崩す要素を持ち合わせている。
外国人相手に下手な英語を使うよりは、ボディランゲージの方がはるかに有効な局面は多々あるだろう。指差しの効果的な使い方を覚えるだけでもかなり違うかと思う。 「伝えようとする気持ちこそが大切」という参加者の感想も複数あったが、そういったことに気付かされるだけでも、ダイアログ・イン・サイレンスは貴重な場であったはずだ。